原宿で暮らす(2010)

 「原宿で暮らす」というと、違和感としかいいようのないものをそこに感じてしまうのが普通だろう。「田舎で暮らす」だったり「郊外で暮らす」などと書けばとてもふつうの表現として受け入れられるけれども、原宿で、という地名がつくと、それだけでどうしても自然な言い回しではなくなってしまう。「都心で暮らす」というキャッチコピーの範疇には入るのかもしれないが、そこからもこぼれおちてしまうのではないか、という気がしてならない。暮らしの場としての都心が対象としているのは、決して原宿ではなく、つまり単純に、そこは人が暮らす場所ではない、ということなのである。

 しかしながら、そこは人が暮らす場所ではないだろうと感じつつも、去年は一年の三分の一ぐらいを原宿で過ごしていた気がする。というのも付き合っていた彼女が原宿に住んでいたからで、週末はほとんどそこに行っていたし、平日にも1,2回は山手線に乗ってあの雑踏を訪れていた。しかしそもそも、僕も彼女も積極的に原宿という場所を選択したというわけではなかった。彼女が住んでいたマンションも、もともとは彼女の兄が暮らしていて、長いことその部屋を空けていたから代わりにその期間を妹(彼女)が住んでいた、という事情があっただけであって、ふたりとも「原宿に住みたい!」なんていう欲求があったわけではない。ほんとうにたまたまそこが寝て起きてご飯を食べる場所になっていた、というだけであって、それ以上でもそれ以下でもなんら特別な意味はまったくなかった。

 竹下通りのすぐ裏手にあり、駅から徒歩2分という最強の利便性を誇るその部屋は、たしかに都市としての交通的なメリットにはあふれていた。パーティーが渋谷であれば歩いてでも行けたし、馴染みの高円寺に行くにしても僕が住んでいる登戸に比べればご近所きわまりない感覚であった。自分たちのレギュラーパーティーを月イチぐらいでやっていたカフェには歩いて5分だったし、クラブ・カルチャーに身を置く人間として遊び倒すにはもってこいの環境だろう。しかしそれは正確には「暮らし」ではないのではないか。ただ単に遊ぶのに大変楽チンなだけであって、そこで「暮らし」というものをいざしようとなると、それはそれは不便なことがたくさん出てきたのだった。「原宿で暮らす」という表現がどうにものみこめないのはそういうところである。「原宿で遊ぶ」「今夜は原宿に行く」となれば、どれだけストレートな言語表現として通りがいいことか。

 まずスーパーが近くになかった。日々のご飯を買おうとおもえば10分強を千駄ヶ谷方面に歩いて生協に行くしかない(まあ、さほど遠くはないけれども)。それもスーパーとよべるほど大した大きさのものではない。ちょっと気を入れて日用品の買い物をしようと思えば代々木まで行くしかなかったし、わざわざ下北まで行って重い買い物袋を抱えて帰ってきたこともあった。気の狂う様な雑踏を歩いて表参道の東急ストアまで行く気はさらさらなかったし、つまり、お手頃な値段で日々を送るための商品群へのアクセスは格段に悪かった。

 その反面、それなりにお金はかかるけど外食をするには全く困らなかった。おいしそうなお店は(原宿駅前周辺以外の)そこかしこにあって、カレー好きとしてはそのチョイスにまったく困ることはないし、和洋中、次はこれかなと、そういう選択肢にはまったく事欠かなかった。ちょっと不満なのは落ち着けるカフェがたいしてないことで、どこも騒々しいし、ゆっくりたばこを吸って本が読めるようなスペースは北参道方面のフレッシュネスバーガーと、「tas yard」というオーガニックでグリーンな僕の人生史上ナンバーワンにうまいコーヒーが飲めるお店ぐらいのものだった。

 しかし結局のところ、一般的なイメージとしての原宿という街はどうしても竹下通りに集約されていることに疑いはないものだった。だがあれがあってはまったくおだやかな生活は成り立たない。休日のゆっくりした散歩には絶対的に不適格。騒音は部屋にまでどうしても響いてくる。落ち着く、ということの対極にあるような街の環境。
だとすれば取る手段はひとつしかなかった。

「竹下通りは存在しない。」

 ふたりのなかの地図からあの街路を抹消しさえすればよいのだった。だから原宿駅は使わない。最寄り駅は北参道であることとして暮らす。もちろんそんなことを現実的に完璧に履行していたわけではないけれど、そのように空想することで、ちょっとは素敵な原宿が現前するのではないか、という感覚に浸るのが好きだった。朝の9時から夜の9時までは竹下通りを出歩かない、というふうにするのだけでもよかった。正月だというのに行列しているクレープ屋には、辟易というまではいかないけれどちょっと信じられない感想を抱いた。「あんなもん食べてるとバカになるよ」というのが彼女の口癖だったが、もはやケミカル・スイーツとでも呼ぶにふさわしいあの甘ったるいフレーバーを毎日嗅いでいると、食欲というものを生真面目に理念的にきちんと考え直さなくてはならないななどという妙にまっすぐな思いにもとらわれそうになっていた。だからせめてふつうの野菜がふつうに買えるふつうのスーパーのふつうのありがたみというものが身にしみていた、ということなのかもしれない。歩いて10分はそう遠くないとはおもうけれど、あの生協がとても貴重な場所であったように感じたのはたぶんそういうことだろう。

 「竹下通りは存在しない」ということにすれば、原宿はとても雰囲気がいい。とちょっとは思えてくるもので、国立能楽堂は近いし、ワタリウム美術館もすぐそこだ。ちょっと古めかしい渋谷区中央図書館もきちんとある。気の利いたレコード屋さんもインテリアショップもいくつかみつけたし、明治神宮も代々木公園も(代々木から迂回すれば)すぐである。明治神宮の森なんて、夏にはヒグラシの鳴き声が聞こえてきたりもする。秋口には千駄ヶ谷方面の神社で薪能を堪能することもできた。が、とどのつまりナイスなチル・スポットは北参道か千駄ヶ谷か代々木なのであった。とすると、「竹下通りは存在しない」は、「原宿は存在しない」と同義になってしまうのだった。あ、これはどうしたことか。ぼくたちは原宿で暮らしていたのではなかったのだ。それでも原宿は好き・・・かどうかは断言できないが、とりあえず好き、と言っておこう。ネガティヴであれポジティヴであれ、ノイズまみれの都市空間からはいろんな想像力の種をゲットできる・・・というのはひとつの大きな収穫ではある。

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