見出し画像

20代を振り返って【前半戦】

こんばんは。きっとこのエントリーを書き終わる頃には日を跨いでしまう気もするけれど、カウントダウン2日目も書いていこうかな、と。

こんなこともないと振り返らないなぁ、と今回10年分の日々を振り返ってみているのだけれど(日記は一部実家なので、19歳から開始していたInstagramを頼りにw)、それはもういろんなことを楽しんでいたご様子で。
20代という10年間の偉大さを思い知っております。

まだ折り返しくらいまでしか振り返れていないので、今日と明日の2回に分けて、(一部備忘録感満載の自己満ですが)20代を振り返っていきたい。
今日は20歳〜24歳の5年間。

大学生〜入社前(20歳〜22歳)

今振り返っても若くて笑えちゃうくらいアクティブだった学生時代。
振り返れば、いろんなことに顔を突っ込んだり、いろんなところへ行ったり、いろんな展示/舞台を観たり、本当にたくさんのものに触れた時間だった。

訪れた国/都道府県(関東除く)

ー国内
 ・信州:長野(湯田中/軽井沢)
 ・関西:京都×4、大阪、兵庫(神戸/城崎温泉×2)
 ・中四国:瀬戸内海(福山×2/小豆島/直島)、鳥取、島根
 ・九州:福岡、大分、鹿児島(市内/指宿/屋久島)、久米島
ー国外
 ・香港
 ・トルコ
 ・フランス
 ・デンマーク

学生最後は3月ほぼまるっとフランスとデンマークで、何なら卒業式にも出ず(愛校心…笑)、入社直前に卒業証書をもらいに行くくらいには大満喫。
心地よいところは繰り返す節があるようで、京都・瀬戸内海・城崎温泉は機会があれば行っていた気もするし、今になっても好きな場所。

こうやって学生時代に時間を見つけてはいろんなところへふらっと出かけられていなければ、きっと今見えている景色も少し違ったものに見えたかもしれない。
自分の中の「居心地よい空気/土地」の感覚を持てたことは、今の私にとってとても大きな財産になっていると思う。

触れた展示/舞台

・21_21:未来を変えるデザイン展/デザインあ展/コメ展/単位展
・国立新美術館:AmericanPopArt展
・他:はたらきたい展/かないくん展
・劇団四季:Wicked
・自由劇場:ふたりのロッテ/壁抜け男/魔法を捨てたマジョリン

展示や舞台は社会人になってからもよく触れていたけれど、触れるようになったのはやっぱり大学生になってから。
21_21 DESIGN SIGHTの展示が大好きで、この頃は「次の展示、なんだろう?」といつも楽しみにしていたことを思い出した。
展示や舞台は、自分では見られないような価値観や感性を教えてくれる場所で、だからこそ「感じる」にフォーカスできる時間が刺激的で心地よくて、とっても好きだったんだなぁ、と。

活動いろいろ

この頃は本当にいろんなことをしていた。
学生団体に、インターンに、バイトに、カフェのお手伝いに、イベントの手伝い。朝から晩まで明け暮れて、父親が寝てから家に帰るという不良娘な日々も多かったなw
一方で、大学のゼミにあまり入れ込めなかった私は、ゼミを1年経たずで辞め、卒論を書くこともなかった。(他学部ゼミに入ったくせに1年でリタイアするもんだから、辞める際には教授に「後悔するぞ」って言われたっけな。今となっては良い思い出。)

でもそれくらい、高校生の終盤に初めて触れた「学外」という環境が、当時の私にとっては、刺激的で心地が良くて。
ゼミで読む論文は苦手だったのに、学生団体で自分のテーマ(1年目はDVについて/2年目はいじめについて)に関する論文は意外と読み進められたし、学生最後にはチャイルドファミリーコンサルタント講座も受けて、「学び」というものが嫌いだったわけではないんだな、と気付かされた。

この頃は、会社で新たな事業を考えることもあれば、自分で小さいながらイベントを企画して開催することもあれば、団体としてチームでイベントを企画して開催することもあれば、今振り返っても何に突き動かされていたかはよくわからないものの、本当に赴くままに動いていた。
この時に培われた能力や経験で今活きていることもあるし、この時の出会いによってたくさんの気づきをもらった結果、多くの考える機会に恵まれた大学生活でもあった。

ゼミを辞めた(し高い学費を払ってもらいながら必要範囲内の授業数しか受けなかった)選択や、赴くままにいろんなことをやって過ごした選択が、最良だったかどうかはわからないけれど、少なからず後悔はしていないから、All OKかな、とも思う。

入社後(22歳〜24歳)

「やりたいこと」がなかった私が選んだのが今の会社。
選んだ理由は「やりたいことはないです。でも、こんな人では在りたいです。」という就活の面接としてはNGでは…というような発言をした私を受け入れてくれた器量の大きな会社だったから。
「どんな自分であっても(多少生意気でもw)許してもらえたこと」ひいては「自分にとって居心地よく居られたこと」が当時の私にとってはとても有難かった。

入社時思っていたこと、については入社早々にこんなエントリーを書いていたので割愛。
「1年目を終えたわたしへ。」

入社して、学生よりは自由な時間が減ったので、旅行の回数は減ってしまったけれど、それでも国内はいろいろ行ったし、社内の有給促進制度を使って年に1度は国外(シンガポール/オーストラリア)に行けて、展示や舞台はあまり変わらぬ頻度で観に行けて、その点は会社の環境に感謝だなぁ、と思う。

今思えば、新人時代はとにかく生意気だったし、尖っていたし、失敗が怖かったし(新人なんて失敗してなんぼなのにね…)、必要されなくなるんじゃないかと思って「できない」と言うことも恐れていた。

そんな私が少しずつ変わり始められたのは、人生で初めて大切だと思えた同期の存在(いつも年上の人ばかりと一緒に居た私は、同期というものを全く重要視しないという、可愛さ0%な発想だった)と、そんな生意気な小娘に向き合ってくれた先輩と、そして学生時代から支えてくれていた大事な人たちのおかげで、彼らが居たからこそ口だけでなくちゃんと手足も動かして成果を出し始めることができた2年目だった。

彼らが居なければ、私は今も生意気なままだったかもしれないし(もちろん今も多少なりとも生意気さは残るんだけども)、できない自分を認められずに居たかもしれないし、それが行き過ぎていたら周りも離れていって、独りぼっちだったかもしれない。

「なぜ彼らは見捨てず向き合ってくれたのだろう」と思うんだけど、今振り返れば(他にも理由はあると思うが)「生意気なわりに素直」だったからなのかもしれない。
生意気であることもわかってる、できない自分を認められないこともわかってる。でも変われない。それが悔しかったし、辛かった。でもそれって最終的には自分がどうにかするしかなくて。
周りからもらう言葉さえ強がって突き放していたら彼らは離れてしまったかもしれないけど、周りからもらう言葉を(そこから変わるまでには時間がかかるとしても)素直に受け止める人間では在った気がしていて、だからこそ彼らは変わる可能性を信じて/変わりたいという私の意思を尊重して、向き合い続けてくれた気がする。

明日は後半戦へ

今振り返っても、20代前半は、まだまだ青くて、一生懸命な日々だった。
スカしたつもりで居たんだろうけど、すっごく頑張ってたんだろうなぁ、と今なら思える。
今もなお器用ではないけれど、この頃の器用貧乏さを思えば、少しは肩の力が抜けてきたのかもしれない。

明日は20代後半戦。どんな気付きや変化があったのか、自分でも振り返るのが楽しみだなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?