08|終末論から読み解くバンクシー(完 ただし次回「追」あり)
2021年7月15日/記
くそ作品に気をつけろ
バンクシーがイギリスの国立美術館テート・ブリテンに作品を持ち込んで、勝手に展示した事件を思い起こそう(図1)。2003年のことだ。社会風刺的な絵画作品を展示したのであるが、その作品の風刺内容だけではおそらく話題にならなかっただろう。監視の目をくぐって展示してしまうという、その痛快さがあってインパクトをもったものと思われる。まあ、全体として一つのパフォーマンス作品のようなものだ。
初めてこの無断展示の情報に触れた時、「売名行為じゃないの」くらいの感想しかもてなかった。「ちょっと犯罪的でカッコいい」などと思うほど私は若くなかったし、今だってそのパフォーマンスだけでは関心がもてない。ただ、このパフォーマンスに、もう一つのアクションを重ねると違って見えてくる。
バンクシーは、テート・ブリテンに作品を持ち込む1年前、美術館の玄関前の階段に「MIND THE CRAP」と落書きしている(図2)。「CRAP」には「くそ、ごみ、くだらない」などの意味があるようだから、例えば「くそ作品に気をつけろ」と訳せばよいだろうか。テート・ブリテン収蔵の全作品を否定しているわけではないにしても、美術館に対して強烈な批判があることは間違いない。威勢よく宣戦布告したようなものだが、それだけに簡潔で、メッセージがストレートに伝わってくる。このアクションと重ねると、パフォーマンスが単なる売名行為ではなく、そこにはなんらかの「志」がある、と思わせる。今の私には、作家の志が感じられるかどうかが重要で、それが関心と感動のカギになっている。
なお、バンクシーは、著書『Wall and Piece』(注1)に、作品の持ち込み場面や玄関前の写真を掲載した上で、明快な言葉でアートを批判している。まずはこう語る。
◆アートは、その成功を観客が決めるのではないという点でほかの文化とは異なる。僕ら大衆は連日コンサート会場や映画館につめかけ、多くの小説を読み、たくさんのレコードを買う。僕ら国民が自分の文化の形成や質の大部分に影響を及ぼす。だが、僕らのアートはそうではない。(『Wall and Piece』)
ここで言うアートは美術分野のことだ。そして他のアート分野である音楽、映画、小説とは異なるところがあると主張する。たしかに音楽、映画、小説ほどの大衆性をもたない美術は、そのため美術特有の歪みを抱えている。バンクシーの次の指摘もそうした歪みの一つだと見てよい。
◆僕らが見るアートは、選ばれたひと握りの人々によってつくられる。わずかな人々が創造し、推進し、購入し、展示し、そして、アートの成否を決める。世界で、ほんの数百の人間だけがリアルな発言権を持っている。美術館に出かけていく君は、大金持ちのトロフィー棚を眺めている旅人にすぎないのだ。(『Wall and Piece』)
バンクシーが指摘する美術状況は、「続」編で触れた、セレブ集団「ジェット族」が暗躍する世界とほぼ重なる。この背景には一品生産と私的所有が絡む歴史があり、特権的な人たちの影響を受けやすい体質が美術分野には形成されていた。それが1980年代以降はさらにエスカレートしたものと思われる。
現代の美術界は、一握りの人たちが仕掛けるゲームとなり、おかげで一部のアーティストの作品価格は異様なほど高額化した。ただ、その代償として、アーティストはゲームの「捕虜」になってしまったのである。この状況を受け入れるのか、それとも受け入れないのか。もちろん目をつぶって黙々と作品作りに励むことはできるが・・・。
