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◤日常◢ 「書くこと」と「わたし」は切っても切り離せない。[#120]

社会人から学生になって1ヶ月と少し。
新しい生活リズムに慣れてきた。

家を出る時間は1時間ほど遅くなったけれど、起床時間はそのまま。朝の空き時間に勉強を。
帰宅時間が1時間半ほど早くなったので、節約のためにも自炊の頻度が多くなった。
社会人に戻ったら出来なさそうな、健康的な生活である。

固い椅子に90分座り続けることには慣れない(坐骨神経痛持ちなので辛い…)
学生だった過去のわたし、頑張っていたね。

勉強は楽しい。
「全部!」とは言えないけれど、今まで知らなかった世界を知ること、自分の世界が広がることにテンションが上がる日々。
前職と被る分野もあるから前知識みたいなのはあるけれど、その知識がより奥行きをもって深みも増す。やっぱり面白い。

***

生活が変わって、以前よりも時間ができた。
そこで、ずっと書いていなかった自分のnoteを見返してみた。

過去の記事って、その時の感情をぶつけたものだからリアルなんだけれど、なんだか小っ恥ずかしい。(全世界に)公開しているのに恥ずかしいなんて矛盾している。
「こんなこと思っていたんだな〜。“大人”やん」って過去のわたしから教えてもらうこともある。ほんの数ヶ月前のわたしなんだけれど、なんだか違う人間みたい。「擦れちゃったな」って思うこともある。
どの記事も、とても生き生きしている。

思い返してみると、あの時のわたしは確実に今のわたしよりキラキラしていた。「noteを毎日書く」という目標を掲げて、ネタがなくなっても、夜遅くなっても、書いていた。1週間、1ヶ月、3ヶ月・・・と書き続けることで自分に自信がついた。毎日自分の思いを書き出す(吐き出す)ことで、心身のコントロールができていた。
時に情熱的で、時に冷静で。そんな不器用でも生き生きした、眩しくて目を逸らしたくもなるような過去のわたしに、嫉妬をした。

***

「継続して何かをしている」ってとても大事。大きい小さいなんて関係ない。寧ろ、その大きい小さいをジャッジしているのはわたし自身。
時間の使い方が定まってきた今、投稿を再開しようか。いや、これは言い訳だな。気持ちがあれば、時間の使い方が定まる/定まらないなんて関係ないもんな。
書きたくなったから、書く!ただそれだけ。

結局、いつも投稿を再開する時は同じ感情が元になっている気がする。
わたしにとって書くってやっぱりカタルシスなんだな。
そして、わたしはやっぱり「書くことが好き」なんだな。
そんな当たり前の感情。忘れていたわけではないけれど、見て見ぬふりをしていた感情。
今は(今回も)、その感情に素直に従ってみよう。


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