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僕も「ケーキの切れない非行少年たち」と同じかも知れない

こんにちは。
森健太郎デザイン事務所の森です。
今日はGW中に読んでいた本のレビューになります。
GW中の読み物に適していたかは置いといて笑。



ケーキの切れない非行少年たち



2020年の新書文門で3冠を達成した年間ベストセラーの書籍です。
既に読んだことがある人が多いと思いますので、詳しい内容の説明は割愛しますが、精神科医の宮口先生が犯罪を犯して少年院に収監されている若者を分析し、原因を解き明かしていくという内容です。

私は書籍の前の漫画版を読んだのですが、漫画版の方がよりシビアで異質性が強いと思っていました。

実際の少年たちの生活を漫画で描いているのですが、「こんな事はあるあるだよな」と思えるちょっとした歪みが犯罪に繋がるのだと思うと怖い漫画だったなと記憶しています。

書籍では絵が無い分、怖い印象はないですし、犯罪やその予備軍を減らす為にどのような取り組みが求められるかなど、ポジティブな側面もあり子育てや指導に携わる方にもプラスに働くと思います。



「ケーキの切れない非行少年たち」と変わらない

何故この本がこんなに注目されているのか考えてみました。
「売れている」という事実があるので、目に触れる機会が多いからなのかも知れませんが、パッケージも絵も何もないシンプルなものです。普通に暮らしていれば非行少年たちの心理など気になるものではありません。

これは私見ですが、非行少年自体はめずらしいものではないので、タイトルが「非行少年たちの実態」とか「少年たちを犯罪者にしたものの正体」だったならば、そこまで興味をそそられないのではないかと思うのです。

「ケーキを切る」という当たり前に出来そうなことが出来ないという異常性が興味を掻き立てます。またケーキを上手く切れない人なんて世の中に沢山いますよね。「自分もそうかも知れない」という身近な小さい恐怖が「ケーキの切れない」から想起されるのかも知れません。

本書の中で非行少年たちの特徴として、「認知能力の弱さ」が挙げられています。

相手がこちらを見ていた→相手が睨んできたと認知するとか、鬼ごっこの仲間に入れてもらった→みんな走って逃げた→僕は嫌われているなどの認知のプロセスが自己の認知を歪ませ、行動を変えてしまうと言われています。

また、怒りによって判断能力が下がり、目標設定や計画を立てる事が出来ず、短絡的に欲しいモノを得る為の行動を取ってしまうというのです。

この内容を読んだ時、私自身も同じような事がしばしば起こっていると感じます。

程度の差はあれど、非行少年たちと私たちは変わらないんだと思います。
認知が歪んでしまった時点で、間違った行動を取る可能性は誰にでもあるという事です。

直感的にビジネスをする人と直感的に犯罪をしてしまう少年は紙一重で、社会の規範に合致するか逸脱するかの違いしかないのかも知れないと思いました。

読者はこのような共感を得ているからこそ、この本に魅了されているのだろうなと思います。


私たちはこれからどうすべきか

ちょっとした認知の違いや幼少期の体験などで、人間の行動が変わってしまいます。

本書の中でも、知的レベルや学力だけで判断できない問題や、健常者と見分けがつかないなど、対処が難しいという事が書かれています。

本書は児童の教育や精神医学にフォーカスした内容なので、児童の教育をどうするかの話に展開していきますが、大人である私たち自身が我が身に起こっていることを知る必要があると思います。

社会人の方であれば、一方的に知識を与えるだけの教育が個人や組織の成長に結びつかない場面を体験した事があるはずです。

目標や計画を立て、情報を誤認しないためには当事者からのアウトプットとそれに対してフラットな立ち位置でコミュニケーションをしていくことが有効ではないかと考えています。

私は大学で、工学部の教授や学生が作ったビジネスプランのピッチをメンタリングする事があります。

有名な先生を呼んで講義することも大切ですが、いろんな学部の専門外の人たちが意見や質問を出し合うことが、見えなかったプランの側面を洗い出すことに繋がっていると思います。

社会に出れば、上から降りてくる開発目標やミッションを同じ属性のチームで考えるしかありませんが、今ならば色んな人や技術を見ることが出来るし、自分の視点から見た意見がプロジェクトに光を与えることにもなります。

自分の思考の殻に閉じこもると、凝り固まった認識から抜け出せないということです。

話は逸れましたが、犯罪によって少年院に収監されるのは極端な例ですが、認識の違いは誰にでも起こり得ることです。

それがメンタルの低下なのか、働けない事なのか、犯罪なのか、程度の差はあれど、私たちの近くにあるものではないでしょうか。


最近話題になっていますが、これも認知と行動と社会の乖離がもたらしたものです。

今回の記事のヘッダーをオーロラにしています。日本では美しい自然現象と認識されますが、災いをもたらす凶兆と認識される国があるそうです。

後者の地域の人にオーロラの絵葉書を送ったら、良かれと思ってやったことでも不吉な手紙を寄越したと捉えられて関係性もこじれるでしょうね。

自分の認識と他人の認識をすり合わせる機会が必要なのだと思います。

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