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過去を振り返る。

本当に幼い頃は 父親がスナックで呑んで帰宅する前に、母は私と弟を連れて二階の部屋に籠り「大丈夫だからね」母は言い、私達を抱き締めていた。
何度もテーブルをひっくり返し、食べ物が空を舞っていた記憶がある。

小学校の頃には二階で寝ていたのだが、一階で両親の喧嘩が常に聞こえる。
ある翌朝、母に喧嘩していたのかと問うと「昨日はしてないよ」あれは、幻聴だったんだ。

中学校では、家庭のストレスが溜まり、抜毛症になった。授業中、痒みに耐えられず常に髪をむしっていたので床は大量の髪の毛。同じ部分だったので円形脱毛のようだった。

父は時折、スナックに行く金を子供にねだった。母は「利子は付けて返してもらうんだよ」と。大切なお小遣いから出した。返してもらった記憶はほぼない。

中学三年、両親がやっと離婚した。父親の暴力に、借金。離婚する間近には、何度も逃げるように母と弟とスーパー銭湯に行き泊まった。
離婚後直ぐに、引っ越しをした。
景色の良いマンションで、心機一転。

高校生になり、両親が離婚したことで精神的に落ち着いた。でも、誰よりも人見知りで、特に男子と話す時は汗だくだった。
けれど有り難いことに好きになってくれる人は居て、彼氏も出来た。
彼氏ばかりの高校生活だった。

リハビリの専門学校へ入学。
勉強は難しすぎて付いていけず、家ではヒステリーのように勉強。家族は声をかけられない程だったと言う。
YOSAKOIのサークル活動は楽しく、息抜きだったかな。
専門学校でも、恋愛重視の自分。でもどの人も長続きせず、勉強勉強で、運良く卒業。
専門学校の実習で、精神科へ始めて行った。皆、良い人達でとても温かかった。将来は、精神科へ進もうと決意。

卒業後、地元の精神科の病院へ入職。
助手さんと合わず、お酒を飲んでストレスを払拭する日々。でも、自然と仲良くなり平穏な日々を送っていたけれど、スタッフも変わっていき、公私混同の流れとなり、それが嫌でスタッフとの会話が減る。
精神疾患については、よく解らなかった。なので、精神科病棟の患者さんを理解したいと、学びたいと思った6年目の頃。

その頃は一人暮らしを始めていて、ストレスがあるとほぼ食べない、酒ばかり呑んでいたけど、ストレスを吐き出すように無理やり嘔吐していた。太っていく自分も嫌だった。

 疲れたから、後は後日。

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