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火がある

 俺の家に聖火が一時的に安置されることになって半年が過ぎた。

 半年。最初からそういう話だった。
 初めはどうしたものかと思った。家は借りたばかりの1Rアパート。元いた実家でも暖炉や竈とは縁がなかったし、流行のキャンプなんかに行って焚き火を熾した経験もない。扱ったことのある火といえば百円ライターとガスコンロ、あとは理科の実験で貸し出されたアルコールランプぐらいで、明らかに荷が重すぎた。
 半年燃やし続けるために必要な燃料は? 大家になんて言えば良い? 火災報知器はどうなる? もし止めたとして火事になったら?
 全て杞憂だった。大家は何も言ってこなかった。火災報知器は鳴らなかった。トーチに灯る火は放っておけば小さくなったが、飽きた本でも髪の毛でも、燃えるゴミでも燃えないゴミでも何かを焼べれば勢いを取り戻した。煙も上がらなかった。まるでそれさえも燃やすように。
 聖火なのだ。
 火の勢いと共に生活は安定した。どこぞから振り込まれる報酬は大した額ではなかったが、家賃を払い生活費を満たすには十分だった。買い出しと燃料調達に出掛けて帰ってくると、部屋の中央で燃えさかる聖火に出迎えられる気がして、心が和らいだ。夜にはさすがに眩しかったが、心なしか火勢が弱まっているようにも見えた。気を遣っていたのか、眠っていたのかは分からないが。
 聖火はみるみる成長した。俺はひと月ほどでリビングを追い出され、玄関で寝ることになった。もともと昼間は大学、家には寝に帰るような生活だったから不満はなかったが、近隣でかき集めたゴミでは火勢を維持できなくなったことには辟易した。やむなくゴミ処理センターに連絡すると、根回しがあったようで、トン単位のゴミを回して貰えるようになった。
 毎朝アパートの前にゴミを吐き出す収集車の列ができるようになった。しかし結局はそれでも足りず、ふた月が過ぎた夜、聖火はアパートを飲み込んだ。俺以外の住人はとっくに退去していたが、大家だけは別だった。友人と飲んでいた俺が慌てて帰って見た聖火は、大きさに反して悲しげだった。
 消防車が聖火を囲んでいたが、収集車の邪魔になるので帰ってもらった。
「俺の家に、聖火を安置してるんです。半年だけなんで」
 どうせ聖火に手は出せない。俺は向かいの家の塀に寄りかかり、温かい聖火を眺めながら眠った。いつものように。
 消防車を帰した意味はなかった。もうゴミを与える必要はなかったのだ。それからの聖火は日に一軒、そして徐々にペースを速めつつ家々を、街を飲み込んでいった。聖火はアメーバのように広がった。俺の家がどこだったのかも分からなくなったが、考えてみればこの辺りから出るゴミは全て俺たちが処理していたのだから、つまりどこも俺たちの家のようなものだった。
 俺は聖火とともに家の中を移動し、聖火が沸かす川につかり、海を泳ぎ、聖火の縁で眠った。聖火でBBQを試みた馬鹿を何度か見かけたが、全員が自分自身を焼くことになった。聖火なのだ。悪食でも気位は高い。
 聖火は東北六県を飲み込み、関東平野を覆い尽くした。そうしてようやく、半年が過ぎた。
 聖火は消えなかった。今やその頂上は成層圏に届き、青空を焦がしていた。
「なあ、半年って話じゃなかったか?」
 聖火は答えない。燃えさかるばかりだ。俺は辺りを見回した。まだ実の青い蜜柑の木に火が移りつつある。左手の富士山は、聖火よりずいぶん小さく見える。
「静岡だってよ。ここまで来ると正直、家って感じもしないな」
 いや、これはそうでもないか。地球を家に例える輩もいる。説得するには弱い。
「俺」の「家」に聖火が「一時的に安置されることになって半年」が過ぎた。
 残っている材料は。俺は煤一つない両手を見た。この半年間、何かの感情が存在することを証明するように、俺の体は綺麗だった。
「どうしたい、聖火。俺と一緒に尽きるか、それともまだ燃やそうか」
 俺は初めて、聖火の中に踏み込んだ。



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