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マシュマロ:10年半もすごい

こんにちは、まきのです。

いつもマシュマロ本当にありがとうございます!

10年半も同じ...


私もびっくりです(笑)


これまでの私

最初は対面接客型のバイトが多かったです。

個人経営の喫茶店

コンビニ

ゲームセンター

今年閉園を伝えた某遊園地

知らぬ人はいない某テーマパーク🐭

🐈がメインキャラのテーマパーク

メイドキャバ

携帯ショップ

デパ地下

でも、どれも長くて大体2〜3年で辞めてました。


10年半続いた仕事

嫌だ嫌だといいながら、契約社員として10年半。

主にコールセンター を運営する企業でした。

電話の仕事で対面ではないのですが、どうもこれが合ってたみたい。


契約社員という名のアルバイトで、時給は当時1,000円、交通費なし。

それでも、これまでやってきたバイトの時給より良い金額だったし、電話とるだけで1時間1,000円ももらえるなんて楽チンでいいや、なんて思ったのが、入社時の本心です。


私が入社したのは平成20年、2008年6月ですが、この時の東京都の最低賃金は766円です。

ちなみに現在は1,031円ですね。


最低賃金をみてもらえば、1,000円の時給が当時は結構魅力的だったのがわかりやすいでしょうか(笑)

交通費が出ない点については、うちから初乗り運賃でいける範囲だったので、当時は気にしていませんでした。


さて、ここから先は結構自分語りになっちゃうんですが、自分の振り返りがてら書いていきたいと思います。


いいなり

入社して2ヶ月くらいのころ、上席から「クライアントに出向してみない?」と打診を受けました。

1ヶ月は研修期間だったので、デビューして1ヶ月そこいらのペーペーをクラアントに出そうなど、よく考えたな…と思いますが、たとえ「うまく使える駒」としてでも嬉しかったのを覚えています。

この時、今以上に自己肯定感や自己信頼がなかったので

「次の更新はないかもしれない」
「首になったらまたしごとを探さないといけない、面倒だ」

などと考えていて、いろんなことを、言われるがままに引き受け、対応してきました。


社としては、依頼事を断らないのでより一層使いやすい駒と認識されていったと思います。

NOと言わないため、あれよあれよと当然首が回らなくなり、体調を崩したりもしました。

人に頼ることもほとんどしませんでした。

「私の方ができる」
「教えるのが面倒臭い」
「いうよりやっちゃう方が早い」

と、ずっと思っていたからです。THE・傲慢(笑)


悪いことばっかりではない

大体5年くらい経過したあたりだったかな、私のわがままをかなり聞いてくれるようになっていました。

シフトも本来9時−18時とかある程度枠が決まっているのに、最後の方では10時ー16時とか、10時ー15時とか、「明日休むけど明後日行く」とか、相当自由にさせてもらっていました。

退職の前年には、上席との面談で「今時交通費がないっていうのも珍しいと思っている。」と言ったら、私だけ交通費を出してくれるようになったり。

(ちょうど、全社的に対応を検討していたということもあったみたいです)


でも、「そのくらいわがままを言われても置いておきたい駒」と思ってもらえたということなので、言われるがまま従っていた当時の自分、よく頑張ったなと今は思っています(笑)


なんでやめたん

時間もシフト変更も自由。わがままを聞いてくれて10年半も勤めた企業。

普通なら辞めないんじゃない?ってよく言われます。


詳細は思い出せないんですが、確かようこさんランさんのとある講座かキャスかで、以下のようなお話を聞かせていただいたことが、私が退職を意識し始めたきっかけでした。

「不満があっても、そこにいることを選んでいるのは自分」
「環境は秒で変えられる」
「関わる人は本当に大事」
「全ては自己責任」
「責任が取れるのならば何をするのも自由」


そうか、私は自分選んでここにいるんだなって。


不満

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当時の私には不満がたくさんありました。

・仕事を手抜きしている奴がいる
・人の話を聞かずに周りに責任を押し付ける奴がいる
・自分を正当化し周りを攻撃する奴がいる
・パワハラ(対象は自分ではなく同僚が被害に遭ってた)
・どのチームもキャパオーバーなのに、上司はチームの効率が悪いとしか言わずに向き合ってくれない
・やってる仕事に対して対価が見合わない

あげたらキリがないです(笑)


でも、華さんを知ってから

・全ては自分が引き寄せている
・起きていることは自分の鏡
・人それぞれ、好き嫌いも、良し悪しも、常識ですら異なる

と言うことがだんだんわかってきて、その辺りから周囲への見方や対応の仕方がが変わっていっていました。

そして、ようこさんやランさんのお話を聞く機会を得て、「全ては自分がその環境に身を置いている自分の判断の結果である」と、知りました。


とどめ

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退職の意思を決めたのは19年12月半ば。

上席からとあるチームに対し、さらなる仕事の増加の打診があった時です。


そのチームはすでにキャパオーバーでした。

ほぼ毎日、何時間も残業してくれるチームメンバーのおかげでギリギリ保っているような状態。

「無理ですよ」と伝えても、聞き入れていただけませんでした。


私自身、上席にどのくらい無理な話なのかを理解してもらえるような対応ができていなかった力不足があるのに、そこから目を背けて「ここはもうダメだ」と絶望したのでした。


さらには、私の先輩の対応。

自分を棚に上げ、自分がいかに大変かばかりを伝え、自分から首を突っ込んでくるくせに「私になんでもやらせる!」と文句をいい、八つ当たりをする。

私は現場を管理する立場にあり、その先輩より上に立つポジションでした。

なので、八つ当たりされている人と先輩の間に立って、間を取り持つなども必要でした。


先輩はもともとLINEグループ仲間だったのですが、その人からは私も散々八つ当たりされて、周囲に「関わりたくない」とはっきり伝え、LINEグループからも抜けていました。

1言えば100返さずには済まない。

自分がいかに正しいかを主張しなければ気が済まない。

そんな先輩。


他人は変えられない。

そして、管理者だからきっと守れると傲慢を抱いていた私。

でも実際は関わりたくない一心で、自分の保身のため全く動きませんでした。


会社に対する勝手な絶望と、先輩の怒号を聞きたくないことで頭がいっぱいになり、退職を決意したのでした。


やめてよかった

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実際のところ、今楽ではありませんが辞めてよかったです。

楽ではないのは、

・借金があるのに無職になった

・パートナーからエンジニア()に理解を得られず殺伐とした空気

・副業のエンジニア()はパートナーの反対にあって休業状態。

と言うのが挙げられます。


でも、それも自分が選んだ結果。


そして、借金は、債務整理を始めました。

無職ですが、ありがたいことに失業保険を受けられました。

めでたく次の仕事も決まりました。

副業も、先方が大変寛大な心で「やってほしいことはいくらでもあるよ!」と言ってくださっています。

パートナーとの事は、やっと私自身決断もできました。


最後に

辞めたからこそ始められました。

辞めたからこそ経験できたことがありました。

辞めたからこそ知ったことがありました。


自分で決断したから後悔しないって、ほんとなんだーと思いましたね(笑)

ちょっと大変ではあるけれど、後悔は全くしてないんですよね、不思議と。


私、ようやく自分で自分を幸せにするって心が持てました。

皆さんのおかげです。


こうしてマシュマロ 投げてもらえると、私自身振り返りができて本当にありがたいです。

それにめっちゃ嬉しいですしね!


またよかったら、マシュマロ 投げてみてください!




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