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不自由さの考察(マイノリティタグについて)

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自身の不自由さについての格納先。ADHD,アスペルガー、ありそう。未診断。18.7.11時点 様々なマイノリティタグが体中に纏わりついて、それがわたしのアウトラインをつくっている…
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#エッセイ

心の闇を癒しましょう。なんざ、いとおかしってなもんで。

文章の闇がどうたら 同じものしか出ないたら ウンタラカンタラ寝言をほざいていたなと 目が覚めた。 このnoteを始めてから もう100以上書いた気がしていたが、 実際は30いくつだったことに さきほど驚愕した。 なんてこった。 70近くの記事たちは どこにいってしまったのだ。 というか、なぜ書いたと思い込んだ。 言葉はわたしの生き様から生まれていて、 それらの事実の連なりの中には どうってことない どこにでもある だれかが経験してる 瑣末でもないが、まあまあ

あそびをせんとや、うまれけん。

どんな風に希望を見いだしていたんだっけ。 子どもの時から、その希望で 恐らく生き凌いだはずだ。 登校中、集団登校で6年生から入学したてのわたしまで、総勢10名ほどで通っていた朝。 排水溝の溝を歩くマイルールに従い、いつも下を向いて遊んでいた。 その黒は、この線は、踏んではいけない。 そう、歩いてもいい範囲を決めて、その中にだけ足が着くように歩いていたので、毎朝電柱にぶつかっていた。 頭を突然引っ叩かられるような衝撃に、顔を上げると、また、、、という顔がこちらを見ていた。

境界線を探す旅人だったころ

境界線が薄い、という自覚は、ようやくここ2週間でついてきた。 今、この見たことのない、境界線、というラインを見ようと、またも人の中に繰り出す日々を送っている。 さて、そもそもその線の名前を知らずに生きていた頃のこと。 なぜか怒られる なぜか嫌われる なぜか避けられる なぜ変な人に見られるのか 全く感知できないでいた。 手術で髪が短くなり、ウィッグをつけざるを得なくなった友人に、 髪が長かった時の方がいいかも、と素直に言い、 そんなこと言われたくなかったと落ち