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中小企業診断士 森健太郎シリーズ① 金の亡者と錬金術師※経済学・経済政策

はじめに

この記事は中小企業診断士一次試験合格のため、試験範囲の論点を記憶する目的で執筆した記事です。私は受験前ですので中小企業診断士の資格は取得しておりませんし、登場する人物および会社はすべてフィクションです。
中小企業診断士の有資格者の方や専門分野の知見をお持ちの方がご覧になられていたら、内容の齟齬や間違った理解をしている箇所についてご指摘、ご指南いただけると幸いです。
試験後に時間があれば記事にしたいと思いますが、私は認知特性タイプが言語優位(言語映像型)で文章の読み書きによる記憶や理解が得意としています。ストーリー法とプロテジェ効果を利用した学習の一環として記事を執筆しております。


人の気持ち

㈱ベックスワイナリーの柿谷からメールがあったのは、GWが明けた週の初めだった。以前に地域の食品会社や酒造会社が集まるイベントで柿谷と名刺交換をしていたらしい。森は仕事そっちのけで日本酒やワインを次々に試飲し、へべれけな状態で記憶も朧気だった。

13時半に柿谷は㈱シックスマンコンサルティングにやってきた。柿谷はフランスでワインの醸造技術を学び、東北で採れたブドウで造るワインを提供するワイナリーの創業者だ。まだ40代と若い。

「ご無沙汰しております。」と森が挨拶をし応接室へ通す。

「覚えていただいていて光栄です。こうしてお時間を作っていただいてありがとうございます。」

柿谷はブルージーンズにベージュのカバーオール、アウトドア仕様のハイカットの靴を履いており、銀縁の丸眼鏡で自然なヒゲが生えていた。社長というよりはクラフトマンやファーマーといった印象だ。

「大変失礼な話なのですが、御社のワインがおいしくて、つい飲み過ぎてしまいまして…。柿谷さんとどのような話をしたのか記憶が曖昧なんです…。」

柿谷は磊落に笑い手をたたいた。

「イベント会場にはワインに合うおつまみもたくさんありましたからね笑。ワインもお買い上げいただいたので嬉しい限りです。」

「他にも日本酒などを買い過ぎてしまって、帰りの荷物がとても重かったです笑。」

2人は共通の話題で盛り上がると早速、相談に移った。

「柿谷社長、今日ご相談したいことと言うのは新製品開発についてとのことでしたが、経緯をお聞きできますか?」

「はい。当社は創業して7年目なります。山形県のブドウを使った大衆向けのワインの製造販売がメインになっています。新しいワインを作るために違うブドウの品種を実験的に栽培したり、醸造工程を見直したり、開発に力を入れてきたのですが、私はただの醸造家に過ぎません。所謂ビジネス的なことを考えずにおいしいワインを作ることだけを考えてきたのですが、新商品を開発するに当たり、誰がどんな状況でどんなワインを欲しがっているかを考える必要があると思ったのです。」

森は感心しながら柿谷の話を聞いていた。酒造メーカーをはじめ、地方の企業というのは往々にして歴史と伝統を守ろうとする。そんな中で自分に足りない知識を取り込もうとする姿勢と、自ら情報を得るためにアプローチできる代表はそう多くはない。

「大変分かりやすく説明していただきありがとうございます。現時点での柿谷さんの開発テーマもお伺いしたいところではあるのですが、まずは人が物を買うという原理原則のようなものを私からお話します。これは経済学のお話です。」

「経済学…。私が全く通らなかった畑ですね。是非お願いします。」

森は「それでは」とコーヒーを一口飲んで話はじめた。

「先ほどもお伝えした通り、これは経済学の範疇になります。特定の個人や地域を指すものではありませんし、ターゲティングやマーケティングとは違い、経済学は世の中の経済事象をなるべく単純化したモデルで捉え、分析をしていく学問です。ここまではよろしいですか?」

「まだ何もお聞きしていないので、分かるか分からないかも分からないのですが、要は小難しいことを考えるなということですかね…。」

「まぁそんな感じです。柿谷さんのワインが経済にどのような影響を与え、ワインを買う人がどんなことを考えているかを知るヒントになるものと思ってください。」

柿谷は小刻みにうなずいた。

「よろしい。では柿谷さんにお聞きします。お客様が柿谷さんのワインを買うのは何故ですか?お客様というのは知り合いでも業者でもない一般のお客様という意味です。」

「それはもちろんワインが飲みたいからですよね。いろんな味や価格がありますから、その中でうちのワインを選んでいただいているんでしょうね。」

「当然」という顔で柿谷は答えた。

「それが正解です。が、経済学では消費者が払うお金以上の効用を得るため。という答えになります。この、支払う価格を上回るお得感のことを消費者余剰と言います。つまり、消費者が御社のワインを買うのはワインの価格以上の効用を期待しているからということになります。」

