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簡素なようですごく複雑な第3楽章〜ブラームス交響曲第1番

ブラームスop68の第3楽章って、その演奏は意外に難しい。のんびりと間奏曲風をやっていると音楽に揚げ足を取られてしまう。

というのが、まず、この耳あたりの良さげな主題の骨格だ。これを掴まないで感覚的に楽譜を追ってくだけでは自分の立位置がわからなくなる。無自覚なうちに迷路にはまってしまう。

このメロディは小節を分母とする5拍子の往復で歌われている。そもそも5拍子っていうのも変則的。しかもこの主題はフレーズの往復を鏡に写しあったような流れでできている。

01234|56789|10…

この後8小節間は5+3の分割で渡っているのもまた意地悪な道のりだ。さらにまたメロディが帰ってくるけれど、今度は7拍子フレーズに変形されている。以降は5+3を繰り返して中間部に進む。

というとても複雑な数字遊びの設定になっていて、受け手を翻弄させる。

中間部はテンポの速さを感じさせるスリリングさがある。これは4つの小節を分母にとる4拍子というpresto 的な拍節感で設定されているからだ。面白いのはこの中間部の終わりにはダンパーがあってブレーキが効くように設計されていることだ。4つの小節の4拍子で音楽は高揚し、自然にテンポも速くなっていくだろう。だが、103小節めから分母を二つの小節に切り替え、その3拍子にすることでテンポの高揚感は抑えられる。ここで反復があることでその高揚と収束の反復が自由さを助長する。この反復は単なる繰り返しではなく明らかな煽りになっている。2番かっこでは更なるテンポ抑制が効いている。

このようにこの第3楽章は自由さに溢れた幅の広い音楽になっている。それは晩年の間奏曲にも見られるような表現力が要求される作品なのだ。

このような設定の下、感覚的な把握では作品の表情の変化に対応できないだろう。結局、それがテンポを遅くしてしまう原因に繋がる。結局、ブラームス演奏でテンポが遅くなるのは演奏者の対応力が追いつかないからなのかもしれない。そう考えてしまう。

演奏者はアトラクションを効果的に楽しませる道案内でもあり、演出者でもある。楽譜に忠実にというのはそういう求められる効果の問題も含めてのことなのだ。和音の重厚さだけしか聞かせられないような演奏には終わりたくないものだ。

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