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形態変容の連続〜コリオラン序曲
ベートーヴェンop62の主部への転換の過程は、形式とドラマとの葛藤過程を垣間見る感じが面白い。そして、その形式的な動きととドラマ的な流れを意識すると緊張感が漂ってくる。
形としては煮詰まらない状態で主部は動き出す。15小節めから始まる主題は17小節めで足をつくことはbassパート動きからもわかる。だが、このたったの2小節で足が着くのは形式としては良くはない。というのもこの15小節は「序奏」のまだ流れの中にある。だから、主部と序奏を形式的に切り離そうとすると無理が生じてしまう。
以前も見たように「序奏」は
①00 ②12 ③34 ④56 ⑤78 ⑥910 |…
という二つの小節による6拍子の運動によって成り立っている。そして、主部への切り替えの過程は
…| 11 12 13 14 15 16 | 17
という小節の6拍子の骨組みの中で調整され、形成されていく。そして次のフレーズは
17 18 19 20 | 21
という小節の4拍子の骨組みで21小節めの総休止似飛び込んでいく。
この21小節めからはさらに
21 22 23 | 24
という小節の3拍子の運動のなり、さらに28小節めの総休止へと4拍子で飛び込んでいく。
ここからようやく、音楽はallegro con brioとしての本領を発揮する。小節の6拍子の2回転という最高にドラマティックな呼吸で高まっていく。
この緩急切り替えの様はまさにメタモルフォーゼの過程そのものを見せつけられる。
だが、この形態変化はさらに続く。二度の6拍子拍節て最初の頂点に達した音楽は小節の4拍子の揺りかごに収まるが、その余った50小節めと51小節めはが新しい分母形成のきっかけとなって二つの小節による大きな4拍子を骨組みとするヒロイックな第2主題を導き出す。
また、この第2主題の後、分母が圧縮されてひとつの小節に戻る様も自然に行われる。
これらの見事な変形の過程を演奏者は自分の呼吸としてものにしていないと操作を誤って生命感を殺してしまうだろう。
このop62はテンポの基本線をほとんど変えずにドラマティックな展開を実現している。バロック音楽から古典音楽への時代で作られてきた緩急の切り替えの技術をこのように可能にしている姿には感服させられる。そして、このような形態変容の術はシューマンに影響を与えているのを感じる。例えばマンフレッドの序曲は一見、テンポ変化による緩急切り替えのように思われるかもしれない。しかし、小節の運動の基本線は、その振幅の幅かもあるにせよ、序曲の間中変わらない。このことの把握ができないとマンフレッド序曲も支離滅裂になりかねないのだ。
ベートーヴェンop62のこの形態変容の過程の面白みも、後期浪漫派的なオーバーな音響や対比で考えようとすると生かせなくなる。ドラマティックな音楽であるからと言って、恣意的なテンポの変更と対比が音楽を面白くするという後期浪漫派的な視野しかない姿勢から古典を取り扱うのは失敗の元でしかない。その視野がその演奏を重くするのだ。
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