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ウクライナで日本人研究者によって行われた甲状腺スクリーニング検査の論文―過剰診断の被害を軽視して医学倫理がないがしろにされているのでは?

2024年7月にRadiation Environmental Biophysicsというドイツの放射線生物学の雑誌に掲載された、長崎大学の論文について議論したいと思います。タイトルは「Thyroid ultrasound findings in young and middle-aged adults living in the region of the Chornobyl Nuclear Power Plant」です。ウクライナで若年から中年の方に甲状腺超音波検査を行った結果を報告した、短報論文です。https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/39031188/

今回この論文をSCOのノートで取り上げることにしたのは、論文のデータに関する議論考察に問題があると考えられたこと、そして論文に記載している研究に倫理的な問題点があることが主な理由です。そしてこれらの背景について考察し記録に残しておく必要があると考えました。

1)論文の概要 

 ウクライナで、チョルノービリ原発事故の前に生まれた方(放射性ヨウ素の被ばくがあった可能性がある方)と事故後に生まれた方(放射性ヨウ素の被ばくはなかった方)の二つのグループに対し、2019年から2021年に甲状腺超音波検査を行い、その結果を福島の甲状腺検査の分類であるA1、A2、Bに分類して集計した結果を報告しています。5㎜以上の結節もしくは20㎜以上ののう胞があるB判定の人の割合は、年齢とともに増加し、20歳台前半の10%程度から、40歳台になると30%程度に、年齢が上がるにつれて徐々に増加することがグラフで示されています。そして相対的に年齢が高い被ばくしたグループ(33歳から44歳)は全体で24%がB、相対的に年齢が低い被ばくがないグループ(22歳から33歳)では13%がBでした。筆者らは被ばくがあったグループの方が被ばくがないグループよりもBの割合が有意に多いと記載しています。そして考察では、被ばくのないグループでもBが多く見つかるため、今後福島の甲状腺検査においても検査を長期に継続し、様々な条件を一致させて被ばくしていない対象を含めて検査を行う必要があると結論付けています。ウクライナでは被ばくしていなくても結節性病変はたくさん見つかったので、福島でも検査の継続が必要であるという論理のようです。

2)論文の問題点ついて

① 結果と結論の解離

 本論文の結果から分かることは、被ばくがなくても甲状腺の結節性病変はたくさん見つかり、それは年齢依存性であるということです。被ばくのある・なしでグループ分けをし、被ばくのあるグループで有意にBが多いと記載していますが、これは被ばくの有無ではなく、被ばくのあるグループのほうが、ないグループよりも年齢が高いことと関連しています(論文で示している図がそれを明らかに示しています)。
 今回示されたデータは、ウクライナの被ばくのない人たちにも結節性病変が年齢依存性に見つかることを示していますので、被ばくした人たちの結節性病変の中にも被ばくとは無関係のものがたくさん含まれるということを意味します。今回の論文はのう胞と結節を分けたり、良性結節と悪性を区別しないで解析していますが、結節性病変の中にはある一定の確率で甲状腺がんが含まれますので、がんも同様に、両方のグループから発見されていると考えるのが妥当でしょう。つまり、被ばくした人の甲状腺がんの中にも、被ばくとは無関係のものが含まれているであろうと推察されます。筆者らの結論は被ばくがなくても結節が発見されるのだから、福島の甲状腺検査は継続的に必要であるとなっていますが、なぜそういう結論になるのかが記載されていません。初めから結論ありきで結果を利用したのではないかと考えざるを得ません。

② 研究の背景、目的の不透明さ

 筆者らは論文の緒言の中で、福島県の被ばくした地域住民の中で、乳幼児だけが甲状腺がんの生涯リスクを高めると予測されていると記載していますが、その根拠となる論文が引用されていません。福島の被ばく線量で甲状腺がんのリスクが高まるという予測はされていないにも関わらず、あたかもリスクがあるように記載しています。さらに、過剰診断の議論はあるものの、甲状腺がんと原発事故との関連は慎重に考察されるべきであると記載して、その引用論文として、Ahnらの韓国の過剰診断の論文と、IARCの提言の論文を引用しています。どちらの論文にも、甲状腺がんと原発事故との関連について慎重に考察が必要という記載はありません。さらにこの論文の緒言では、甲状腺の超音波スクリーニングが甲状腺疾患の検出に及ぼす影響は、まだ明らかにされておらず、長期にわたる超音波スクリーニングキャンペーンの結果も重要であるとしています。しかし、甲状腺超音波スクリーニングは過剰診断を発生させることは明らかであり、そのため原発事故後であっても推奨されていないにもかかわらず、ウクライナで2019年から2021年に、甲状腺超音波によるスクリーニング的な調査研究を行う合理的な論拠は、この論文の緒言では述べられていないのです。

③ 過剰診断とその害に関する議論の欠落

 本研究の対象者は症状のない成人であり、チョルノービリ原発事故時に生まれていたとしても、超音波によるスクリーニング検査は推奨されないものです。本論文の対象者も症状があるとは記載されていませんし、状況から考えても症状のない人でしょう。そのような人に10-30%もの結節性病変が発見されたわけです。そしてそのほとんどは一生症状を出さないものであり、この調査に参加しなければ一生認識する必要のなかった所見です。しかし、結節があった方は、良悪を問わず、がんかどうか、治療しなければならないのか、原因は何かについて心配をし、本来必要のない精密検査や経過観察うけることになります。そして被ばくがあるグループでは放射線との関連について、長期に悩んだり、セルフスティグマにつながったりします。つまり今回の調査研究で過剰診断とその経験の害が生じたのです。すでに推奨されない調査を行って、その害が生じていることについて、結果や考察で一言も触れずに、検査継続の必要性を述べています。研究倫理に基づいて行われていないことを指摘せざるを得ませんし、災害下の研究で必要とされる行動規範にも則っていないのではないでしょうか?

