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【短編小説】空耳

幼い頃から、よく空耳で知らない人の声を聞いた。毎回決まって女の人の声で、僕の名前を呼んでいるのだ。

最近はその現象も多くなってきた気がする。一日に一度だけならば、まだマシだと感じる程には聞くようになってきた。
そんな状態でまともな生活が出来る訳もなく、今や週に一回は心療内科にお世話になっている。

けれど状況は全く改善されず、それどころか何だか空耳が増えてきたようにすら感じる。

意味がないと分かっていても耳を塞ぎ、頭を振り、その場でうずくまる。いつしかそれが癖になっていた。

「もうやめてくれ…」

たまらずそう呟くと、今度は息を呑むような音が聞こえた気がした。
それから、その日は空耳を聞くことがなかった。

その晩、不思議な夢を見た。
僕がまだ小学生だった頃に、亡くなる直前まで僕を気にかけてくれていたドがつく程のお人好しだった父さんが、お腹の大きな知らない女の人と一緒にいた。

母さんは僕が生まれて間もなく亡くなった、と父さんは言っていた。写真を見せてもらったことはないが、隠れてこっそり捲ったアルバムでそれらしき女の人を見たことならばある。
ただ、その人が本当に僕の母だったのかは今でも分からない。

だってそのアルバムには、父さんとツーショットで写っていたそれぞれ別の女の人の写真が沢山あったから。

そういえば、空耳が始まったのはその日以降だったな。
ねえ…僕が言いたいこと、分かるよね。

貴女が腹違いの僕の姉だっていうなら、僕の父さんとも顔を合わせたことくらいあるんでしょ?
その時父さん、僕の母さんについて何か話してなかった?

何でもいいよ。僕の母の地元の話でも好きなことでも、痕跡を辿れる手がかりならば何でも。
そう…父さんとは会ったことがないんだね。分かった。

じゃあここでサヨナラだ。手、離すね。

仕方ないよね。貴女が突然、私の母が苦しんだのはアンタのせいだー!とか言って、僕のことをこのビルから突き落とそうとしてきたんだから。僕はそれを避けただけ。自分の身を守っただけだよ。
って、もう下でおしゃかになった人に言っても無駄か。

ああ…また空耳…。

分かっているよ。
これは空耳じゃなくて囁きだってこと。声の主は僕の本当の母さんだってこと。そして母さんは…背後霊として僕に取り憑き続けているってこと。

大丈夫だよ、母さん。確かに寝不足になったりノイローゼになったり、生活に少し支障は出ているけれど、母さんを邪魔者扱いはしないから。


父さんが棄てたあなたの遺体を見つけて、成仏してもらうまではね。

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