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#28 まんなか

その夜、私はとてもいい感じで酔っ払っていた。
この年齢(もうすぐ56歳)になるとさすがに悪酔いや泥酔はなく、「心底楽しいな!」と心が軽くなる酔い方を覚える。まぁ好きなお酒を好きな人たちと飲むっていう、それあたりまえ、なことなのですが。

その日は、勤め先のクリニックの先生やスタッフたちとの食事会だった。
一次会のイタリアンもどきなお店はサービス最低、料理微妙、だったけれど逆にそのことでみんながひとつになった感があった。口をそろえて「これはひどいよね」って。嘘みたいよね。

二件目でバーカウンターに数人並び、それぞれが好きなお酒を飲んだ。

わたしはまぁまぁ酔いながら、「ウィスキーのオーダーの仕方って、いっぺんにわかるよなぁ」とさわやかなA先生のアイラ好きを眺めつつ、ブラッディ・マリーをおいしそうに飲むN先生に「せんせい、ほんとめっちゃかわいい」を連発していた。N先生は「え?そうぉ?ありがと」とちょっと照れた笑顔になった。かわいい女だ!と男のように思ったわたし。

その夜のその時間は、明るくてやさしかった。冗談や笑い話に歪みがカケラもなく、攻撃性など微塵もなく、ただ他愛なくみんながくだらない話でげらげら笑っていた。
今思い返してみても、飲み会はこうでなくっちゃね、というものだったと思う。

そういう明るい集いは、さらっとすっとお開きになる。じゃあもう一軒とかない。そこがまたいいのだ。

帰り道、これまたかわいい看護師さんのタクシーを見送り、ご機嫌でコンビニでポテチやハーゲンダッツを買った。コンビニを出てすぐ、焼き鳥屋さんから出てきた男性ふたりがフランス語を話していた。

私はにこやかに「Bon sejour au Japon!」と声をかけて手を振った。そのまま行こうとしたら、ひとりの男性が「ちょっと待って!ねぇなんで話せるの!」的なことを言った気がする。(記憶がこのへん曖昧)
「いやぁ昔コルマールに住んでて」とか「それにしてもこのお店どうやって探したの?」(おいしいけれどフランス人観光客が予約して来るようなお店とは思えなかったから)とか「あなたたちみたいに日本を楽しんでくれるのはとってもうれしい」とか「酔っ払っててごめん」とかしゃべったのが楽しかった。
「日本には3週間いるんだけど、話しかけられたことなんか一度もなかったよ!!」とひとりの男性がうれしそうに話してくれて、わたしもうれしかった。まぁ確かにいきなり話しかけないよね、日本人は。英語やフランス語が話せたとしても、道に迷ってたり明らかに困っている様子でもなければ。

酔っ払ってたとはいえ「墨田の宿にいる」というのを3回くらい言わせてしまい、さすがに苦笑して「じゃあね、日本を楽しんでね」と手を振って別れた。少し離れたところで待ってくれていた、連れの女性ともうひとりの男性にも大きく手を振った。

いい夜だなぁ、と笑顔で帰った。

フランスは、私のなかでは時に呪縛のようでもあり、ずっと厄介な感じもあった。「フランスじゃないと」というどうしようもない感じが時に苦しく、自分で自分の首を絞めている感覚もわかっていた。反面、なにがなんでも移住だ!とできない自分にいら立ちが募っては怖気づく、その繰り返し。
ほんと、「じゃあなんで帰国したんだよ」、のループな30年。

コロナ禍でパリ行きがキャンセルになって以降、臆病さに拍車がかかった。
下手に住んでいた分、アジアンヘイトは容易に想像できたし、COVID-19は私とフランスとの縁を断ち切った感覚があった。今はなんのゆかりもないのだな、という感じは渡仏できない期間ずっとあったけれど、それが文字通り徹底的にゼロになった感じ。でも、それでもあきらめきれないような、ねぇそれ演歌じゃん、な感じ。

そういうみっともない心持のさなかでも、フランス語のレッスンだけは細々と続けていた。月に一度でも、フランス語を話す機会があるのが救いになっていたのだと思う。よすが?

でもきっと、そうやってうじうじしていることにいい加減飽きたのだろう。年齢的にも、あと何度行けるのかなと思うようにもなった。いろんな角度から、現実を見て客観的に判断しよう、人生そのものを。そう思うようにやっとなった。

そんな心境の今年の酷暑、アマゾンプライムで表示されたシネフィルWOWOWチャンネル。ふと目にとまったドラマ「アストリッドとラファエル 文書係の事件録」
これがねー、良かった!内容が好みだったから、というのに加えて、四六時中フランス語を流している、のが良かったみたい。週末や平日の帰宅後に、BGMのように垂れ流しにしていたおかげでものすごく癒された感。ところどころのセリフがぽーんと脳や胸の内側に飛び込んでくる感じ、日本語に訳すんじゃなくフランス語をフランス語として理解できるうれしさ。字幕がなければ内容は理解できないポンコツレベルなので、そこはもちろん読むのよ日本語字幕を。でも一度見た回は二回目から字幕いらないしそもそもBGM的なものでもあるから。

なんか、ずーっとフランス語流しっぱなしにしてたら、暮らしていたころの感覚を思い出して。通じないことも言われたことがほぼわからないこともいっぱいあって、でもそれでも日々何かが少しずつは進んでいって。
そういう時間だったな、と。
あぁ、やっぱりフランスはわたしの「まんなか」なんだ、と。

そう感じたら、すごく心が軽くなった。相変わらず怖気づいてるところもあるけど、なんか行けそうな気がして。やっぱり行かないとね、うん、行ってみようと。11月パリ行き予約した。友人にも「良かったらご飯食べに行こうね」って。

「まんなか」がわかるのは、やっぱり居心地がとてもいい。




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