新型肺炎所感(20210723) 五輪狂想曲

1964年の東京五輪、サッカーファンには伝説の日本vsアルゼンチン戦。

親父は周囲の反対を押し切り、生後4ヶ月足らずの私を駒場スタジアムに連れて行ったそう。
その後、石油ショックまでの数年間が彼の人生のピーク、以降の凋落は私の記憶にも鮮明で、今ではそれが日本の製造業の盛衰に同期していたことを理解している。

「日本40年周期説」てのがある。私はこの周期のピークとボトムに数年の踊り場があると考えている。踊り場には始点と終点があり、その象徴的な出来事を図に記した。

今回の東京五輪については、誘致の段階から反対していた。
誘致がウソや不正まみれだからではない。
64年の大会が戦後の焼け野原からの脱却、経済成長の起爆剤だったというのであれば、今、それを必要とする国がいくつもあるではないか、という理由からだ。

図の★で示した2つの東京五輪はベクトルを異にする。
64年の五輪で語られるトピックには、続く経済成長へのイケイケな萌芽が散りばめられていたのだろう。私の前で年長者が当時の記憶を語るときの輝く眼(まなこ)には、79年の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を経由して89年の絶頂へと続く登りの傾斜面が映っていた。

同じように、枚挙にいとまがない今大会の数々の汚点は、私達が2030年以降にこれを振り返るとき、降下する40年の斜面を象徴する、散りばめられた萌芽になることだろう。
数年の踊り場を経て日本が上昇を始めると同時に100個くらいの芽が開花して、繰り返してはならない過ちや徴候を教えてくれるはず。
都合の悪い資料が大会直後に「不存在」になっても、生き証人の爺さんになって語り継ぐんだもんね。 (^^)/

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