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◤作業療法士◢ 「好き」を「仕事にする」ということ。[#11]

わたしは作業療法士というリハビリの仕事をしている。
今の仕事に就いた経緯を辿ると、小学校の時に見たニュースに遡る。
日本海で外国籍のタンカーが座礁し、福井県三国町沖に重油が流出。その重油回収に多くのボランティアのチカラがあった。当時小学生だったわたしは、テレビで見るそのボランティアの姿に感動したのだ。
「わたしも人の役に立つ仕事をしたい」→「これからは高齢化社会・高齢社会だから福祉」という、ある種安直で、ある種衝動的な理由が出発点。

わたしの経歴

その後の学歴は紆余曲折ある。
大学受験をしたくないという理由(6歳上の姉の大学受験が大変そうだと小6で察知)で、福祉系学科がある大学の附属中学を受験するも、不合格。高校のない国立中学に進学。

高校受験時も考えは同じで、附属高校を受験するも不合格。地元の公立高校に進学。

高2に上がる時に文理選択をしなければならず、ふと「今まで福祉系に進むことしか考えていなかったけれど、他の仕事のことは考えなくて良いのか」という疑問が湧く。その時、母から「理学療法士」という職業を教えられる。リハビリテーションが何たるかも分かっていなかったわたしは「動かなくなった手足が動くようになるってすごい!」と感動し、「理学療法士」に進路変更。ただ、数Ⅲ・Cを履修すると高校を卒業できないと思い、文型を選択(受験科目にないこともラッキーだった)。

進学先は専門学校ではなく大学を選択。しかし当時理学療法学科のある大学の選択肢は少なく、且つ応募人数も少ない。その激戦に敗れ、滑り止めで受験した福祉系学科のある大学に進学。当初の予定通りの結果となった。大学進学と同時に、卒業後はリハビリの専門学校に行くことを決める。

福祉の中でも障害者福祉、特に精神保健福祉の分野に心惹かれ、一時期は精神保健福祉士としてのキャリアも考えた(資格は取得)。しかし、リハビリ分野への興味も捨てきれず、精神領域もある「作業療法士」に進路変更。3年制の専門学校に進学。

3年生の精神領域での長期実習まで順調に経過し、このまま2回目の長期実習も終えて卒業、就職と思っていた。しかし、身障領域での実習途中でドロップアウト、実習の単位を取得しないと卒業、国試受験の資格をもらえないため、留年。翌年の実習は無事に終えられたものの、身体機能や高次脳機能障害について悩むことが多く、この勉強をもっとしたい、と思うようになり、就職先を身障領域に変更。
現在に至る。

こう書くとすごい量だ。ここまで読んでくださった方がいたら、その耐久性を賞賛するとともに、お礼を申し上げる。


あらゆる挫折と人々との出会い、周囲の協力によって、今のわたしが形成されている。そして「好き」や「興味」を勉強し、仕事にできている。

「好きを仕事にすると、感情が義務になるから止めておいた方がいい」と聞いたことがあるが、わたしは「好きでもないこと」には興味も意欲も湧かないし、長時間それに縛られることに耐えられない。

今回改めて自分の経歴を書き起こして、やはり恵まれた人生なのだと再認識した。
これからも「好き」を貪欲に追求していきたい。

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