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インシデンツ(8)

「ところで、野原さん」とハナホウ・ジローは言った。
「あなたはその依頼主の方の父親が誰かあたりをつけていらっしゃいますか?」
ぼくはハナホウ・ジローから受け取ったメモから目をあげる。
「いえ。ただ、今回の依頼主も韓国にルーツがある方なんです。ですから、テディ金山が父親かもしれないとは勝手に思い込んでいたかもしれません」
「その方は何年生まれですか?」
「ぼくの三つ上と聞いていますから一九八二年ですね」
「だとしたら、父親がテディ金山である可能性は限りなく低いでしょうな」
ハナホウ・ジローは汗を拭っていた。
「これは、ちゃんとした確証が取れていないのでホームページには載せていない話なのですが、テディ金山は一九八〇年には日本を出国して、韓国に戻っている可能性が高いのです。バンドを解散した直後の話です。彼が表舞台から姿を消す直前に、韓国に戻る意向を聞いたという人物がわたしの調査でわかっています」
「なるほど……しかし、その後、日本に戻ってきている可能性はないのでしょうか?」
「いや、それも可能性は低いでしょう」
また、ハナホウ・ジローが汗を拭く。外見は落ち着いているが喋りながら、彼の内部で緊張が高まっているのがわかる。広い額に汗が滲むペースが早くなり、そこに刻まれた皺に雫がたまる。
「これも確証が取れていない話ですし、よりきな臭い話になります。一九八〇年に韓国でなにが起こったかご存知ですか?」
以前に読んだ韓国史の本の内容を思い出そうとする。
「光州事件ですか」
ハナホウ・ジローがゆっくりと頷く。

一九八〇年、前年に起こった朴正煕大統領の暗殺事件以降、公民権を剥奪されていた政治家たちの復権をピークとした韓国の民主化ムードの急速な高まりは、ソウルの春とも称される運動を形成する。このとき公民権を回復した政治家のなかには後の大統領、金大中も含まれる。
その一方で旧来の独裁体制への強烈なバックラッシュも進行していた。前年中にクーデターによって政権を事実上掌握していた全斗煥は、金大中を開放の約三ヶ月後に再び逮捕する。これに抗議する民主化勢力のデモが韓国南西部の光州にて開かれた。学生を中心とした大規模な運動は、北朝鮮向けの特殊な軍事作戦のために訓練を受けていた空挺部隊との武力衝突に発展し、さらに光州市民の多くを巻き込んだ民衆蜂起の様相を成した。市民たちが軍や警察の武器庫を襲い、武装し、市民軍を組織し、韓国軍との銃撃戦に立ち向かった。それが光州事件だ。鎮圧までに九日間を要したこの事件において、民間人・軍人をあわせて一九五名の死者をだし、行方不明者の数は四〇六名にも達した。

「光州事件の関連で、テディ金山は亡くなったという話があります。彼は元々韓国の民主化勢力との繋がりがあったという噂がありました。アメリカのリベラリストが民主化勢力を支援する際のパイプ役になっていたとか。こうした繋がりは来日してからも続いていたようです。在日韓国人たちの実業家たちのなかには、テディ金山の音楽活動を応援し、そのパトロンになっていた人もいました。しかし、応援していたのは音楽活動だけではなく、政治活動も含めてだったようなのです。テディ金山が直接的に光州事件に関わって亡くなったとは断言できません。しかし、その鎮圧後に正式に全斗煥が大統領に就任して以降、国内に大規模な民主化運動に対する抑圧がおこなわれています。再教育と称した軍隊での過酷な訓練に四万人の市民が編入されているのです。一連の浄化作戦の犠牲者にテディ金山が含まれていたという話もあります」
「だから、テディ金山が日本に戻ってきて、子供を作っている可能性は低いというわけですか」
ハナホウ・ジローは再び頷いた。

「今日わたしからお話できるのはこれくらいでございます。あとは、ご自身でお調べになってみてください」
「いえ、ありがとうございます。貴重な情報助かります」
「わたしからも少しお伺いしたいことがございます。野原さんの叔父上様のことです」
「ええ、わたしでわかることでしたら。ただ、ハナホウさんにはお伝えしていませんでしたが、おじと言っても血縁があるわけではないんですよ。戸籍上は父親の弟ということになっているのですが、おじはわたしの祖父の後妻の連れ子でした。祖父と折り合いが悪く、早くに家をでていたと聞いています。わたしもそれほど面識があったわけではありません」
「そうでしたか……では、どんな風に亡くなっていたかはご存知ですか?」
「そこまで詳しいことは聞いていません。福島の浪江町で原発関係の仕事をしていたらしいのですが、震災があってからは復興住宅で一人暮らしをしていたみたいです。東電からの補償があったから、それで暮らしていて……部屋でひとりで亡くなっていたと聞いています」
「それは寂しい亡くなり方でしたね……」と言ってハナホウ・ジローは目を瞑り、深く息をついた。
「わたしは実は野原猪之吉さんにはお会いしたことがあったのですよ」
「それは以前の調査のなかでですか?」
「ええ、その通りです。まだ猪之吉さんも五〇歳になっていなかったと思います。当時はまだ東京でお仕事をされていましてね。飲食関連のお仕事をしているとおっしゃっていました。もう音楽の現場からは完全に身を引いていましてね。あまりバンドの話も伺えませんでした。しきりにご実家に帰りたいようなことをお話していましたよ」

