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誰の何のために多様性は必要なのか。

こんにちは。
森健太郎デザイン事務所の森です。

最近、障害を持つ家族のいる方とお話する機会があったので、多様性にまつわる記事を書きたいと思います。


多様性は認められはじめている

多様性に否定的なタイトルですが、個人的にはあらゆる分野で多様性が認められる事は大賛成です。

私自身、多様性を認められなければ現在のキャリアを形成する事は出来なかったのではないかと考えているからです。

私を雇用する企業やビジネスパートナーが、異分子を受け入れる寛容な姿勢をがあったから、いろんな場所でいろんな仕事を経験することが出来ました。

周りを見渡して見ても、全く経験のない異業種へ転職したり、独立して成功されている方が増えている印象があります。

自分の領域から飛び出し、別の世界に行く方々はダイバーシティが浸透した事だけが要因ではなく、「受け入れられよう」「きっと必要となるはず」という思いでアクションを起こしているのではないでしょうか。



畏怖→If

人は未知なるものに恐怖します。
並外れた能力、大きさ、志向性。こういったものを恐れます。

大昔は外国人の事を、訳の分からない恐ろしい生き物という意味で鬼と呼んでいたそうです。

ライオンもキングコブラも酔っ払いも、横ですやすや眠ってくれれば同じベッドだって何の問題もないのです。しかし、彼らの牙が人を死に至らしめる可能性があるから、隔離したり取り締まる必要があるんです。

よく分からないから勝手に自分達に被害が及ぶ否定的な想像が、バリアを作ります。

「この人は仕事が出来ないかも知れない」「ローンを回収できないかもしてない」「襲ってくるかもしれない」「関わったら面倒くさいかも知れない」

このような潜在意識を変化させる事は簡単ではないのかも知れません。

LGBTQを例にすると、生物の本懐は種の保存と繁栄です。同性同士では繁殖が出来ないので、同性カップルを否定的に見えてしまうのは生物のとしての原則を超越しているからではないでしょうか。

行政や役所から見ても、同性カップルの婚姻や支援を拡充しても少子高齢化に寄与する可能性が低いから、他の施策にリソースを割こうという考えがあるのかも知れません。

本当に多様性を広め、浸透させる事はとてもハードルが高い事なのだと思います。




多様性を「受け入れる側」以上に「受け入れられる側」のアクションが必要


SDGsにおける多様性は暴力やジェンダーによる教育の格差を無くし、世界に平和をもたらす為にあります。

現実的な必要性としては、企業が少子高齢化で既存の労働力が確保できなくなる事を案じて、多様性のある人事採用を推進しているわけです。


少し話は変わりますが、障害の捉え方についての私の見解です。

知的障害、感覚器の障害、発達障害。たくさんの障害を持って暮らしている方がおられます。

健常者には分からない苦労や並々ならぬ努力を積み重ねて、必死に生きているのだと想像します。

障害を持った方を否定する気はないのですが、何に対しての障害なのかを認識していない障害者の方が一定数おられると思っています。

例えば、下肢が不自由な方が地下鉄に乗って通勤するとか、スクワットをする事に対しては障害ですが、eSportsの選手やSEやライターになりたい場合はさほど障害になりません。

目的地点があり、そのルート上に立ちはだかるのが障害です。
障害がある事が問題ではない場合もあるのに、障害があるという事実だけで悲観的になる必要はないように思えるのです。


多様性を受け入れる事は素晴らしい事ですが、「多様性を受け入れなければならないから君を採用する」のような副音声が組織内を支配して、当事者がそれを感じてしまったら、受け入れられてはいるけれど、それは双方の利益になっていると言えるでしょうか。

多様性を「受け入れる側」の努力や環境整備も必要な事ではありますが、「受け入れられる側」が自身の希望やどんな事に貢献したいのか、どんな特徴があり、どんなメリットがあるのかを整理して、強く主張する事こそが多様性を拡げる上で大切な事だと考えています。

SDGsが広まっても理解は広がらず、まだまだ社会は冷たくて不条理な扱いを受ける人が沢山います。

上記のリンクで、片腕のバスケット選手のストーリーがありますが、パスやシュートを両手で行わなければならないルールはありません。生活の全てを片手を行ってきた彼にとっては片腕でバスケをする事がさほど障害と感じていない可能性があります。

やりたい事を実現できない、受け入れられない本当の理由は障害ではなく、「障害があるからきっと出来ないだろう」や「普通の人と同じように出来ない」というような認知バイアスではないでしょうか。

繰り返しになりますが、私は障害やセクシャルマイノリティのある方の努力が足りないなどとは思っていません。

一番苦労をしている人々が、自信を持って壁に立ち向かう姿は勇気を与えます。多様性は国連や社会が作り出すのではなく、それを望む人が作っていくのだと思います。





#多様性を考える

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