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4月12日「どうして朝が怖いのか教えて」

ここ最近ずっとずっと文章を書きたくて、でも何を書けばいいのかわからなかった。濃度の薄い日々の中で、それでも色々なことが押し寄せては引いていく。そんなことに気を取られているうちに、段々言葉を失っていくような気がした。言葉を持たない自分はものすごく空っぽである気がして、ひたすらに怖くなった。それで今、自分の中にあるドアを片っ端から全部開けて、そこで何とか見つけた言葉を繋いで、無理やりこの文章を書いている。

そんなこんなで気がついたら春休みになってて、それもあと一週間で終わる。去年の今頃は京都にいた。暖かくて美しい日が多かったな。ちょうどコロナが広がり始めて、でも桜も咲き始めていて。世界はあんなに綺麗だったのに、人々に愛でてもらえなくて可哀想だった。そういえばよく、先輩が誘ってくれて散歩に出かけていた。九条から京都駅を越えてずっと北に歩いて、鴨川のほとりで菓子パンを食べた日を覚えている。

私の街では今日、起きたら雪が降っていた。窓の外にある世界が全部真っ白で、理解が追いつかない寝ぼけた頭はしばらく混乱していた。でも四月に降る雪は、今まで何度も経験していることだったりする。珍しいことじゃ無いのだ、私の人生では。

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あと一ヶ月弱で私の大学生活も終わる。人より少し長かったけど、やっぱり短かったな。ゆらゆらと過ごしてきた年月も、ましてや今ここにいることでさえ、まるっと全部、嘘みたいに感じる時がある。

それでも今年は意識的に花を飾り続けていて、それが私を現実に繋ぎ止めているもののひとつだったりする。近所のスーパーの生花コーナー、または週末街で開かれる小さなフラワーマーケット、あとサボテン。部屋のなかに、自分以外で生きているものがいる(ある?)ことに安心する。たまに観察する。触ると花ごとに違う手触りがあることに気がつく。それを綺麗だと思える自分に、また安心する。

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友人が、早めの卒業プレゼントをくれた。「なんで今?!」と驚く私に「これから課題で忙しくなったら、準備できないと思って」と彼女は言った。手作りのフォトスタンドと、お揃いのピアスだった。卒業した後、そのピアスをつけて再会しようねと約束した。まるで小さな子どものような約束。てか私たち、会えなくなるなんて、おかしいよね。こんな今はいつでも、好きなときに会えるのにね。

最近はそうやって、「会えなくなった人たち」とか「叶わなかったこと」とか、「代わりに失ってしまったもの」について考えている。自分一人で考えていると気分が落ち込むので、人と話したいなと思う。まとまらない話を、辛抱強く聴いてくれる人がどこかにいれば。でもその分私も、頑張って聞きたいと思う。最近は朝起きるのがちょっと怖くて、その話もしたい。あなたが朝を恐れる理由も、よかったら私に聞かせて欲しい。

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なんだか少し灰色とか青っぽい人が好きだなと思う。メインの色に、見えないくらいのマーブルで混ざっている人。でもそれでいて、柔らかく暖かい人。なんなら私がそうなりたい。普段はわからないけど、こういう場面で見えてしまう人。そうやって中にいる自分を外に出すことって、とても怖いけれど、私はそれに救われているタイプだなと思う。Porter RobinsonがGet Your Wishを作った時に、自分の声にエフェクトをかけたのがその最たる例だと思う。自分が自分の代弁者になる感覚、自分じゃない自分が、自分のことを話している感覚。変な感じ。でも嫌いじゃない。むしろ好き。

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noteを書くとき、いつも終わり方に困る。それで結局、同じことを言ってしまうような気がする。私はどうしたいとか、私はどう思うとか、そういうことばかり言ってる。それも別に良いんだけど、バリエーションに欠けるなと思う。

そういえば、終わるということに救われたことが何度もあった。何かの終わりはいつも寂しいけれど、やっぱり少しホッとする。ちゃんと終われることを、間違っていなかった証明のように思っているのかもれない。きっと大学の卒業式も、そんなことを思うんだろうな。憧れた自分に、少しはなれたんだと思う。でもその先があることを知って、それがどうなるのかわからないから今途方にくれている。

まあでもとりあえず、卒業式の日だけは晴れて欲しいと思う。雲ひとつない真っ青の中に、黒い帽子を思いっきり投げ入れたい。そこで初めて、ひとつの終わりを迎えることができる気がするから。


14.4.21 追記
アンサーソング(?)が届きました。私を掬い上げる言葉たち。


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