「なるほど。ただワインが飲みたいだけなら安いワインでもいいですもんね。」

「そういうことです。この図を見てください。」


「これは自動車の価格と需要量の関係を表したグラフです。価格が300万円の自動車は1台需要があり、価格が100万円の自動車は5台の需要があります。価格が小さくなると買いたい人が増えるので、需要が増える。この傾きのことを需要曲線と言います。例えば、御社の定番ワインは税込みでも3000円くらいですが、フランスのペトリュスのヴィンテージなどは1本で60万円もしますよね?当然、ペトリュスを買いたいという人は少数になっていきます。需要曲線の高さというのは消費者が支払うつもりがある額という解釈が出来るわけです。」

柿谷は目頭を揉んで考えていた。

「価格が下がると買いやすくなって、価格が上がると買いにくくなるのは当たり前のことだと思うのですが、先ほどの消費者余剰と需要曲線で何を知る事ができるのですか?」

「先ほど、消費者余剰は消費者のお得感という話をしましたが、これを数式で求めることが出来ます。支払うつもりの額-実際に支払った額=消費者余剰という式になります。」

柿谷はまだ怪訝な顔をしている。

「つまり、その…。消費者余剰が分かるということはどういうことなんでしょうか?」

「消費者余剰が大きいということは、高く評価している商品を少ない支払いで購入することができたということです。つまり消費者余剰の大きさは、消費者が受ける正味の便益の大きさを表現しているという事なんです。」

「消費者の満足度を数値化したものということですね。」

「その通りです。余剰分析とは関係のない資料ですが、アンケートでも似たような消費者指向が垣間見えます。」


エノテカ

「ワインを飲む理由の世代別の回答です。30代の約半数は贅沢な気分を味わうためにワインを飲んでいます。味や香り以外の理由でワインを選んでいるんですね。それに500円のワインで贅沢な気分を味わうのも逆にもの悲しさが出るでしょうから、ある一定以上の価格帯のワインを選んでいるかも知れませんね。」

「こうやって見ると、ワインを飲む理由は人それぞれですね。尚且つ世代によってここまで違った傾向が見られるとは…。」

「驚きですよね。但し、これはn値が100なので、ある一部の人の意見が偏っている可能性もあります。消費者余剰を算出する式をご紹介します。」


「こちらは先ほどの自動車の価格と需要のグラフですが、実際の販売している価格を200万円とした場合、消費者余剰はグラフのAの面積ということになります。計算式は(300+250+200)-200×3=150万円ということになります。もっと細かいグラフで表すとこのような滑らかな曲線になります。これもAの部分が消費者余剰ですね。」


「こうやってみると、安いものは大量に売れて高いものは少なく売られていることが分かりますね。」

柿谷は納得したようだ。

「いま消費者余剰の話をしましたが、生産者余剰というのもあるんです。」

「消費者余剰は消費者のお得感のようなものでしたよね?生産者余剰は売り手側の満足感みたいなものですか?」

柿谷は生産者余剰のイメージがうまくつかめないでいた。

「この図を見てください。収入から可変費用を引いた金額を生産者余剰というのですが、あまり聞きなれないですよね?でも、変動費、固定費、利益という言葉はよく目にしますね。つまり、生産者余剰は売上から変動費を引いた限界利益のことなんです。」


「何となくイメージはつきますが、会社の会計だと限界利益だけを出すことはあまりしませんよね?なぜ可変費用だけを考慮して計算するんですか?」

森は少し目をきらっとさせた。

「それは、消費者余剰と同じく生産数(販売数)が一つ増えるごとに発生する余剰を算出するためなんです。固定費はその名の通り変動しないので。こちらの図を見て下さい。」


「これは1個作るのに50円の限界費用が掛かる生産物の相関グラフです。柿谷さん、この生産物を3台生産する場合、可変費用はいくらだと思いますか?」

「1台当たりの限界費用が50円だとしたら3台だと50×3で150円ですかね。」

森はうっすらと笑って説明をつづけた。

「実は生産者余剰も消費者余剰と同じような計算をします。グラフを見ていただくと2個目と3個目を作る時の限界費用は、100円と150円ですよね?これに1個目を作る時にかかった50円を合計した額が可変費用です。式は50+100+150=300(円)となるんですね。」

