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古典派の「反復」は形を整えるための必然

いわゆる「古典派」の交響曲における緩徐楽章において反復がしつこいと感じることがあった。だが、それは小節の中身を数えているからであってその軌跡が何を描いているのかを見ていないからである。

バロックダンスは踊り自体だけでなく、その軌跡がつくる形をもまた大事にしている。ダンスの主宰が舞踏譜を考え、書いて残したのもそのためだ。細かいひとつひとつの個の踊りと共に、それらが動くべき形がまずある。その軌跡こそがそのダンス全体の骨格なのだ。フォークダンスが円を描くように、あるいは現在でも、フォーメーションが大事なように。このダンスがどんな軌跡を描いているのかに着目しなければ作品は見えてこない。

だからテンポ感が掴めない。緩徐楽章だからテンポを遅く執るという考えないステレオタイプでは見えない問題なのだろう。
過剰に感じる「反復」には実は意味がある、と考え直してみるべきなのだ。

Hob1:82の第2楽章2/4allegrettoはそういった問題意識の必要性に改めて気が付かされる。

この音楽の基本は

0123|4

という小節の4拍子であり、その往復がひとつを形成する。

0123|4567|8

だが、ここには反復が伴う。つまり、この8小節が全体なのではない。

0123|4567|8123|4567|8

という形こそが全体になる。つまり、この主題は4つの小節を分母とする大きな4拍子であることまずここで示されているのだ。この反復が焦ったいと感じるのは小節の捉え方が間違えているに過ぎない。つまり、8分音符や四分音符を数えているに過ぎないのだ。設定がallegretto であるのは単なる気まぐれではない。その構造面を含めた意味があるのだ。

そのことは反復後の動きでもっとはっきりとしてくる。

①8 9 10 11 ②12 13 14 15 ③16 17 18 19 ④20 21 22 23  |①24 25 26 27 ②28 29

と進行してきたところで反復となり8小節目に戻る。
つまり、

①24 25 26 27 ②28 29 8 9 ③10 11 12 13 ④14 15 16 17 |①18 19 20 21 ②22 23 24 25 ③26 27 28 29 |①30

と、30小節目からの展開に間に合うように拍節が構成されているのだ。
つまり、拍節的には反復をしなければ、転調の部分で不自然な呼吸になってしまう。反復することです位相を変えて、新しいフレーズのように聞かせていく戦法なのだ。反復があることによってバランスが整えられる仕組みになっている訳だ。

反復がしつこいと感じてしまうのは、そういう全体像の形成がつかめていないからに過ぎない。全体像が掴めると、反復を必然とする呼吸がみえ、テンポ感が分かるのだ。反復があることによって音楽が成り立っている。

いわゆる古典派の作品では、反復はこのように、形式観を整えるためにある必然性であることは少なくないのだ。

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