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「ある般教への反論についての深夜長文LINE」


先日、一般教養科目「日本国憲法」のテストがあった。名前を出すのは絶対良くないが大学は公開していないしいいだろう。

明らかに鬼畜なテスト内容であった。勉強はしていたため単位になる点数ではあるが、高得点ではない。

ものすごぉぉく腹が立ったので友人たちに異議申し立て長文LINEを送ってしまった。しかも夜も更けで、PM11時。ましてやテスト期間真っ只中。

自分の友人は太平洋よりも大きな器を持っていることに誠に感慨である。

ところで、単位は貰える点数ではあるにも関わらずなぜここまで憤慨したかというとCAP制を解放したかった(過去形)(もう無理、日憲のせいで)からである。 

異議申し立てをする際にまず、一般教養科目の目的について考えた。
既読がReadなのはカッコいいから。

そして自分はこの②に属するわけだ。
思うがままに書きつけただけであるから所々日本語が破綻しているが、

①      教養をつける、見聞を広げるため。
②③   様々な理由で高得点、単位取得のため。

といった目的があると言っている。
②③はまとめた方がわかりやすかった気がする。これらの違いは①は結果として高得点、単位取得がもたらされるのに対し②③は高得点、単位取得それ自体を目的としているという点にある。もちろん目的は完全に二分されるわけでもないがこのような目的、性質があるのは頷けるだろう。本来学生は①のスタンスでいるべきであるが、なんらかの理由で①の側面が薄れる場合もあるはずだ。そんな学生に対しても、努力さえすれば目的が達成できるものでなければならない。
その上で次はそれらの目的から一般教養科目はどうであるべきかに思考を敷衍する。

そして上記の前提と照らし合わせる形で、今回の「日本国憲法」について演繹的に考える。

そして、

そうだ。仮に専門科目などの専門知識を問うならば、深く狭く知識を問うことも良しとされる。専門とするためには深い知識が必要であるし、そのために膨大な勉強をしても、これから使ってゆくわけであるためそこで得た知識は有意義になる望みがある。しかしながらそれを一般教養科目に当てはめるのはお門違いといったところだ。

「日本国憲法」の評価は適切でなかったとともに評価方法を改善すべきだ。
(これだけ聞くと過激だが、あくまで一般教養科目の話だからね。)特に、自分は②への対応が不十分すぎたため、納得がいかないわけである。勉強すればするほど点がとれるテストを作ってほしかったのだ。

と、ここまで反論を重ねてきたがテスト期間に受験生が若く集中して、より長い時間を勉強をしておけば、より高い点数がとれたわけであり、自分にも非があるわけだ。とは言いつつ、予め難易度は知ることはできないので、他の教科との兼ね合いがある中、「日本国憲法」にそれほどの時間は割けなかった。


多分「日本国憲法」をとっていなければ解放できたであろうCAP制に思いを馳せ、その日は床につく。
この文章を打つためにデバイスを見過ぎた上にいろいろ考えて頭が疲れた。久しぶりにここまで思考を共有したなと思い、改めて論理的思考の楽しさを実感する。あ!これ日憲の授業でも感じた笑笑

ところで、このLINEを「一般教養科目への異議申し立てテンプレート」として販売したらよく売れそうだ。いや、そこまで上出来ではないか。売るとしたら値段はどれくらいだろうか。いやすでに無料配布してしまっているか。

そんなことを考えながら眠りについた。

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