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ベートーヴェン交響曲第7番第4楽章の開始と反復の問題

ベートーヴェンop92第4楽章の演奏をしていて気になるのは例えば12小節めなどの主題の結尾の処理だ。この反復箇所では2ndvnやvaが8つの16分音符で盛大合いの手を打っているにも関わらず、この部分が完璧に埋没しがちだ。無意識のうちに拍節感を間違えてはいないだろうか。埋没の原因もそこにあるように思う。

多くのallegro音楽は0小節めを起点とする小節の音楽で成り立つ。

0 1 2 3 | 4…

となるものだ。

一般的なこの曲の演奏でも無意識のうちに0小節めから始まっていないだろうか?

0123|4567|891011|12…

という呼吸でいく場合、12小節めのtimp を中心とするリズムは効果的にアクセントを決められる。だから、そこに帰着点が来るように歌っている。それは無意識のうちにそこにアクセントが来るように歌っているのだと思われる。このような「解釈」の場合、確かに4小節めなどの総休止小節はブラックホールのような吸着力を持って緊張感を与えるだろう。だが、その結果一般的な0小節めのあるallegroと混同されるのではないだろうか。

このallegro con brio はむしろop55の冒頭と同じような作りになっていると考えている。つまり、エロイカの冒頭がこの音楽は二つの小節を基盤としていることを高らかに宣言するように、冒頭4小節はひとつの塊であり、これがこの楽章の基盤は4つの小節を単位としていることを宣言しているのだ。そう考えると

1234|5678|9101112|…

という流れができる。12小節は次の5小節め、あるいは13小節めへ連なる波のように盛り上がる。そういう波に乗ると合いの手の16分音符を効果的に歌うことが可能になる。

これはこのメロディの全体像の捉え方に繋がる問題となる。

つまり、

①1234 ②5678 ③9101112| ④5678 ⑤9101112 |
①13141516 ②17181920 ③13141516 |
△171819 |
①⑵20…

という構造だ。この音楽は初めから反復を音楽の道のりの過程として捉えているのだ。
ここで面白いのは13小節目からの構成だ。反復の結果を含めて、「4つの小節による4拍子」を「4つの小節による3拍子」に圧縮し、さらに小節の三拍子に圧縮する。この滑舌の良い音楽はこのように数理的にも整った形を成しているのだ。※この圧縮の過程はブラームスop68序奏の8小節め9/8への圧縮過程を思い出さされる。

単なる反復ではなく、その尺として欠くことのできない過程と捉えているのだ。

楽譜の音符が効果的に響かない理由はこのような演奏側の把握の問題にも関連している。なぜこの箇所を鳴らせないのか?という問題意識も大事な発見のヒントとなるのだ。

また、反復という問題は単なる繰り返しという場合だけではない。反復することがもともとの全体像に影響を及ぼしている場合もあり得るのだ。D.C.やD.S.による反復後は反復を省略するという「常識」はこの場合のように万能的に通用するわけではない。
その作品ごとに因数分解的な吟味が必要なのだ。反復の狙いがなんであるのか、それは数理的に、あるいは効果面からも、必ず考える癖を持たなくではならない。単なる繰り返しに陥ったら見失うことがあるかもしれないのだ。

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