バンクシーが美術界に対して戦闘的な態度を取ったのは、状況を明確に認識し、批判的に受け止めたからであろう。富裕層による美術界の私物化を描写していた『現代アートの舞台裏』と『巨大化する現代アートビジネス』の初版は、それぞれ2008年と2010年で、和訳本はもっと後である。2003年のバンクシーの認識は、結構早い時期だったと思われる。日本では、同年、村上隆の作品に6800万円の値がつき、ようやく高額化が話題に上り始めたのだが、すでにバンクシーは美術界の歪みとして批判する行動を起こしていたのである。
富裕層美術に仲間入り
バンクシー作品の価格や富裕層との関わりについて簡単に触れておこう。ブリストル時代からすでに作品の人気は高かったらしい。1998年に開かれたグラフィティのフェスティバルで、バンクシー作品は評判がよく、そのため盗まれてしまった。また、あるショップで約2万6千円~15万6千円で作品を販売したが、3日ほどで完売した。レストランで開催した個展でも、同程度の値段で売り、初日にほぼ完売したという。
拠点をロンドンに移した1999年(当時25歳頃か)以降を見てみると、ブラーなど有名アーティストのCDジャケットのデザインを手がけているから、若者たちの間では人気があったと思われる。注目すべきは、この頃から作品販売の収益を寄付する行動を始めていることだ。若者に人気があったとはいえ、世間的な意味ではまだ無名時代のはずで、こうした行動に早くも彼の生き方が現れている。
もう一つ、彼の行動の方向性を明らかにするエピソードがある。2003年頃、ダミアン・ハーストなどの売り出しで知られるチャールズ・サーチがバンクシーの大ファンだと告白した。が、バンクシーは「サーチに自作を売ることはない」と明言したという。富裕層美術を代表する一人であるサーチの袖を振って、富裕層側につかないことを表明したわけである。
富裕層とつるむことはしないが、無縁というわけではない。2006年にアンジェリーナ・ジョリーらがバンクシーの展覧会を訪れ、ジョリーは3作品を約4300万円で購入している。こうしたセレブにバンクシーはそれなりの高値で売っているようなのだが、他方では、庶民的な値段での販売も続けている。例えば、同年、新作をブリストルのワークショップで販売しているが、こちらは1点2万ほどで売り、2時間で完売したという。そして売り上げを発展途上国の視覚障害者のための国際チャリティーに寄付している。(注2)
オークションでは、2007年に〈宇宙服の少女と鳥〉が約6800万円で落札され、価格の高騰化が進む。もっとも、本格的な高騰は、やはり2018年のシュレッダー事件からのようだ。細断されても約1億5000万円の価格で買い取られ、その後さらに値が上がったと伝えられている。翌2019年には〈退化した議会〉(図3)が約13億円の超高値で落札、もう完全に富裕層美術に仲間入りした感じである。(注3)
鼠小僧次郎吉のように
2020年7月、複数のメディアがバンクシーの新作について一斉に報じた。ロンドンの地下鉄の車内に描かれた作品〈マスクをせよ、さらば与えられん〉(注4)の話題である。くしゃみで飛沫を飛ばすネズミ(図4)やマスクをパラシュート代わりに使うネズミなどが描かれた。コロナ禍の中でのコミカルな風刺表現であり、これはなかなかの力作である。
ところが、この作品、綺麗に消されてしまったのである。ロンドン市交通局によると「落書き禁止の厳格な原則」に基づいた処置だという(『時事ドットコム』)。なるほど正しいし、しかるべき措置である。が、清掃員がバンクシー作と気づかずに消し去ったという報道もある。交通局は、惜しいと思ったのか、バンクシーに「適切な場所で」制作してもらう機会を提供したい、と話しているらしい。ん、適切?
