イルカに恋した青年(シロクマ文芸部)
夏の雲が青い海の上空に白く映えて、その青さが一層美しく見えるような日だった。
僕は、いつものようにウェットスーツに着替えて、お気に入りの岩場が多い海に潜った。
その海は、海水浴場からは離れた小さな浦で、岩場も多かったので、たまに近所の親子が磯遊びに来るくらいで、人は少ない。
しかし、比較的暖かいこの辺りの海は、美しい魚や、岩場の生き物達が沢山いる穴場だった。
僕は、仕事が休みの月曜日、こうしてこの海にダイビングに来るのが、何よりの楽しみだった。
僕はその日、そこで初めてイルカを見た。
岩場の先は急に深い海になっているので、間違って岩場近くに迷い込んでしまったのかもしれない。
僕は初めて見た野生のイルカに興奮して、もっとよく見ようとイルカに近寄った。
するとイルカは驚いたように逃げてしまった。
それはそうだろう。
僕が勤める水族館のイルカと違って、野生のイルカなんだから、突然目の前に人間が現れたら、逃げるよな。
野生のイルカを見て興奮していた僕は、海岸に戻って少し休んでいた時、近くを通った女の子に、
「今この海にイルカがいたんだよ、見た?」
なんて声をかけてしまった。
知らない男に声をかけられて警戒したのか、彼女はびっくりしたような顔をしつつ、何も言わずに立ち去ってしまった。
考えてみたら、イルカがいたなんて言わない方が良かったな。
彼女がこの海にイルカがいたなんてみんなに言って、この海の静寂が奪われたらいやだしなあ。
しかし、彼女は人に話したりしなかったのか、それともナンパの為の嘘だと思われたのか、その後もその海は、静寂を保ったままだった。
数日後、僕は再びあのイルカに出会った。
イルカは2度目は警戒を解いたのか、こちらの様子をうかがっている。
僕は、イルカを驚かさないように、静かに漂いながらイルカを観察した。
まだ若いメスのイルカのようだ。
その時、すっと動き出したイルカが、まるで一緒に泳ごうと言っているような気がした。僕は嬉しくなって、同じ方向に泳ぎだした。
一定の距離をあけて泳いでいたイルカだったけど、その距離はだんだん縮まり、気づけばすぐ横を泳いでいた。
僕はそっとイルカの背中を撫でた。
イルカは嬉しそうに僕に身体を寄せた。
なんて可愛いイルカなんだ。
僕は近くの水族館で、イルカのトレーナーをしている。
と言っても、まだ半人前で、訓練中だ。
イルカが大好きで、小さい頃からイルカと一緒に泳ぐのが夢だった。
だから、イルカのトレーナーという仕事につけて、すごく嬉しかったのだけど、まさかこうして野生のイルカと泳げる日がくるなんて、思ってもいなかった。
それから、僕が海に行くたびにイルカはやってきて、僕たちは一緒に泳いだ。
ぴたりと寄り添って泳いだり、ダンスをするようにクルクル回ったり、僕はまるでデートをしているような楽しい気持ちで、1時間ほどを過ごした。
そしてそのうち、普段もあのイルカのことが頭から離れず、休日にイルカと会う事だけが楽しみで日々を過ごすようになった。
ある時僕は、思わずイルカを抱きしめると、シュノーケルを外して、イルカにキスをした。
なぜだろう、イルカもまた僕を受け入れてくれている気がした。
もう、僕はそのイルカ、いや彼女をただのイルカとは思えなくなっていた。
僕は、イルカに恋してしまったのだろうか?
僕はおかしいんだろうか・・・
まさかね
ところが、それからしばらくしたある日、僕が海に入ってもイルカは現れなかった。
いつもは必ずいるのに。
どこか遠くの海に帰ってしまったのだろうか?
翌日水族館に行くと、近くの海で漁師の網にイルカがかかった。
弱っていて、海に返しても死んでしまうかもしれないけれど、どうするか?水族館で引き取るか?と問い合わせが来ていることを知った。
僕は、あのイルカに違いない!と思い、
僕が世話しますから、そのイルカ、引き取ってください!
と館長にお願いして、引き取ってもらうことにした。
水族館に運ばれたイルカは、だいぶ衰弱していた。
核心はなかったが、あのイルカじゃないかと思った。
しばらくして、元気になってきたそのイルカを、半人前の僕ではなく、先輩がトレーニングすることになった。
あのイルカは、ダメだなあ・・・
先輩たちが話をしている。
僕は、イルカのもとに行くと
君、もしかして・・・
と声をかけた。
イルカは僕を見ると、嬉しそうに顔を出してキューっと鳴いた。
やっぱりキミだったんだね。僕と一緒にショーをしてくれないかい?
とイルカの鼻筋を撫でた。
イルカは、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。
先輩は、そのイルカが僕のいう事なら何でも聞くのを不思議に思いながら、相性が合うみたいだから、お前やってみろ、
と言ってくれて、僕をそのイルカのトレーナーにしてくれた。
こうして僕は、毎日このイルカと過ごした。イルカとの日々は楽しかった。
でも、以前海で寄り添って泳いでいた頃が忘れられない。
本当は、海に帰りたいんじゃないかな?
本当はトレーナーとイルカという関係ではなく・・・
僕は何を願っているんだろう・・・
僕はどうしたら・・・
そんなある日、台風がやってきた。
台風は、予想進路を変えて、急にやってきたので、僕達は慌てて小さいボートやポールなどの固定をしたり、ネットの確認に追われた。
その時、にわかに強い突風が吹いて、僕はプールに落ちてしまった。
そして運悪く、ボートのへりに頭を打ち付けてしまった。
遠くなる意識の中で、あのイルカが僕のところにやってきたのがわかった。
「私が絶対助ける!死なないで!」
イルカがしゃべった気がした。
イルカは、僕の下に入って、必死に僕を持ち上げようとしているようだった。
もういいよ・・・ありがとう・・・
その後の意識はない。
僕は、夢を見ているようだった。
僕はあのイルカと共に、以前のように青い海で楽しく泳いでいた。
でも気が付くと僕が一緒に泳いでいるのはイルカではなく、初めてイルカを見た日に海で見かけた女の子だった。
あれ、どうして?
と思った瞬間、僕はゲホッゲホッと咳込んで、気が付いた。
僕は、プールサイドに投げ出されたような状態で、倒れていた。
台風の雨が、激しく全身を打ち付けていた。
イルカは?
僕を助けてくれたイルカは、僕の横で・・・?
本文ここまで。
このお話は、下のお話のスピンオフのお話になっています。
イルカは、彼助けた後、どうなってしまったのでしょうか?
久しぶりに、イル恋の世界に戻ってきました。
これは、シロクマ文芸部さんの企画
「夏の雲」から始まるお話に参加したものです。
夏の雲といわれて、ある夏の日に出会った青年とイルカのお話を思い出しました。
「イルカの恋は涙色」
出来れば、kindle本を読んでいただきたいところですが、kindle Unlimitedに入っていない方は、マガジン「mikujiの「お話の世界」に元原稿が入っているので、そちらでもお読みいただけます。
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