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お酒が好きな僕が「飲まない東京」プロジェクトに加わる理由

僕は人並みにはお酒が好きなほうだとは思う。

そこまでお酒に強いわけではないけれど、頑張って仕事した日の夜に口にするビールのもたらしてくれる気持ちよさは何度味わっても飽きることがないし、解説書片手にAmazonで注文したウィスキーをちょっとずつ味わいながら、楽しみにしていたドラマを観る時間は至福の一言に尽きる。久しぶりに行きつけの飲み屋に行ったときの安心感や、ちょっと緊張しながら新しい店を開拓してみるときのドキドキも好きだ。生のバンド演奏を体感するとき、適量のアルコールはほどよいスパイスになる。

根本的にあまりコミュニケーションが得意なたちじゃないので、アルコールを介することで人との距離が縮まるありがたさも何度も感じている。気のおけない長年来の友人と少し深酒してしまい翌朝後悔するあの感じだって、たまになら愛おしい。

しかし同時に、心底お酒、というよりそれにまつわるコミュニケーションや文化に嫌気が差したこともたくさんある。このご時世なら基本的にはハラスメントとして断罪されるような、強要されて飲むお酒はもちろん大嫌いだ。「もっとこの人と話したい」と思うのに、みんながその飲み会の場の空気を保つことを優先し、不完全燃焼になることもある。そうした飲み会で、飲めない人が少し所在なさげにしている姿を見ると、とても申し訳ない気持ちになる。無意識に飲まない人の存在を排除している、「飲みニケーション」という言葉もあまり好きではない。そもそも、「今日はお酒を飲まずにゆっくりお茶でもしたい」という気分の夜だってある。


(※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人的な所感を綴ったものです。このブログを通じて、より多くの方に『モノノメ 創刊号』を手に取ってもらい、既に購入いただいた方にはより多角的に雑誌を読む一助としてもらいたいという目的で書いています。

本来はとても豊かな時間をもたらしてくれるはずの「お酒」が、同調圧力や画一的な価値観の押し付け装置に成り下がってしまうほど、残念なことはないと思うのだ。「嗜好品」であるお酒によって、世界の豊かさが削り取られる。残念ながら、飲み会でこんな感覚を抱いたことがないという人のほうが、少数派ではないだろうか。

こんな違和感を覚えているからこそ、もっと豊かな世界を味わいたいからこそ、僕はお酒が好きであるにもかかわらず、PLANETSが展開している「飲まない東京」プロジェクトに加担する。「飲まない」夜の多様な楽しみ方が広まることそれ自体も嬉しいし、それによって、画一的で同調圧力の強い「飲みニケーション」文化も相対化されるだろうと期待しているからだ。


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PLANETSの新雑誌『モノノメ 創刊号』に収録されている、[妄想企画]「『飲まない東京』プロジェクト」という企画では、あえて「飲まない」夜の過ごし方を考えることで、都市に豊かさを取り戻すという提案がなされている。お酒を排斥するわけではなく、「飲まない」人でも楽しめる夜の文化を模索することで、世界をより豊かにしようという、建設的でポジティブな文化運動だ。

僕がこのプロジェクトを通して伝えたいメッセージは一つだ。大人の「あそび」は「飲む」ことに限定されすぎてはいないか。この「飲みニケーション」の文化「ではない」ものを夜の街にたくさんつくると、僕たちの「あそび」は、「暮らし」は、そして「働き方」は、ぐっと多様になるということだ。(p130)

「飲まない東京」という文字列だけを見ると、お酒が好きな人は反射的に「ウッ」となってしまうかもしれない。しかし、このプロジェクトで目指されているのは、飲む人も飲まない人も取り込んだ、「優しい」世界の実現だ。お酒は好きだけれど、飲み会的コミュニケーションに疲れてしまうことが多い人こそ、ぜひ読んでみてほしい。少なくとも僕は、「東京の夜はもっと豊かに楽しめるんだ」と、とてもポジティブな気持ちになれた。


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