本当に惜しいことをしたのかもしれない。地下鉄事件の作品より数カ月前にバンクシーが病院に寄付した絵画〈ゲームチェンジャー〉(図5)は、2021年3月にオークションで約25億円もの超高額で落札されたのである。地下鉄事件からたった8ヵ月後である。なお、〈ゲームチェンジャー〉は、風刺性という意味では温厚な作品である。医療従事者へのオマージュ的な表現内容であり、「あなた方がしてくれていることすべてに感謝します。この絵で、現場が少しでも明るくなると嬉しい。白と黒しか使っていないけれど」とのメモが付されていたという。
地下鉄車内の作品は、もしかすると何十億円もの値がついたかもしれない。が、別の見方では、清掃に何万か何十万かの無駄な金がかかる違法落書きなのである。真逆の価値観が交差するわけで、どちらが正しいのかわからない。結局のところ、清掃代の赤字補填はロンドン市民ということか。ただ、市民はけっこう面白いリアリティショーを見せてもらったようなものだから、そんなに苦情を言わないだろう。
それにしてもバンクシー自身は実に気前がよい。高額購入されるとわかっている作品を寄付し、消されるとわかっている作品で市民を楽しませる。そうなると彼の生活や活動を支えているお金のことが気になってくるが、金蔓は、おそらく富豪たち(注5)。まさかコンビニでバイト、だったら面白いが、まあ、それはないだろう。
素直に推測すれば、こうだ。富豪たちから直接間接に頂戴したお金を、自分の生活費だけ残して寄付し、あるいは移民救助船などの購入にあて、あるいは私たちを楽しませる活動としてばらまく。まるで鼠小僧次郎吉(注6)のような振る舞いである。そうだとしても、問題は残る。前にも触れたとおり、富裕層の食欲は旺盛だし、胃袋も頑丈で、バンクシーの風刺の毒などあっさりと消化してしまう。怪物化した富裕層はビクともしないのである。
現代アーティストにシンパシー?
鼠小僧的な活動を可能にしているのは、皮肉なことに、敵対する富裕層美術なわけである。そして両者をつないでいるのがアート(芸術)という価値観。バンクシーは、本人の「志」がどうであれ、今のところ、富裕層のアート文脈(価値観)を踏み外してはいない。だからこそ富裕層の嗜好に適うのである。富裕層に刺激を与えることはあっても、弾き飛ばされることはなく、作品が高額で買い取られていく。
ではバンクシーのアートに関わる「志」はどうなのか。彼が「芸術」を前提としていないことについては、前回触れた。「芸術」それ自体が「権力、権威、社会問題」と同等、あるいはそれ以上に重要な風刺対象になっていることも。しかし、権力、権威、社会問題に対しては一刀両断の勢いで切り込むのに、どうも芸術となると切り込み方が弱いのである。
例えば2005年、バンクシーは、アンディー・ウォーホル(アメリカ1928~87)の「キャンベルスープ缶」シリーズに似せた作品を制作し、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に無断展示した。描かれていたのは、Campbellの缶ではなく、イギリス企業Tescoの缶(図6)、ウォーホル風でありつつも、かなり違う。観客が気づいてもよさそうな頃合いの疑似ウォーホル絵画なわけである。
その結果、バンクシーによると、「この絵を貼りつけてから、次に何が起こるのか5分間見ていた。たくさんの人々が歩み寄り、眺め、戸惑ってちょっと騙されたみたいな面持ちで次へと移動していった。僕は本物の現代アーティストの気分を味わった」という。
なるほど、面白い見せ物であり、バンクシー作品のエンターティンメント的な一面を表出させている。が、表面的な面白さを除外したら、観衆を小馬鹿にした程度の内容しか残らない、と私は思う。風刺としては少々ゆるいのである。同じミュージアム侵入ものでも、ロンドンの自然史博物館の剥製ネズミ(図7)の場合、もっと気概があり、「われわれの時代がやって来る」との暴言を吐いていた。ましてこの頃開始したパレスチナの分離壁への「ボム(爆撃)」と比べると、風刺の次元が違いすぎる。もしかするとウォーホルや現代アーティストにシンパシーのような感情があって、敵対勢力として対象化できないからなのか?
