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なぜallegretto なのかからスタートする〜ベートーヴェン交響曲第7番第2楽章

ベートーヴェンop92の2/4allegretto の主題は単調な繰り返しに聞こえるかもしれないが、実は大きな三拍子の枠組みの中にある。

①12 34 56 78 |②910 1112 1314 1516 | ③17181920 |①21…

逆に演奏者がこの三拍子の骨格に気がついていない場合、単調な繰り返しになりかねない。その罠に陥っているから音色に頼ろうとする。意味あり気な和音を意味深な雰囲気で伝えようとする。そうやってallegretto から遠のいた遅めの「緩徐楽章」に陥ってしまう。そうやって作品の挑戦を台無しにしてしまうのだ。

マス目、あるいは枠組みは決まっている。「形」とはそういうものだ。そのマス目にどう言葉を当て込むのかが音楽なのである。音を並べた結果ではない。脈絡なく音を並べていく発想だから形が見えないのだ。音響という上澄みしか掬えない受け取り方では論理としての音楽はわからない。危ない新興宗教のような雰囲気と言いなりの闇雲に陥ってしまう。そうなっては見えるものも見えなくなってしまうのだ。

この曲はフレーズを反復することで形を整えている。だから、このような反復のある積み重ねのある音楽の場合、それが作る形を捉えて見なくてはいけない。音響ばかりに耳を傾けてしまって、その三角形が伝えられなくては意味がないのだ。そこにallegrettoである理由が見えてくる。

知っている記憶を全面否定して、allegretto としてのこの作品に挑んでみる。そうすると、なぜallegretto なのかよくわかるんじゃないかな。

つまり、スタートが往年の名演奏の記憶というのでは最初から姿勢が間違えているのだ。

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