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01|三頭谷鷹史の活動略歴

 このブログの内容は、「美術の終末、芸術の終末」「いけばな論」「雑言体」の3つに分かれている。「美術の終末、芸術の終末」(略して「終末論」)は、前から財団法人・岩田洗心館のウェブ紀要に掲載してきた長編の論文であり、このブログの立ち上げに合わせて移した。さらにここで書き継いでいこうというわけである。
 「いけばな論」では、いけばなに関する中小論文やエッセイを書く予定である。「美術論」の枠がないのは、今は終末論以外の美術論を書く気にならないからである。終末論を書き終えてからどうするかを考えるつもりだ。
 「雑言体」の中身は、ふぞろいが基本であり、何を書くかは自分でもまったくわからない。普段は書かないプライベートなことにも触れようか、とも思っている。人様には無用な思い出話を書きかねないが、自由勝手な個人ブログ、許していただきたい。
 さて、まずは自分の活動歴を簡単に記しておこう。

活動略歴 

1947年愛知県犬山市に生まれ、小学校時代に通った画塾で絵の面白さを知る。画塾の先生のお薦めはマティスだった。高校時代、立ち寄った本屋で見た画集でシュルレアリスムに関心をもつ。1966年、同志社大学工学部に入学(のち文学部に転部)。大学の美術クラブで活動し、現代美術に関心をもつ。学生運動では、バリケードにも入ったが、政治闘争よりも文化運動を重視する立場をとった。

1970年代は、京都で美術、写真、演劇、パフォーマンスなどのジャンル横断的表現活動をおこなった。ジャンル横断雑誌『ゐまあごを』に参加。そして帰郷し、公務員生活をしながら名古屋を中心に活動を続けた。「8号室」運営に参加。雑誌『毒薬大系』主宰。

パフォーマンス「国旗とニワトリに関わる祭り」1972年11月、京都
左『ゐまあごを』第11号 1976年8月刊
右『毒薬大系』第1巻 1975~79年 


1980年代
は、美術批評を中心に活動し、『美術手帖』展評、『版画芸術』展評、『毎日新聞(中部)』美術欄、『C&D』美術欄などを担当。また、この頃から、依頼を受けて美術批評を各所に書くようになった。一方で、文化運動への願望が強くあり、友人たちに呼びかけて研究会結成、自主メディアとしての雑誌『裸眼』を創刊。

1990年代も『朝日新聞(名古屋)』美術欄を担当するなど、美術批評を中心に活動。ただ、すでに時代は大きく変わっていた。美術界の停滞や現代美術の失速を痛感し、脱却の必要性を意識。そして以前から関心をもっていた現代いけばなに本格的に関わるようになった。1992年、名古屋造形短大教員(助教授)に転職。80年代から関わっていた「天皇コラージュ事件」の流れで「美術と美術館のあいだを考える会」結成に参加。裸眼「壱金講座」開設。

1995年に毎日新聞と朝日新聞の美術欄担当を同時に辞退。以後、美術とは一定の距離を保ちながら関わり、美術再考を課題とする。私的には大きな転換の年であった。

2000年前後には、美術批評は危険水位にあるとの思いに至り、研究面を重視する手法で批評の延命を試みた。地域美術の発掘研究による「化石の美術神話・名古屋」を『朝日新聞(名古屋)』に連載。ジャンル横断的研究で『複眼的美術論・前衛いけばなの時代』を出版、障害者の美術を検証して『宿命の画天使たち・山下清、沼祐一、他』を出版。

左『前衛いけばなの時代』美学出版 2003年刊
右『宿命の画天使たち』美学出版 2008年刊


2010年以降
、美術分野から近代いけばなに関する執筆依頼が多くあり、『美術の日本近現代史』(東京美術)、『日本美術全集第17巻』(小学館)、『日本の20世紀芸術』(平凡社)などに執筆。また、ジェンダー視点で近代いけばな史を再検証し、『日本女性新聞』に「女たちのいけばな」を連載。講座「珈琲茶会」主宰。2017年、岩田洗心館のウェブ紀要に「美術の終末、芸術の終末」連載開始。

2022年、「三頭谷鷹史個人ブログ」立ち上げ。

 なお、展覧会企画や審査、講演などもかなりやってきた。とくに展覧会企画は、私の批評的テーマやターゲットを視覚化する役割があり、批評活動と連動している場合が多い。これから書く文章のなかで触れていくことにしたい。

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