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6月25日「差し込む光を奇跡と呼んで」

1. 

長く続いたロックダウンがほぼほぼ終わり、同時期に私の大学生活もひっそりと終わりを迎えた。うかうかしているともうこんな季節。気がつけば本帰国まで一ヶ月をきったので、今まで行きたかったけど行けていなかった場所、もしくはもう一度行きたいと願っていた場所をできるだけたくさん訪れることにした。人生最後の、短い短い夏休み。

クレジトン、エクセター、コーンウォール、ロンドンの色々なお店や美術館博物館、再来週はオックスフォードと(多分)コッツウォルズにも行くし、セブンシスターズに行く約束も果たさないと。エジンバラやダブリンも本当は行きたかったなあ。最後に絶対会いたい人も、たくさんじゃないけど何人かはいる。その中でちゃんと時間をとって文章を書いて本を読んで、自主制作も進めたい。何より親愛なる同居人たちと、できるだけ一緒に過ごしたい。くだらないテレビゲームを眠くなるまでやりながら、お腹が空いたら適当に何か作ったりお菓子を食べたり、好きなアイドルのYoutubeにあーだこーだ言いながら、「どうでもいい時間」を飽きるほど過ごしたい。だってきっとそんなの、永遠に飽きたりしないから。

本当にキラキラしているものは他人からすると何もキラキラしていなくて、ただ私や私たちだけにキラキラして見えるものなんだと思ったことがあった。同居人の誕生日にスクラップブックを作っているときのこと。今まで撮り貯めたたくさんの写真をチョキチョキペタペタと貼り、ブサイクなイラストやふざけたコメントを横に書いていく。SNSに載せることないような、パジャマで踊り狂う動画、鍋からそのまま一緒に食べたインスタントラーメン、起き抜けのすっぴんに寝癖、3人だけに通じるインサイドジョーク。そしてそんなことをわざわざ思い出さなくても、同じ速度で更新されていく私たちの日々。

もともとの性格がとても社交的なわけではないから、やっぱりどこに行っても内で小さく集まることが好きなんだと思う。私しか知らない彼らの瞬間や、彼らしか知らない私の瞬間を、静かに誰にも見つからない様に、コソコソニヤニヤしながら交換して積み上げていく。そしてどうにかしてそれらを忘れたくないと思う。でも最終的に、結局忘れてしまうような「どうでもいい時間」が、きっと一番キラキラしているものであると理解している。

2. 

信じているものより、信じたいものが一緒であることを嬉しく思う。こんなことを言いながら二つの明確な違いを説明することはできないのだけれど、そう思ってしまったのだからしょうがない。

とりあえずで挑戦すると、信じているものは、自分の中にちゃんと根拠があって、腑に落ちていて、自分が「信じるに値する」と体感したものなのかなと思う。一方で信じたいものは、曖昧な根拠と共に、そこに付随する色々な反対意見も考慮した上で、それでも「信じたい」と願っているものだと思う。就活の適性検査でよく、「あなたの未来は明るいですか?」みたいな質問があって、私にとってそれは「信じたいもの」であると思った。なんの根拠もないけれど、そうだと信じていたいですと思いながら「はい」と回答していた。

もしかするとこの例はまたちょっと違うのかもしれないけど、でもそれくらいの曖昧さや不安を持ちながら、それでも「信じたい」と願うものが同じであると発見したとき、私はその人のことを、きっともっと知りたいと思うのだと思う。

3. 

理解されてたまるか、と思うときがある。

色んなことと矛盾しているとわかっている。今だに「私のことを本当の意味で理解してくれる人なんていないんだ」と悲しくなった日のことを覚えているし、文章は極力わかりやすいように書くことが大事(もちろんシーンによると思うけど)みたいなことを聞いたり読んだりして、なるほどと思うこともあった。

そのくせに、「理解されてたまるか、わかったような気になられたくない」と怒りにも近い感情を抱いたときがあって、自分でも正直よくわからなかった。わからないけど、もしも誰かにそう思われていると悔しいので、私はそう思われたくないです、というわがままと紙一重みたいな宣言だけここにしておきたい。

でも一対一で話しているときに「わかる〜それめっちゃわかる〜」って言われるのはものすごくものすごく嬉しい。めんどくさいよね、わかる。とりあえずそんなことを思ってたよ〜っていう未来に向けての記録。

4. 

先週、Ed Ruchaの展示を観たのだけれど、Miracle #64という作品とそこに添えられていた言葉を、とても綺麗だと思った。

Shafts of light and the word "Miracle" have always been synonymous.
光の筋、そして"奇跡"という言葉は、いつだって同じ意味を持つものであった。

(日本語訳難しい......。ニュアンスが上手に伝わっている気がしないので、もっと良い訳があれば教えてください。)

光の筋をみつけたとき、私たちは知らずの間に奇跡を感じている。光の入り方や当たり方が美しい場所を好きだと思うし、そこに何時までだっていたいと思う。それは日々に差し込む奇跡に浸っていたい気持ちを、そうやって満たしているからなのかもしれない。











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