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父の在宅介護の記録

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2019年から2020年に、膵臓癌で闘病中だった父の在宅介護をしていた時の記事です。
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2020年4月の記事一覧

亡くなった父と親しかった方々と話して思うこと~Human-being。Not human-doing

春爛漫。 これを天国というのか!と、自由・解放・快適感を満喫した葉山での1週間を終え、世田谷の両親の住処(父が亡くなったから、母の住処)に、昨日、戻ってきました。 い、息苦しい・・・。 何かと気ぜわしい東京だからか。 寝たきりになった父と3カ月過ごした場所だからか。 幼少期から合わない母と2人だからか・・・・・。 なんてことをつらつらと感じつつも、先々週に、今の賃貸マンションでは、父から母へ名義変更をすることができず、さっさと退去しなくてはいけないということを知り

日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでもオペラでもない

父は、11月に膵臓癌を再発し、12月にもうこれ以上できる治療がなくなってしまい、緩和ケア病棟にうつるか家に帰るか、という状態になりました。 ここで、ほんとに勝手にさっさと年明けに退院することに決め、バタバタと(バタバタしたのは周りの人間たち。父はぐったりと)退院してきました。 当時は知らなかったけど、「為さざる罪」は彼の座右の銘であって、私の座右の銘ではない!ぶつぶつ。 介護って、自分がやることになるとは、これっぽちも想像してませんでしたが、きれいごとではない。 とに

日本に帰国中 母と過ごしながら違和感を覚える理由を考えてみた

父が膵臓癌を再発し、なるべく早く帰国して欲しいと連絡を受け、日本に帰国したのが12月12日。 それから今まで、基本的には両親の住処で過ごしています。 (たまに、葉山の妹夫婦宅にお世話になっています) 人生において、父とこんなに長い時間を一緒に過ごしたことはなかったなあと、父の生き様について振り返ってみてました。 関連記事: と、特に幼少期には、父とよりは一緒の時間を過ごした母との生活は、違和感を覚えることが山盛りです。 なんで、こんなに相性が合わないのか?考えてみまし