「何となくイメージはつきますね。」

「つまり、完全競争市場の場合、企業はプライステイカーとなる。限界費用曲線が供給曲線となります。したがって、これを図と式で表すと、「生産者余剰=収入(P1×S1)-可変費用(Bの面積)=Aの面積」と表すことができるんですね。」


柿谷は目を丸くする。

「は、はい?」

「そうなりますよね笑。プライステイカーは日本語で価格受容者と言います。価格受容者というのは自らの行動で市場価格に影響を与えず、市場で決まる価格を受け入れるしかない人のことです。例えば、町にお米を作る農家が1軒だけだった場合、柿谷さんは安い値段のお米を選ぶことが出来ませんよね?これを完全競争市場と言います。」

柿谷はまだ目を丸くしたままだった。

「プライステイカーは消費者の事を指すのですか?先ほど企業がプライステイカーになると仰っていましたが、それはどういう事でしょうか?」

「いいところに目を付けましたね。実は企業がプライステイカーというケースも存在するんです。カップ麺の市場を想像してください。カップ麺の価格は100~300円程度です。これは先ほど話した消費者余剰にも関係していますが、企業が利益を取れるギリギリの価格設定なんです。つまり、値下げをすると利益が無くなり、ライバル企業よりも価格を上げようとするれば…?」

「売れなくなる…。」

「そうです。つまり、カップ麺業界では企業がある一定の価格を受け入れるしかないプライステイカーというわけなんです。」

森は真剣な顔つきで話をつづけた。

「先ほどの図に戻ります。限界費用曲線が供給曲線になるという話をしましたね。限界費用は生産数を1つ増やした時に増える費用ですから、供給量と同じ曲線を描くということですね。図のSは供給量ですから供給した点と価格の軸で描く四角形の曲線の上が生産者余剰ということになります。」

「森さん、この生産者余剰では何が分かるのですか?」

「この図式で分かるのは、生産者が回収すべき費用と余剰です。先ほど、可変費用=変動費と説明しましたが、変動費は費用なので当然これが回収できないと生産は出来ません。生産者余剰=経常利益ですので、利益を確保できる販売量などを見ることができるんです。」

柿谷は小刻みにうなずいた。だんだんと経済学のイメージができるようになってきたのだ。

「販売数量や利益を数字の羅列で見ることはあっても、グラフで見ることがなかったのでイメージが湧きませんでしたが、こうやって会社の利益が生まれているんですね。」

「経済学は財務会計とは数字の捉え方が異なります。先ほどの消費者余剰と生産者余剰のグラフを見比べてみてください。消費者余剰は左上から右下へ、生産者余剰は左下から右上へクロスするような曲線を描いていますよね
?」


「消費者余剰、生産者余剰に政府余剰を足した値を社会的余剰と言います。政府余剰というのは税収などのプラスの余剰と補助金の拠出などのマイナスの余剰の合計を指すのですが、厳密に計算するのは難しいので政策などを考慮しなければ通常ゼロで算出します。」

「政府余剰?ずいぶんスケールの大きな話になりましたね…。そんなところまで計算して何が分かるというんですか?」

森はコーヒーのお替りを淹れた。

「政策が経済に与える影響です。政策と聞くと少子化対策とか地域振興券などをイメージされるかも知れませんが、ここで言う政策は補助金や課税を指しています。柿谷さんも補助金を利用されたことはありますよね?もちろん税金も払っていると思います。」

「たしかに補助金も税金もいただいたり払ったりしています。それが経済にそんなに大きな影響があるんですか?」

「大ありです。消費税が25%になっても、ベックスワイナリーのお客様は同じようにワインを買うでしょうか?何の補助金もなかったら今と同じ利益を確保できますか?」

柿谷は勢いよくカップをソーサーに置いた。

「そうか!だから生産者余剰は経常利益なんですね。たしかに、課税や補助金の価格が変動すれば消費者にも生産者にも大きく影響します。」


「こちらの図を見てください。右肩上がりに伸びている線Sは供給曲線です。これが課税によってS1にスライドします。そうすると生産者余剰はどうなりますか?」

「減っている…。生産者余剰の三角形の部分の面積が小さくなっています。それに…消費者余剰の一部もスライドしたことで面積が小さくなってませんか?!」

「その通りです。こちらの図が分かりやすいので見てみてください。」


「課税されているということは、政府から見ると税収になるので、SとS1に挟まれた消費者余剰と生産者余剰はそのまま政府余剰となるんです。」

柿谷は眉間にしわを寄せてグラフを凝視した。

「なんか、このグラフを見ると我々が苦労して作り上げた利益をごっそり税金で搾取されているような気持ちになりますね…。その分、社会保障などを受けられているので文句は言えませんが…。この真ん中の黒い部分はなんですか?」

