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洗濯物と失礼なこと

こんにちは、まきのです。

洗濯物を干す時に「あっ」と思ったことがありました。


裏返り、まるまる洗濯物

私のパートナーは洗濯物を出す時に、靴下が裏返っていたり、まるまっていたり、Tシャツの片腕だけ裏返しだったり、ズボンも片足だけ裏返ってるとか、フリーダムに出します。

私も、自分が脱いだものが裏返しなままでも洗濯カゴに入れたりするので、特段気にしていませんでした。


…と言うか、気にしていないつもりでした。


洗濯を干す時、昔は裏返ったものは表に戻し、まるまったものは広げて干していたんですが、この数年はパートナーの分だけは裏返しで出したなら裏返しのまま干して、そのまましまうようにしていました。

(まるまったのは、流石に乾かなくて困るので広げるんですが)


気にしてないつもりで、「めんどくさい」と気にしてたんですね実は(笑)


私の癖

ところで、私の癖に「もし文句を言われたり、咎めたりしたらどういう言い訳をしようかを先に考えておく」というものがあります。


よっぽど自分のやることに…というか自分に自信がないんでしょう。

そして、責任をとることからも逃げようとしている。

予防線を張ることも多いです。


この洗濯物の件も、干す度に「咎められたらこう言い返す」というのをシミュレートしていることに気がつきました(笑)

干す度ですよ、ほんっとにむだなことかんがえてるなあ。


まず

「どうして裏返しのままタンスに入ってるの」

などと言われた場合。


これは、ただ「どうしてなのか?」を聞いている文言に見えますが、私の中では「裏返しのままタンスに入れるな」と文句を言われたと受け取っています。

そしてその言い訳は

「だって洗濯するのはほとんど私なのに、そのことに全然配慮してないでしょ?
裏返したままだったり、まるまったままだったり、洗濯してくれる人に対して失礼だと思わないの?」

です。


これ、自分の正義を相手に押し付けてるし、「なぜ裏返ったままタンスに入っているのか」の答えではないんですが、今回は主題から逸れるのでとりあえず置いておいて(笑)


これに対して

「お前もそうだろ」

と言われた時の言い訳まで用意しています。


「私が洗濯するんだから、私のものなんてどうでもいいでしょ」


いつもは、脳内でそんなシミュレーションをしながら洗濯物を干して終わっていました。書いてみるとなかなかヤバイ気がします(笑)

ちなみに、いままで一度も咎められたことはありません(笑)


ところが、今日はここで、自分自身に失礼なことをしているのでは…と唐突に思ったのでした。


私、自分に失礼な事してるんじゃないの

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どこが失礼じゃないかって思ったかわかりますか?

簡単ですよね。


「私のものなんてどうでもいいでしょ」です。


私、確かに自分のものは裏返っていようと「自分のものだしどうでもいい」と思ってたんですが、この「どうでもいい」ってのが、自分にめっちゃ失礼だと思ったんです。

しかも、どうでもいい理由が「自分のものだから」って。


他人に「あんたのものなんてどうでもいいわ」なんて言ったら超絶失礼ですよね?

その人が、どのそれに対して、どのくらい価値を見出しているかもわからないのに。


でもその対象が自分になると、途端に失礼に感じなくなるのって何なんだろうなあって不思議に思いました。


自分は無価値

自分のものだから、どうでもいい。

自分のものだから。

私、本当に自分に価値を見出せないでいるんだなってつくづく思いました。


・私のような者が持っているものに、価値はない。

・私が手に入れられる程度のものに、価値はない。


なんか、こんな感じの思考っぽいんです。

それは、私に価値がないからそう思うみたいで。


毎日毎日、私は「自分は無価値ッ!!」と脳内シミュレートしてたと思うとなんだかアホらしいと言うか、悲しいと言うか、それほど根深いと言うか…。


自分に対してだけじゃない

それに、私ごときに手に入るもの…みたいに思うなんて、その対象物を作ってくれた人たちにも大変に失礼だと気づきました。


これはいつぞや水紀華さんがおっしゃっていたことから思い出したんですが。


自分が作ったものだとしても、0から作ってはいませんよね。

原料があるはず。


例えばぬいぐるみを作ったとして、その完成したぬいぐるみは私が作ったものでも、生地や綿、糸、ミシン…。

さらにはそれらの元となる綿花や、ミシンを後世する小さな部品たち。


畑仕事で1から作物を作りましたという場合でもそう。

その土、誰がそこに用意してくれました?

種や肥料は?水は?日光は?


たくさんの人たちの手や自然よって、ある程度形作られたものから、自分は生み出しているんですよね、本当に。

決して「私ごときが」と言う理由で貶めていいものではないんだ。


まとめ

私はもっと私のことを大切にしていいし、それがその先のたくさんのことに感謝することにもつなげられるのかもなあ…なんて思いました。


それにしても、洗濯物ひとつでここまで考えられることがあるのは面白いです(笑)

いつも普通にやってたり、無意識に繰り返している考え事なんかにふと気づくタイミングが訪れるっていうのも、なんか不思議な感じ。


あるものもないものも、思いつくことも思いつかないことも、全てご縁で、全てベストタイミングで発生するってことなんだろうなあ…


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