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鎌倉に行ってきました 1

土曜日は、鎌倉に行ってきました。
観光ではありません。
鎌倉の叔母のところに行きました。

軽自動車に、父と妹とその子供を乗せ、一人運転で行って来ました。

今回は、父と叔母がもうずいぶん長く会っていないと言うことと、先日祖父(父や叔母の父親)をモデルに書いたお話をプリントして、叔母に渡すことが目的でした。

事前にちゃんと表紙を作り、巻末には、実際に祖父が乗っていた船をネットで探して印刷しました。

表紙

もう94歳になる叔母は、なんだか背が小さくなった気がしましたが、喋りは元気いっぱい!
さらに年上の叔父も、可愛いおじいちゃん、という感じでした。

いとこたちと会うのも、本当に久しぶりで、すごく嬉しかった。
私よりは結構年上の三兄弟でしたが、よく遊んでもらっていたので、昔は会うのがとても楽しかったのですが、祖母が亡くなってからは会うこともなかったのです。

昼食後、会話が弾む父と叔母達を残して、父と私と妹と甥っ子は、従兄弟の一人に鎌倉大仏に連れて行ってもらいました。

大佛って…  寺名じゃないんだ…

ワクワク…

仁王門があります。
どこもかしこも外国人で溢れている。

大異山?
なんて読むのでしょう…

鎌倉大仏に行くってみんな言いますけど、ここは、高徳院こうとくいんというお寺です。

仁王門をくぐり進んでいくと、青空の下、大きな大仏様か姿を表します。

小学生の頃に来た以来だったと思います。
確かに見覚えがある…
今もしかしたら、写真の記憶かもしれないけど。

人がいっぱいいますが、ほとんど外国人です。

近くに行くとさらに大きい

鎌倉大仏の正式名称は
「銅造阿弥陀如来坐像」です。
1252(建長4)から10年前後かけて作られたものらしいが、詳しいことはよくわかっていないらしいです。
現在は青銅色ですが、かつては、塗金で覆われていたらしいです。
当時は、仏殿の中に収められていたけれど、1300年代の台風で倒壊し、それ以降は再建されなかったそうです。

大仏様の周辺には、まるでベンチとして置かれたのでは?と思うような大きい平な石がいくつもある。

これは、昔の仏殿の礎石らしい。
多分多くの人は、そうとは思わずに座っているだろうな。

大仏様の台座を含めた高さは13.35m、重量は121t。
鋳造という方法で作られ、内部は空洞となっていて、大仏様の「胎内」と呼ばれています。

その胎内に入れるとの事で、入ってみることにしました。
大仏の側面から入るのだけど、入り口がとても狭い。

中の細い通路を進む

大仏の中は、意外に広い。
大仏様がいかに大きいかを感じます。
そして青銅の継ぎ目がしっかりわかりました。

真上を見ると、大仏の頭の模様があり、大仏様の胎内にいるのだなあっと実感できました。

体内の説明板です。

体内から出て大仏様の背後に回る

背中が開いているのは、内部の灯り取り?
ここは開いているけど、中は結構暑かったです。
夏場は暑くなりすぎるという事で、胎内には入れなかったそうです。

この後ろ側に行く人はあまりいないのだけど、行ってみると建物がある。
「観月堂」というらしい。
お月様を見る建物?

ちょっと変わった感じの建物だなあと思っていたら、15世紀中頃、漢陽(現在のソウル)の朝鮮王宮内に建築された建物だそうだ。
その後日本に渡り、大正13年に高徳院へ移築・寄贈されだそうです。

「観月堂」の中には、江戸後期の作品とみられる観音菩薩立像が安置されているみたい。
美しい観音菩薩様のようですが、中を窺い知ることはできません。

こうして鎌倉大仏を後にした私たちは、すぐ近くにある長谷寺に向かいます。
長谷寺といえば紫陽花が綺麗だという事ですが、違う季節には他のお花も咲いているようです。

長谷寺には今まで来たことはなかったので、楽しみでしたが、続きは次の記事にいたします。

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