アートの内と外
もう一例挙げておこう。2017年、ロンドンの文化施設バービカン・センターで開催されたジャン=ミシェル・バスキア(アメリカ1960~88)の大回顧展の直前、付近のトンネル通路の外壁にバンクシーはバスキア絡みの絵を2点描いた。その一つがバスキアの《ジョニーパンプの少年と犬》を下地にした絵(図8)である。バスキアへのオマージュを示しているとする説もあるが、それはない。両手をあげて無抵抗を示す黒人(バスキア本人であろう)を2人の警察官が取り調べている、といった内容である。バービカンセンターでは大歓迎を受けているバスキアだが、こちらでは冷たい職務質問を突きつけられている。グラフィティを認めていない世間が、グラフィティ作家バスキアを大歓迎する、その矛盾を皮肉っていると見るのが普通だろう。
バービカン・センターの委員会や住民の意向で、バンクシーが残した2点は保護されることになった。グラフィティから保護物件に昇格したのである。もちろんグラフィティが認められたわけではない。今もグラフィティとアートの間には厚い壁がある。
さて、今も厚い壁で分離された中で、バンクシー本人は、アート(芸術)の内側にいたいのか、それとも外側に立とうとしているのか? おそらく本人も迷っている問題だと思うが、あえてこの微妙な問題に探りを入れてみよう。
ロンドンに拠点を移す1999年以前と以後に分けると、筋が見えてくるような気がする。以前はヒップホップ文化に浸り切り、アートなどどこふく風といった、非合法グラフィティに邁進する違法ネズミだった。明らかにアート(芸術)の外に立っていた。もしグラフィティが音楽分野のように広がっていったとしたら、バンクシーもそのままの道を進めたのかもしれない。あくまで仮定の話だけども。
ともかく、そうはならなかった。美術分野では事情が違ったのである。グラフィティのヒップホップ文化としての広がりは弱く、社会に強い影響力をもっていたのは、やはり既存の現代アートだった。しかもその中心はバンクシーが否定する富豪層美術であり、これに与することはできない。じゃあ、グラフィティの先輩であり、社会問題にも敏感という共通項のある、先ほどのバスキアにはシンパシーをもっていたのだろうか。
実は、共通項よりも、違いの方が気になる。バンクシーは、グラフィティ文化の存在意義を強く意識し、主張しているが、バスキアはグラフィティから素早く脱退したばかりか、アート界でスターになることを望んでいた。ウォーホルを尊敬し、本気で慕っていた若者だったのである。疑似ウォーホル絵画を勝手に展示して、「現代アーティストの気分を味わった」などと白々しく語るバンクシーとはだいぶ違う。
社会問題にしても、バスキアの場合、自分では避けられない出自として黒人問題に関心をもち、創作動機とした。そこに真剣な魂の叫びがあったことは認めなければならないが、彼の内面問題の範囲内に留まっている。それに対して、バンクシーは、社会の様々な問題に次々と取り組んでいく。
活動時期もかなりずれる。バスキアが現代美術の表舞台に登場したのは1980年代、商業主義の色合いが強まり、富豪層美術へと向かう時代であり、この大きな変質期にバスキアは現代美術の寵児となる。当時のウォーホルは、すでに盛りを過ぎていたが、それでもスターであることに執着していた。彼は、バスキアを援護するとともに、バスキアを利用して自らのスター生命の延命を図るも、1987年に病死した。生前、「自分の墓にはただ一言、『絵空事(Figment)』の文字を入れてもらいたいと言っていた」という(注7)。なんという人だ。けれどもバスキアはウォーホルの死にひどい衝撃を受け、悲しみに沈んだという。その翌年、薬物の過剰摂取による不幸な死に至る。まだ27歳であった。
バンクシーは、彼の正確な生年は不明だが、おそらく10年程度はあとの世代だ。美術が自立した力と崇高さをぎりぎり保ちえた最後の時代、すなわち1980年代を、その光も影も冷静に見つめられる位置にあった。そう考えると、「現代アーティストにシンパシー」といった、牧歌的な構図には無理がある。
結論
やはりバンクシーの根にあるのは、警官に追われながらストリートのあちこちにボム(爆撃)を続ける、グラフィティ志向ではないだろうか。彼が手掛けたストリートワークは、そのほとんどが消されてしまったようだが、たいへんな数だと推察される。注がれた情熱も同様である。反権力・反権威・反社会の色彩が濃厚なヒップホップ文化のグラフィティこそ、彼の血なのだと思う。
