見出し画像

自己紹介~HISTORY~Part2

東京編

大学卒業後、最初に入った会社は某有名ブラック企業でした。
コピー機やらビジネス用の携帯やらを売るために、ひたすら電話をかけたり飛び込み営業をさせられたりとかなり非効率でハードな仕事でした。

ただただ楽をしたいという気持ちを忘れずにいた私は電話をかけるフリをしてパソコンで絵を描いていたり、マックでモンハンをしたりしていました。

そんな事をしていると当然結果は出ませんので、上司と喧嘩するような形で1年ほどで辞めました。

後になって気づいた事ですが、その会社は新卒入社の中でも落ちこぼれのような奴らが集まる場所だと思っていたのですが、中には大変優秀な人もいて、同じように営業をしていてもアポイントの取り方や営業のセンスがずば抜けている同僚が数名いました。

その会社で成果を上げる事には微塵も興味はなかったのですが、何がそんなに違うのか気になって、電話を横で聞いていたのを覚えています。

もしも、あの会社で一定の成果を上げられていたのなら、少し違った未来もあったかも知れないと思います。その未来が明るかったかどうかはさておきですが。

東京の地で晴れて無職になった私は、憧れだった広告代理店。ではなく、フリーターの道に進みます。

若気の至りというのでしょうか。ノータリンというのでしょうか。大都会東京を目の当たりにして「こんなに人がいっぱいいるなら仕事なんていくらでもあるだろう」と調子に乗っていたんですね。

どうせならやったことのない都会的な仕事をしようと、求人のフリーペーパーを物色し、近所の接骨院と老舗の喫茶店でアルバイトを始めました。

対照的な職場を2つ掛け持ちする事は大変勉強になりましたし、とても良い刺激になりました。

接骨院の従業員は男性ばかりで、お客さんはおじいちゃんとおばあちゃん。喫茶店の従業員は女性ばかりで、お客さんはおじいちゃんとおばあちゃんでした。

月曜から水曜までは接骨院でおじいちゃんの武勇伝とおばあちゃんの愚痴を聞き、木曜から土曜までは同僚のおばちゃんの愚痴を聞きながらオーナーのひざ痛のマッサージをしていました笑。

当時は昭和1桁生まれの方も多くいらっしゃったので、戦時中の東京の話やシベリア抑留の話など聞いたことのない生の声を聴くことが出来たのは一番
の収穫でした。戦時中から現代まで生き抜いてきた百戦錬磨のおじいちゃんおばあちゃんはとてもタフで知的でした。


そんな、とても楽しいフリーター生活だったのですが、接骨院の先輩が独立するという話を聞いて「楽しいだけの生活ではダメだな」と思い直し、広告代理店へと舵を切りました。

舵を切ったのはいいものの、入った会社を1年で辞めてフリーターをしているような若造を雇ってくれる広告代理店はありませんでした。

何社受けたのか記憶はありませんが、広告と名の付く会社はとりあえず応募しました。

求人サイトを見ていたら「PR会社」の求人を見つけて応募してみました。
PRが何かも分かっていなかったのですが、「PRしてるなら広告代理店みたいなもんだろう」と私が得意の安直な方程式で導き出されるがままに面接を受けにいきました。

面接で詳しく話を伺うと「広告とPRは似て非なるもの」ということを教えてもらったのですが、それを聞いてもラーメンとタンメンの違いくらいにしか思えませんでした。

「君、夜中の2時に急遽出動ってなったら行ける?」と聞かれたので「交通機関があれば行けます。」と答えて何とか採用される事になったのです。

PRと広告の違いについてはここで記載しませんが、広告だけを知っていてもPRだけを知っていても今の思考には至らなかったのではないかと思っています。

この会社での仕事や出来事は今の仕事に活きている太い水脈になっています。

主な仕事はクライアントの新商品、イベントにメディアの取材を誘致し、クライアントの施設で取材の現場管理をすることでした。

広告もPRも、クライアントの商品やサービスをおしゃれにかっこよく見せる事よりも「なぜその商品が作られたか」、「どこの誰にどのように思われたいか」を分析しアウトプットしていく事です。動画か新聞かはアウトプットの手法の一つです。

飲食店を運営するクライアントの取材を担当した際に、取材したテレビ局のレポーターが「このスイーツはフルーツを使っているのでヘルシーで低カロリーです」と発言しました。クライアントに確認し、このコメント部分を取り直して頂きました。

フルーツを使っているのでヘルシーである事には違いないが、果糖が含まれているので「低カロリー」という表現は虚偽になるというのが訂正の理由です。

ダイエットを徹底している人に「低カロリー」という言葉が強く伝わって、食べてみたら600kcal以上あると知ったら、騙されたと思うでしょう。

「伝達」というのは、ビジュアルや形状よりも言葉なんだと初めて気づく事ができたのはここでの仕事を通してでした。


そして、2021年3月11日。東日本大震災が発生します。

この日の出来事は多くの人が考えや行動を改めるきっかけになったと思います。私もその一人です。

私の場合は東京の池袋で震災を体験しました。
都内がパニックになっている事よりも、東北の町が津波に飲まれ、気仙沼が火の海になっている光景を目の当たりにして、無能な自分が東京で粋がっている事をやめようと思いました。


東日本大震災をきっかけに復興に携わる仕事をしようと考えましたが、東京でチャラチャラした仕事しかした事がない無資格の男が復興の即戦力になるとも考えられなかったので、衣食住に関連する仕事で一定の知見と資格を得て東北に戻ろうと思いました。

当初はインフラ関係や社会福祉関係の会社に転職しようかと考えていましたが、いくら復興に貢献したいからとは言え、採用してくれる会社はありませんでした。

半ば自暴自棄になっていた私は職場から近い会社を手あたり次第に受けに行きました。

その中で、住宅展示場の運営をメイン事業にしている広告代理店の面接を受けました。

面接の時に後にボスとなる方から「住宅はすべての消費の出発点だ。そこに家があるから車や家具や食料品を売る店が必要になる。」と言われ、その会社に入る事にしました。

その会社においても、私の現在を形成する多くのものを得ることが出来ました。多くの予想外も経験しました。


私の拙い物語はまだ続きます。
興味があれば次回も是非ご覧ください。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?