「これは課税によって失われた余剰です。課税による死荷量や、厚生の損失と言います。課税によって消費量が減れば供給量も当然減ります。本来ならそれぞれに余剰が生まれるべき機会が課税によってなくなったということでです。」

「それを聞くと、ますます税金を払うのが億劫になりますね…。なんかヤケ酒したい気分です。」

森は大笑いして説明を続けた。

「大丈夫ですよ。税金を取られるだけなら理不尽ですが、政府から与えられるものが少なからず良い経済に影響を及ぼしているものもありますから。ちなみにですが、この場合の課税対象はあくまでも企業です。ですが、課税によって市場均衡価格が上昇すると実質的に消費者も税の一部を負担していることになります。これを課税の転嫁と言います。」

「え~っと、課税による消費者と生産者の変化は分かった気がするのですが、市場均衡価格というのは何ですか?」

「これは失礼。説明不足でしたね。先ほどの図で言うと、供給曲線Sと需要曲線Dが交わっている点の価格、この図だとPに当たるのが市場均衡価格です。需要曲線と供給曲線が交わるということは、消費者が買いたい価格と生産者が売りたい価格が一致することになるので、市場が均衡しているということができるんですね。課税によって供給曲線が上にスライドすれば、市場均衡点も上に上がります。そうなると、課税前に比べて政府余剰が増えるますが、その一部は消費者余剰から出ています。これが課税の転嫁のメカニズムなんです。」

「なるほど。生産者、消費者、政府の絶妙なバランスによって市場は成り立っているんですね。」

森は小さくうなずいた。

「ここまでは、課税によるマイナスの変化について説明しましたが、生産補助金によるプラスの変化についても見ていきましょう。柿谷さんも補助金を利用されたことはありますよね?」

「もちろんです。県の創業支援補助金から事業再構築補助金などたくさん利用させてもらっています。」

「そうですよね。補助金の種類によって使える範囲や科目は違いますが、経済学においては、生産1単位につき t 円の補助金が交付されたと仮定しています。生産1単位ごとに補助されるので、その分、可変費用が減少します。そうすると…?」

「供給曲線が下にスライドする!」


「市場均衡点が下にスライドすることで、市場均衡価格Pも下がります。そして、消費者余剰、生産者余剰の面積が増えることが想像できます。」


柿谷は眉間に皺を寄せて目を凝らした。

「森さん、ちょっと待ってください。いまの図の中で真ん中の黒い三角形の部分に死荷重と書いてありますが、死荷重というのは損失した余剰のことですよね?補助金によって消費者余剰も生産者余剰も増えるのになぜ損失が発生するんです?」

森は少し気まずそうに咳払いをした。

「実は、補助金を交付することで社会的総余剰は減少します。」

「そんな!どうしてですか?」

社会的総余剰=生産者余剰+消費者余剰+政府余剰とお話しましたね?政府が補助金を拠出することで政府余剰がマイナスになるからなんです。つまり、政府が介入しない市場において社会的総余剰は最大化されるということです。」

「ん~。しかし、市場規模や事業規模が大きくなるほど設備投資や経営にかかる費用が大きくなるから、補助金を使わないなんていう企業は少ないですよね。」

「実際には柿谷さんの言う通りです。ですが、これは経済学なのでこのような現象が起こるとモデリングしているです。ところで柿谷さん、この後のご予定は?」

「夜にワインを卸しているレストランに顔を出してから直帰する予定です。」

にんまりと森は笑みを浮かべて事務所の奥から何かを持ってきた。

「友人にもらったチリのワインがあるんです。おいしいらしいのですが、味がよく分からないもので、ワインに詳しい方の解説つきで飲みたかったんです。経済学は私が解説しますけどね。」

森と柿谷の需要と供給は均衡した。


世界

「このフルボディの渋みがいいですね~。ジンギスカンとかもつ煮込みなんかも合いそうですよね~。」

森はすでに2杯目のワインに口をつけていた。

「日本では2015年くらいから輸入ワインの1位がチリなんですよ。高地の乾燥した気候で病気にかかりにくいブドウを育てることが出来るので、生産がとても安定しているんです。」

