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毒親の介護の事を書いておこうと思うのです「毒母を看取る -前書き-」

「大阪の弁護士が94歳の母を傷害致死容疑で逮捕」という事件(2024年6月)を

Youtubeのニュースで知りました。私は毒母の介護から卒業してもうすぐ5年になろうとしていますが、「私はたまたま運命の歯車のかみ合わせが良かっただけで、こうやって報道されてるのが自分だったとしても不思議ではない」と感じてドキドキし、寄せられているコメントの1つ1つが心に刺さり、他人事でないという気持ちで下まで全部読みました。
現在進行形で両親を介護中の中学時代からの友達もこの弁護士さんと同じ「介護サービス受けてくれない」という悩みがあって「胸が痛い。暴力の前に要介護2なら親からの暴言もあったろうに。」と言葉を詰まらせてました。
今になって書こうと決めたのは、
①私自身も介護中、松本耳子さんの著書「毒親育ち」に助けられ「ここは似てる、ここはうちの方がまし」と比べながら、心の平静を保っていた部分があった経験からと、
②上記の弁護士さんが理性で抑えられず超えてしまった一線を幸いにも私は超えずにすんだことを振り返り、心の持ち方や感情の保ち方、実際やってよかったこと、やればよかったと今になって思うこと、あれは失敗だったと思うことを記録しておくことで
「ラクダの背骨を砕くのは最後の一本のわらだ
It is the last straw that breaks the camel's back.」という英語のことわざにありますが、このNOTEが今苦しくてどうしようもない誰かの今日のわら1本を取り除くことが出来たらいいと考えたからです。

なるべく暗くならないように心がけて書くつもりですが、介護にも毒親にも無縁の人にはつまらない話だと思うので、スルーしてください。
前書きにどうしても書いておきたいのは、「子が親を看るのは当たり前」と、介護まっただ中に以前の職場の先輩に言われ、今もその人(奥さんに自分の親の介護は丸投げ)とは絶縁中です。心が狭いと言われても、当時一番言われて嫌だった言葉だったのは事実であまりに悔しくて下唇をきつくかんで血が出ました。
また「親に向かってその言い方は失礼」と外野から言いたくなる記述も出てくるかと思いますが、きれい事ではなくそうでも考えないとやってられない汚物まみれの日常が理解出来ない人のコメントも受付けませんので、よろしくお願いします。
前出の松本耳子さんも書いておられたましたが、つらかったことを思い出して書くのはわんわん泣きたくなるしんどい作業です。毎日の更新は無理だと思いますが、時々のぞきに来て下さい。


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