④ 倫理審査に関する疑問

 この研究は長崎大学の倫理審査で承認を受けたと記載があります。ウクライナで行われた超音波検査について、長崎大学がどのような倫理審査を行ったのでしょうか?甲状腺検査を行う前に、対象者にどのような説明がなされ、どのように同意取得を行ったのでしょうか?原発事故直後と違い、甲状腺超音波検査によるスクリーニングは様々な機関から推奨されないとされているにもかかわらず、検査を行うわけですから、本来倫理委員会はそのような申請は認めていけないですし、百歩譲って検査を認める特殊な状況があったとしても、過剰診断の害についてもしっかり説明した上でなければ、検査の実施は倫理的に許されないはずです。あるいは検査実施はウクライナの病院等で実施され、そのデータを利用して研究を行うという倫理審査のみ、長崎大学が行った可能性もあります。このようなやり方は倫理審査がなされているように見えて、実は過剰診断という最大の問題点の倫理審査を行わずに研究を進めていることを意味します。

⑤ 戦時下に関する記載

 この論文の最後には、ウクライナでは2022年2月からのロシアの軍事侵攻により、このような調査研究に困難が生じているが、それでもなおチョルノービリ原発事故による甲状腺被ばくの晩発影響を理解するために、縦断的研究を熱心に行わなければならないとの記載があります。優れた研究であったとしても、戦時下などの社会状況によっては継続を断念せざるをえない場合もあるでしょう。一方、甲状腺検査のようにメリットが明らかではなく、害が生じる調査研究を、「行わなければならない(must be diligently pursued)」と記載して、戦時下の方々に、さらなる負担を強いることの残酷さに、筆者らは気付いていないのでしょうか。

3)背景にあるもの

 様々な問題点を述べてきましたが、なぜこのような研究が継続して行われたり、研究論文として雑誌に掲載されたりするのでしょうか?今回の論文に関しては資金の記載は日本の科研費が一つ記載されていますが、ウクライナでこのような規模の超音波検査を行うためには、機材や人的な資源、つまり大きな資金が必要です。科研費だけですべてをまかなうことは困難でしょう。かつてのチョルノービリ原発事故後の甲状腺超音波検査に関する調査研究の多くは、日本やその他の国々からの経済的支援があって行われたものです。これらの支援には公的なものも、その他のものも多数ありますが、NPOやNGOなどの中からいくつかの例をあげると、チェルノブイリ医療支援ネットワーク(https://cher9.org/)、笹川保健財団(https://www.shf.or.jp/)、チェルノブイリ救援・中部(http://www.chernobyl-chubu-jp.org/)日本チェルノブイリ連帯基金(https://jcf.ne.jp/)などがあります。チョルノービリ原発事故が生じた頃の現地は東西冷戦直後で医療資源に恵まれてはおらず、少なからず他国の支援が必要であったと思います。これらの経済的支援、物理的・人的支援は確かに感謝され、称賛されるに値するものでしょう。しかし、これらの支援には付随した利権のようなものも発生しました。チェルノブイリの英雄と称される人たちは、これらの支援から生じる科学的・医学的事実を、自らの研究業績として蓄積することになりました。それ自体責めを負うべきことではないかもしれません。しかしこれらの資金を受けて支援として行われた研究は、徐々に「戦略的」に行われるようになりました。例えば、マイナスが生じても支援であるので仕方がないと思ってもらえる状況を利用したり、害が生じてもそれはタブーとして抑制したり、今回の論文のように、出てきたデータを無理にでも調査研究を継続する方向に結び付けたり、というように。チョルノービル原発事故後の甲状腺検査でも過剰診断は生じ(今回の論文はそれをはっきりと示唆しています)、地域住民はその害を経験してきたはずですが、研究者たちは支援や調査を見直したり、よくなかった点を反省し改めたりすることなく、「いいことをしてあげている」と住民に感じさせながら、様々な支援団体から資金を得続け、長い間、戦略的に研究を行ってきました。

4)最後に

 この論文のデータから分かることは、被ばくのあるなしに関わらず、甲状腺超音波検査をスクリーニング的に行うと、良性悪性を問わず、多くの過剰診断を引き起こすということであり、そこから導かれる結論はIARCの提言で示されている通り、被ばくがあっても甲状腺超音波によるスクリーニングは推奨されない、となります。それにもかかわらずこのデータから福島の甲状腺検査の継続が結論付けられることの背景に、3)で述べたような背景があるのでしょう。福島の甲状腺検査も莫大な資金が投入されており、そこから生まれてくる研究業績は研究者にとって大きな魅力なのでしょう。そして「見守り」という名目で過剰診断から目を背けさせて行われる調査によって、無意識に住民はそれに感謝し、自ら任意で検査をうけるように誘導するような戦略が敷かれていることに、恐怖を感じます。