ぼくの自転車
高校1年生の冬、この自転車を買った。
当時、まわりの友達がアルバイトをして原付を手に入れてる中、ぼくは自転車だった。ママチャリじゃなくて、ドロップハンドルでタイヤが細く、軽い自転車。
原付が欲しかった。はやいもん。
当時のぼくにはかっこよく見えた。16歳の特権。
DuoとかToday。とくに榮倉奈々さんのファンだったぼくはTodayを買うと心に決めていた。ビックスクーターなんて高望みはしないさ。
でもお父さんにバイクはダメって言われた。
そもそも免許も取らせてもらえなかった。
ただそれだけ。
そんなの無視して免許取ってバイトして原付買えばよかったじゃないか。という人もいるだろう。
その通りだ。県立の公立高校だったし。ぼくを縛る校則もない。
でもその当時のぼくにはその勇気がなかった。
お父さんがルールで、破ったときに食らう代償があまりにも大きくて本当に怖かったから。思春期の生命線とも言える携帯を止められたら生きていけない。
でも自転車は買わせてくれた。ずっと貯めてたお小遣いとお年玉を使って。その頃のぼくには大金だった。今もだけど、10万近くしたから買うのは緊張した。
でも新しくなにかしたくて買った。
ずっと続けてきたサッカーに挫折した高校1年生の冬だった。
新しいおもちゃを手に入れたぼくは毎日のように愛車とともに出かけた。速かった。軽かった。ママチャリってなんだったの?
前輪のブレーキを急にかけると後輪が浮いて(ジャックナイフ)顔面からこけたこともある。鼻の下、真っ赤。長沼の信号だった。たしかゆうきと一緒だったフットサルの帰り。
速いチャリってすげーなって思った。
何キロ出るんだろう。
スピードメーターをつけて、小山台の坂道で試した。
近所でも有数の長いこと続く坂道。
ノーブレーキで、なんならギアも一番重くしてペダルも漕いだ。
最高時速50km。
ビビった。怖かった。大袈裟かもしれないけど、こけたら手とか足とか取れると思った。100%どっかの骨は折れる。
後になって思い出した。
親父がバイクを認めてくれなかった理由。
自分の意思に反して
手の一捻りで出てしまうスピード。
頭のてっぺん以外は生身のカラダ。
車みたいに自分を守ってくれる鉄の塊はないこと。
これで事故でも起こした日には三途の川。
見れればまだ良いほうだ。
そう思ったとき、妙に納得感があった。
(バイク乗ってる人ごめんなさい、周りに気をつけて安全運転すれば大丈夫だと思ってます。)
諦めもあったけど、それ以来、父とそういう話でケンカすることはなくなった。
その後、大学に入学してアルバイトが解禁され、無事に車の免許が取れた後、10万キロ、20万円の日産ローレルを買いたいって言うまで。
今もだけど、FR,MR, RRの車が正義で、後輪滑らせられないFFの実家のウイングロードなんて乗りたくなかった。当時のぼくは頭文字Dにハマっていた。S2000。(ホンダ←
車の話なのかチャリの話なのかわからなくなってしまったが、チャリです。
車の免許を取ってから約10年ほぼチャリは乗ってなかったけど、鎌倉に越してきた今が一番使ってるかもしれない。さすがにタイヤもサドルも新調したけれど。
そんな思い出が詰まった自転車、
これからもぼくのことを気持ちが晴れやかになる湘南の海まで運んでくれ。
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