その上で、真反対のようなことを言わせてもらおう。彼のグラフィティワークに強靭さを付加しているもの、それはアート(美術)力だと。あまたのグラフィティライターとバンクシーを隔てているのは、バンクシーの圧倒的なアート力である。現代美術を含めた多彩多様なアート力を駆使して、多くの人に衝撃と感動、娯楽性さえ与えているのだ。おそらく自力で学び、吸収し、創意工夫によって力をつけていったのであろう。アートは彼の第二の血のようなもの、とでも言っておこうか。
ただ、その結果生まれてくる作品を芸術としてのアートだとするのは、美術関係者や世間の悪いクセである。多くの人が何のためらいもなく、安易に「ストリートアート」と呼ぶが、アートと呼ぶと安心安全だし、アートを誉め言葉だと思い込んでいるようなところもある。ストリートワークがまるで出世魚のようにストリートアートになる、というわけだ。
冷静にバンクシーの活動を見てみれば、どうしたって第一の血の方が濃いように思われる。語源的に言えば、アートは技術でもある。バンクシーの場合、アート力を技術のように使っていると考えたらわかりやすいのではないか。彼が生み出しているのは、アート力を活用した表現作品、より高度化したグラフィティワークであると。そう見るのが本来的であり、それがこの番外編の結論でもある。
反抗するバンクシーさえ飲み込んでしまう富豪層美術の今は、まさに絶好調であり、目くるめく白昼夢のただ中にある。しかも、直接にはその恩恵に浴さない下々の美術界までが、その白昼夢を受け入れる。あるいは、何も見ないようにして、旧美術の安心安全な世界観に籠城する。実際、私も後者の気分なのだ。
ただ、ここまで来たら、もうアートじゃなくてよい、表現から再出発した方がよいのである。表現ということなら、活動の動機はうなるほどある。リアル世界を覆う貧困、格差、差別、抑圧、独裁・・・。そうした壊れた世界のガレキの下から這い上がってくる違法ネズミたちは、壊れた世界を壊そうと、白昼夢などではない、至極まっとうな夢を見る。かつてバンクシーは次のように語っていたが、今もその見解に変更はないのではないか。
やつらは許可なしに生存する。やつらは嫌われ、追い回され、迫害される。やつらはゴミにまみれて絶望のうちに粛々と生きている。そしてなお、やつらはすべての文明を破滅させる可能性を秘めている。(『Banksy Wall and Piece』)
完(仮)
「追」編のための追記
2020年2月の「珈琲茶会」で話をする予定で取り組んだバンクシーでしたが、コロナ禍で中止、ウェブ紀要に場を移し、終末論の「番外」として取り組みました。番外ということで、簡単に済ますつもりが、欲が出て、4回書いてようやく「完」に至りました。このウェブ紀要は、岩田洗心館のご厚意、というか特別待遇で、内容は自由、文字数制限なし、締め切りもなし。結果、こうなるのですね。
さて、今回が「完」ですが、タイトルは(完 ただし次回「追」あり)となっています。正直に言えば、「完」は嘘です。道半ばなのです。今回の結論で、表現からの再出発を再確認しました。芸術という価値観では守られないということにもなります。そうすると芸術表現ではなく、表現一般の地平で検証する必要が生まれてきます。例えば、フランスのあの強烈な風刺表現とも並べての検証ですよ。フランスと比べれば、バンクシーは温厚です。
さらにイギリスの近代絵画の出発がウィリアム・ホガースであったこともバンクシーの見方を変えてしまいます。イギリスの近代絵画は風刺で始まり、今日に至る、すなわち伝統だということ。その流れだと、イギリス的には、バンクシーは再びアート(芸術)に引き戻される可能性もある。あるいは、フランスの血の犠牲を呼ぶ風刺表現とは違って、イギリスの風刺表現はもともと温厚なエンターテインメントだった、という見方も。まあ、いろいろですが。
以上、私には担いきれない問題が横たわっているようであり、自信がありません。ほんのちょっと入り口を探る程度にしたいので、「追」の形でやってみようと思います。
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