その晩、ぼくは光州事件の夢を見た。

映像で事件について観たことがあるわけではない。本で読んだ歴史記述と過去に観た光州事件とは無関係のニュースフィルムの記憶がごちゃまぜになった粗雑な夢だ。
機動隊に向けて投げつけられる火炎瓶、放物線を描いて群衆に射出された催涙弾、額から血を流し逃げ惑う若い女性、戦車の前に立ちはだかるひとりの男性、火達磨になる僧侶、マーティン・ルーサー・キングとジョーン・バエズ、放水を受ける安田講堂。酷く荒い編集がおこなわれた映画のようだった。ジガ・ヴェルトフ集団。プラウダ。万事快調。
混乱したイメージのパッチワークのなかにいても、その映像が光州事件のものであるという内的な確信がぼくにはあった。アロハ姿のテディ金山とグレーのスーツ姿の野原猪之吉は、ふたりで並んで拳ほどの大きさの石を投げていた。いたるところから銃声が響き、催涙ガスの刺すような臭いが鼻の粘膜を刺激した。放水車から放たれた水しぶきが顔にかかった。ぼくは群衆のひとりになっている。
「逃げろ、逃げろ」という声がして、人の波に飲まれた。身体のあちこちを強く引っ張られる。ひどく強いリアリティをもった力を感じた。恐怖で身体がこわばった。仰向けに倒され、地面を引きずられるようだった。金縛りになったときのそれだ。これまで何度も味わったことがある感覚だ。
生活のなかで強いストレスを感じているときにぼくはよく金縛りに襲われた。足や腕を引っ張られる幻覚があまりに鮮明なおかげで、夢のなかのぼくは、自分が夢のなかにいることに気づくことができる。しかし、いくら気づいていても金縛りを解くことはできない。声がでない。ぼくの現実の身体は、ひょっとしたらうなされていたかもしれない。横で寝ている妻に異変を伝えることができたならば、いますぐに身体を揺さぶって起こしてほしかった。しかし、そこまでの力は夢のなかにいるぼくにはなかった。
強く念じることで夢のぼくは光州を離れ、現実の寝室、横浜と川崎の境目にあるマンションの一室まで戻ることに成功する。しかし、まだ現実に戻りきれていない。呼吸が苦しい。そして、だれかにまだ手足を引っ張られている。玄関で物音がして、だれかが室内に入ってくるのがわかる。
テディ金山と野原猪之吉だ。テディ金山がぼくの胸の上に乗りかかり、おじはぼくの両足を引っ張り続けていた。テディ金山はぼくに訊ねる。「俺について調べてどうするつもりだい」。はっきりと聞こえる。隣にいる妻がその声に気づかないのがおかしなぐらいはっきりと。だんだんと喉の奥から声を絞り出すことができてくる。現実のぼくの鼓膜が、その絞り出した声を聞いている。そこで目が覚める。冷たい汗をかいていて、呼吸が乱れていた。起き出して水を飲み、また寝室に戻った。枕元の時計を確認する。3:55とデジタルの数字が表示している。
もう一度金縛りにあわないことを願ってベッドに戻る。枕のうえに敷いたタオルが汗で湿っていた。いったい、こんな調べものをして何になるんだろう?

わかったことを新しいWordファイルを立ち上げて記録していく。調査は出発時点からは進んでいた。ハナホウ・ジローの話が正しければ、テディ金山は張本さんの父親ではない。これで確率は六分の五になった。シングル盤のジャケット写真を思い浮かべ、テディ金山の顔にバツ印を付ける。
手元には井川卓造の連絡先があった。電話は何度かかけたが通じなかった。手紙を書いてみることにする。これまでの音楽活動などについてお伺いしたいことがある。こちらの意図はぼやかして書いた。手書きの手紙なんていつ以来だろう?
おじが父親である可能性についても考え直す必要を感じた。ハナホウ・ジローと会うまではその可能性がないものと思い込んでいたが、否定できる要素がなにもない。候補として残しておく必要がある。ぼくは福島に住む父に電話をかけた。おじの遺品になにか手がかりになりそうなものはないか。父によれば、連絡先が書かれた手帳が残っているということだった。ぼくはそれを送ってくれるように父に頼んだ。
「だけど、なんでまた」と父は訊ねた。
「ちょっとした調べ物でさ」
「送るのは構わんけど、物置にしまってあるからちょっと探すのに時間がかかるぞ」
「それは、全然構わないから時間があるときに頼むよ」
電話を切る間際に、ぼくはハナホウ・ジローのことを思い出した。
「ところで、昔、おじさんと会ったことがあるって人とこないだ知り合ってさ」
「それはいつ頃の話?」
「二〇年ぐらい前に東京で会ったらしいんだよね。その人もおじさんが昔やってたバンドに興味あった人らしくて。なんか家に帰りたいって言ってたんだって」

「家ってどこの家を言ってたんだろうな?」と父はしばらく間をあけてから返事をした。

(続く)

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