「いや~ワイン醸造家のお話をつまみに飲むワインはまた格別ですね~。」

「あの…森さん?経済学のお話は…?私の相談は?」

森の瞼は半分ほど閉じていた。

「経済学?経済学ですか…?ん~。ではワインに関連した経済学の話をちょっとしますね。ほんの試飲程度ですよ?ワインのように経済学は奥が深いんですから。」

「あ…はい。お願いします…。」

「では。先ほど消費者余剰と生産者余剰のお話をしましたが、それは国内の市場に限定されている前提でした。ベックスワイナリーでは海外展開のご予定は?」

柿谷はワイングラスを見つめて、思案しながら答えた。

「出来る事ならば、うちの、日本のワインで海外に挑戦したい気持ちはあるんですが、輸出できるような生産量もまだありませんし、防腐剤などを添加する必要があって今は海外展開を考えられるような状況では…。」

「そうでしたか。それはちょうどよかった。これからお話するのは自由貿易についてです。先ほどの消費者余剰、生産者余剰、社会余剰に海外の貿易を考慮するとどうなるかをお話します。」


「このグラフは…先ほどの消費者余剰と生産者余剰の関係を表す図ですよね?」

「そうです。柿谷さんの会社が貿易を行っていないと仮定した時のグラフになります。国内で需要と供給が完結しているので、この状態を自給自足均衡と言います。グラフの△ABEの部分が社会的総余剰になるのですが、貿易を通して社会的総余剰がどのように変化をするのかを見ていきます。」

余剰の仕組みを理解した柿谷は自由貿易によってどう変化するのか興味を持って耳を傾けた。

「まず、前提条件をお話します。経済学で自由貿易の余剰分析をする場合は小国の仮定となるということです。小国というのは国の面積やGDPのことではなく、当該の国が輸入量を増加させても国際価格に影響を及ぼさないという仮定のもとに余剰分析を行います。」


「では、こちらのグラフをご覧ください。これは輸入が生じた場合の余剰の
曲線を表しています。このグラフにおける商品を仮にX財とします。世界市場で成立している均衡価格をP* (国際価格)とし、国内市場において市場均衡が成立している価格(国内価格)をP1とする場合、P1>P*であれば、国内価格がP*になるまで、X財が輸入されることになります。この場合、国内企業による供給は、P*(国際価格=国内価格) に対応する生産量Q1だけ行われ、P*に対応する需要量Q2との差分(Q2-Q1)が 海外から輸入されます。また、P*>P1 の場合には、国内価格もP*となり、国内需要との差分が輸出されるんです。(海外では国内価格よりも高い価格で販売することができ、国内価格も国際価格 まで上昇する)。すなわち、国内企業による生産量はQ4、P*に対応する国内需要量 はQ3であるから、その差分(Q4-Q3)が海外へ輸出されることとなるということなんです。」

「森さん、すみません…。ロベルト・カルロスの球速くらい意味が分からないです…。」

柿谷は目が点になっていた。

「まぁ、そうなりますよね。ロベルト・カルロスに打たれたら立ち尽くす以外にないですもんね。少し嚙み砕いて説明します。グラフではP*よりもP1の価格が高いんです。つまり、国内の財よりも輸入した財の方が安いので、消費者は輸入品を購入します。そうなると、グラフではどんな変化が起こっていますか?」

「消費者余剰が増えて、生産者余剰が減っている…。」

「そうです。輸入品が増えた分、国内の企業は供給する必要がありませんから、生産数と生産者余剰が減るということになります。自給自足均衡の状態であれば、横軸のQ*までの生産数が見込めましたが、輸入をすることでOからQ1までの生産量しかなくなったのです。」

「先ほどP*>P1の場合のお話をされていたと思うのですが、これはどういうことですか?」

「輸出が生じる場合の価格の動きになりますので、先ほどと逆の現象ですね。国内製品の価格が安く、海外製品の価格が高いので、消費者は国内製品を買います。尚且つ、海外から見れば日本の製品の方が安いですから、それに対応すべく輸出が発生します。そうなると、企業も海外への輸出向けに生産量を増やすので生産者余剰も増えるという仕組みです。このような貿易の仕組みを開放経済(自由貿易)と言います。」


