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ある言葉、誠実な愛


2年前くらいからあまり鏡を見なくなった、正確には鏡の中に映る自分に執着しなくなった。
10代〜20代前半は外見至上主義と言っても良いくらい見た目を気にしていたし可愛くなりたい綺麗になりたい羨ましいばっかり言ってた気がする。いまもそうゆう気持ちがないわけじゃないけど、人と比べて自分を卑下することが無くなった。

私は言葉をきちんと受け取るようになった。私の中には沢山の言葉がある。いろんな人から貰った暖かい言葉が心の中に沢山積み重なって、重く暖かくなった。

外見が全てだと思ってたあの頃は自分のことが大嫌いだったけど、人から貰った言葉をひとつひとつ確認すると自分ってそんなに悪くないかも、と思えた。

私が持ってるものは全部人から貰ったものだ。
良いことも悪いことも全部。人に優しく出来たこともあるし恩を仇で返したこともある。
もらった言葉は人の心に残るし、大切にできる。
生きる糧にもきっとなる。だから言葉を大切にしたい。

中学校のときクラスの全員ひとりひとりのイメージとか良いところを書いてみようという恐ろしい授業があって、それは匿名だけど大体イニシャルでわかる。
私のみんなからのイメージは大体似たり寄ったりだったけど、ひとつだけ

「優しい。誰とでも分け隔てなく接してくれる」

って書いてあってすごく嬉しくなったのを思い出した。
その子はあんまり目立つタイプじゃなかったけど、話すと面白かったし絵が上手かった。私はその子のことが結構好きだったし、席が前後のときによく話しかけてた。
13年経ってもそれが、嬉しくてまだ覚えてる。

自分が誰かに優しさを渡して、誰かから優しさをもらって、それをまた誰かに渡して、、私自身が優しいわけじゃなくて(実際結構短気だし)誰かからもらった優しさや言葉がぐるぐる回ってくる
良いことも悪いことも同じようなことかもなとぼんやり思った。

お花が綺麗に咲いてきて春が近づいてきた。
そういえばあの言葉を書いてくれた同じクラスの女の子は、名前に春が入ってた。

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