私家版日本現代史

柄谷行人の新刊を読んでいたら、面白いマトリクス図が出ていたので、これに沿って私が知る60年代以降の日本の変遷を、ざっくり整理してみようとおもう。

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ちなみに、上下が政治意識の大小、左右が公的意識の大小を表している。

(1)民主化(6、70年代)
見聞きしたことから推測するに、60年代は政治意識も公的意識も高い(1)民主化の時代だったのではないだろうか。京浜地区は学生運動のアジトが多く、64年生まれの私は、外階段のボロアパートから長髪のお兄さんが警察に連れていかれるのを見たことがある。政治を語れなきゃカッコ悪かった時代なのではないかと推察する。

(4)原子化(7、80年代)
転換点は浅間山荘事件、沖縄返還など諸説あるにせよ、60年代の反動から70年代は(4)原子化(ミーハー)の時代になる。
前世代からはノンポリなどと蔑まれながらアンノン族に至る流れは、政治を忌避しながらも、公的な空気は大好物で、安保は語らないが流行は語れなきゃカッコ悪かった時代と記憶している。

(3)私化(8、90年代)
流行を追いかける潮流は80年代を跳梁跋扈したが「なんとなくクリスタル」やコピーライターブームあたりを頂点に冷めはじめ、バブルとともに弾け去った。
これにより地表を覆っていた原子化の反動として地下で増殖していた人々「オタク」が表出する。政治はもちろん「流行」も含めて公的なものへの関心は一切無く、ひたすら自分の欲求に純粋な若者たち、それが(3)私化(オタク)の時代。
空気の薄い書泉グランデの地下に蠢動していたオタクたちが、書泉ブックマートへと解き放たれた。当時の私にはエロ本の回し読みのような生臭い集団に思えた彼らだけれど、電通が創出する欲望が飽和したデフレ時代、ネットの普及とともに性別を超えた時代のメインストリームに躍り出て、今や日本が世界に誇れる生産品の最後の一葉となっている。

(2)自立化(9、00年代)
論理的一貫性をもって推測してみれば(3)私化(オタク)が標準となった時代の反動として、(2)自立化を体現する「政治を語り、公的関心が低い」人たちが現れていたはず。
しばし考え、「自分の欲求に純粋な若者たち」の「欲求」が、欲望の最大公約数であるところの「カネ」に向かった人たちに思い至った。新世紀を迎えた頃からポツポツと現れだした、カネへの執着が強く、ミーハーと異なりファッションやアイドルといった流行には関心なく、オタクと異なり(あくまで自分の利害への関心からだけれど一応は)政治も語るタイプ。ホリエモン的な人がこれに該当するのだろうか。一時的に人気を集めるカリスマ起業家は折折に現れるけれど、オタク文化に取って替わるには物足りない。

(?)??化(00、10年代)
いうまでもなく上記4類型は社会に常に共存していて、その偏在こそが時代を象徴する。で、その偏在は前時代の反動によって変位し続ける。
ところが時代の遷移は現代に近づくほどボンヤリとしてしまい、(2)自立化に対する反動に至っては、それがどのように現れたのか、私には判然としない。
ひょっとすると60年代から一周して、脱原発や安保法案で国会前や官邸前を賑わせた人たちや、2chから湧き出したネトウヨたちが主役の(1)民主化の時代だったのだろうか。
だとしたら、次にやってくるのは(4)原子化の時代とか?柄谷行人氏によれば、(4)原子化がもっともファシズムに展開し易いそうで、糸井重里氏のネトウヨ化あたりがその萌芽か、なんてね。

311で始まった2010年代とは何だったのかを問うことは、2020年代という未来を見通すことにもなるはず。
今度、私に会う人は「この10年がどんな時代で、この先10年がどんな時代か」をしつこく聞かれると思うので覚悟、いや準備しておいてください、よろしく。

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