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じいちゃんの手記(シベリア抑留)

じいちゃんは、私が物心をついたときには既に寝たきりで発語ができない状態だった。

人一倍大柄な体で、優しくて真面目でお酒が大好きなお医者さん。結婚してすぐに戦争に行き、捕虜になって、ようやく帰ってこれた時にはすっかり細く、小柄になって帰ってきた。それでも帰国後も精力的に医療に従事し、脳梗塞で倒れるまで立派なお医者さんだったらしい。

昨年、ばあちゃんが死んだとき、じいちゃんの手記を見つけた。

手記は短歌で綴られていた。町の開業医だったじいちゃん。往診で診ていた患者さんたちの話。特に重病を患っていた小さな少年や友人の診察の話。

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ちょっと生々しい外科手術の話も多かった。ばあちゃんの話や父の話なんかも。新婚旅行の話では、ホテルの寝室の壁が毛皮で驚いた、なんてクスリとするような話も。そしてその中に、ふと、戦争を振り返る数日があった。


戦争を振り返ったのは期間が1971年12月7日~12月16日の間。手記にある「印パ戦」の文字から、1971年12月から始まった第三次印パ戦争によって、戦争中の自身の経験を思い返し、手記に記そうと思ったのかもしれない。それまで町のお医者さんの日常が綴られていたのに、急に生々しい言葉が記されていた。忘れられないことばかりだったのだろう。

エトロフ島に2年、その後シベリア抑留4年の記載があった。詳細なところは残念ながら分からないけれど、生前のばあちゃんから聞いた話では、軍医さんとして戦争へ行き、そのままソ連に捕まって捕虜として労働を強いられていたらしい。毎日食べ物があるか分からず、配給されるスープや生のジャガイモが多かったと聞いた。それでも医者としてソ連の兵士を治療したり仲間を診たりして、少しは待遇がよかったのかもしれない。あくまでも少しは、といったところのようではあった。体が丈夫で大柄だったじいちゃんは、仲間がどんどん死んでいくのを看取り続けながら、帰国ができる機会があった時はずっと仲間を先に送り出してきたらしい。最後に帰ってきたと聞いている。

医者として、できることも限られている中で、過酷な状況で、どれだけの思いを胸に抱いていたんだろう。短い歌に込められた言葉に胸が詰まった。

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印パ戦争の文字から、急に思い出されるのは自身に鮮烈に残る思い出からだったのかもしれない。衝撃と無力の念が強く感じられる。

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死が傍にあったこと。看取る死の傍にいたこと。

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「死ぬにはどこを撃ったらいいか」と医者の自分に聞かれたその時の胸の内を想う。そしてエトロフ島に二年の文字。新婚三月で召集。

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カラスやネズミ、アザラシを食べて生きた。シベリヤ抑留四年間の思い出へ。

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1971年12月16日、3句目まで。

そしてその翌月の1月に、グアムで潜伏していたあの横井庄一さんのことを知る。

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数日に渡り、横井さんへの想いを綴っている。余生は楽に過ごして欲しいと切に願っている。未だ兵士の志捨てぬ横井さんの姿に、心中騒つかせていたに違いない。


自分が触れたことのある家族の肉筆はあまりにも衝撃で、戦争というものがとても身近だと改めて感じた。私は寝たきりの祖父の記憶しかない。じいちゃんと会話をした覚えがない。それでも、周囲から聞くその人柄に、「じいちゃんが大好き」ととにかく側にくっついていた。そんな祖父の、自身の言葉を手にして、とてもとても感動したのと同時に、衝撃と、もっとこの大事な経験の話を知りたかった、聞きたかったと思った。


本当は、思い出したくないのに思い出されてしまって、書き記したのかもしれない。でも、書いて残してくれていたことに、とても感謝している。よく生きて帰ってきてくれた。書き残してくれて、ありがとう。

じいちゃんは私が6歳の時に死んだ。私に初めて「死」を教えてくれた人だった。そしてこの手記でも「死」の身近さを教えてくれた。

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死んだ後も、孫の私に、生前祖父に助けられたという患者さんや戦友の方たちから何度も頭を下げられた。ばあちゃんは死ぬ前に、「次もおじいちゃんと結婚したい」とつぶやいていた。話したこともなかったけれど、大好きだと思っていた私は子供ながらになかなか見る目があったのかもしれない、なんて思ったりした。


今、戦火が上がっているこの時に、戦いたくないのに戦っている人を想う。巻き込まれた人を想う。そして、この手記を思い出して、気まぐれに書いたかもしれない短いこの数ページを何度も読み返した。

何もできないけれど、知ろうと思う。私は何の役に立たないけれど、身近に思い、祈るのだ。きっとそこに、じいちゃんと同じような人もいるんだと思うと、祈ってしまう。

おじいちゃん

どうか一人でも多くの人が、平和に戻れますように。

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