「なるほど。輸出入が絡むとこんなにも余剰に変化が起きるんですね…。冒頭で社会的総余剰の変化と仰っていましたが、この場合は変化をどのように表すんですか?」

「大変良い質問ですね。上のグラフで言うと△FEGが輸出による利益を表しています。これが自由貿易の利益です。自給自足均衡の場合の社会的総余剰は△ABEでしたね。これに△FEGを足したものが、輸出入を行った場合の社会的総余剰となります。」

柿谷は輸入した場合のグラフにもう一度目をやる。

「仕組みは分かったのですが、生産者余剰が減ってしまうのならば輸入はその国にとってよろしくないのではないですか?」

「柿谷さんは生産者ですから、そう見えますよね。輸出入を行わない状態を閉鎖経済と言うのですが、開放経済における社会的総余剰は閉鎖経済を上回ります。」

「そういうものですか…。あくまでもモデルですもんね。」

「そうですよ。経済には他にもいろんな要素が絡んでいるので、輸出入を一概に良いとも悪いとも言えないんです。分かりやすい例が近くにありましたね。」

森はテーブルのワインボトルとコンコンと指で叩いた。

「チリワイン…。」

「チリワインは柿谷さんが教えてくれたように、生産が安定していて価格が安いです。ベックスワイナリーよりも市販品の価格は安いはずです。消費者余剰の説明をした時に効用の話をしましたが、贅沢な気分を味わいたいという理由でワインを買う人は、味や製法の違いよりも店頭の価格や評判を見聞きして購入を決めています。」

「たしかに、チリのワインは「安くて旨い」というイメージが浸透していますし、実際にそうだと思います。」

「もしもベックスワイナリーが大手の酒造メーカーだったとしたら、安いチリワインに市場を取られて、生産者余剰は下がってしまうでしょうね。」

店頭に並んでいるワインの価格と産地を柿谷は思い浮かべていた。

「そうか…だから国内の大手メーカーは輸入品よりもさらに安いワインを作っているのか…。余剰分析を知ると市場の動きがよく分かりますね。」

森は3杯目のワインを飲み干して、笑顔を浮かべた。

「アルコールをジュースで薄めたような粗悪なワインでも売れるのは、そういう事情からかも知れませんね。それらを考慮して、ベックスワイナリーの新商品を作っていく必要があります。ところで、自由貿易に関してもう一つお話しなけばならないことがあります。」

「それは税金です。輸入をする際には必ず関税がかかりますが、それらは政府余剰としてカウントされます。上のグラフを見てください。P*は輸入品の価格でしたね。経済学においては輸入従量税という考え方をします。つまり、財の1単位あたりに税金が上乗せされるという計算をするんです。そうすると、輸入品価格P*に税金tが加算されてP*+tが課税後の価格になります。これによって消費者余剰と生産者余剰が変化します。」

「下のグラフを見ると、ここでも死荷重がありますね。三角形の面積が増えれば両端の死荷重の面積が増える…つまり、高い関税をかければその分の損失も増えるということですか?」

「そういうことです。関税を高くすることで、消費者余剰が減り、生産者余剰が増えます。損失が増えますが、政府余剰も増えるという構造なので、関税や政策の見極めというのは難しい仕事ですね。」

「たしかにそうですね。税金や補助金の内容によって、需要と供給のバランスは変わってしまうんですもんね。」

柿谷はモノを作って売る事の難しさを考えた。

「そんなに難しい顔をしないでください。経済学はモデルだと言ったでしょう?柿谷さんのワインが実際にこの曲線通りになるというわけではないんですよ。気分転換をした方が良さそうですね。」

気が付くと、テーブルの上のワイングラスが、少し大きめの透明なおちょこに変わっていた。森は純米大吟醸の一升瓶をテーブルに置く。

「いま、いぶりがっことクリームチーズを用意しますので、ちょっと待ってくださいね~。」

「森さん?これ、気分転換ですか?」

「そうですよ?いぶりがっこ苦手ですか?」

「いや、いぶりがっこも日本酒も好きなのですが、経済学と私の製品開発の話は…。」

森は柿谷の話を聞いているのか、裏から何かを持ってきた。
信楽焼風の長方形の器にいぶりがっことクリームチーズが交互に折り重なって並んでいる。森が酒を注ごうとしたので、思わず柿谷はお酌を受けた。

「次はゲームの話をしましょう。私はウイニングイレブンとメタルギアソリッドをよくやってましたね。懐かしいなぁ~。」

オフィスにはワイン、日本酒に加えて、肴や酒器もある。酒を飲みながらゲームの話をすると言う。「この男はただの飲んだくれなのではないいか?」という疑問が柿谷の頭に浮かんだ。


続く

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