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クリエイティブであることってなんだろう

「田口ランディ」さんの名前を知ったのは、98年だった。私が初めて繋いだパソコンルーターのプロバイダーサービスにメルマガの配信オプションがあった。ハーフの男の人を想像して、何だか面白そう、と申し込んでみた。

これが大当たりだった。

今日はきてるかな、とメールボックスを立ち上げるたびにワクワクした。まだインターネットは黎明期で、つなぐたびに電話代がかかって「ぴ〜ヒョロピ〜ガガー」と音がしていた。

もともと本や雑誌、活字好きだった私が、初めて接した「パソコン画面越しに読む読み物」だった。あの頃、ホームページさえシンプルなものがほとんどで、やりとりは掲示板が主だった。まだブログさえなかった。不定期配信だったことも相成って、手紙が届くような親近感があった。

その頃の私は、終電間際まで働いて夜遅く帰り、通勤の合間に読む文庫本だけが唯一の楽しみ、という寂しい日々だった。

でも、ランディさんの文章を読むと、そんな日常が全く変わって見えた。日々のちょっとした疑問、ワイドショーの話題、育児の合間に感じたこと、そして垣間見える凄絶な過去や家族のこと。ごく普通の毎日がこんなふうに見えるんだ、と新鮮だった。分かりやすいことも分かりにくいことも、実感がこもっている文章で、読んでいると深い共感が心から湧く。

読み始めたところから、全く違う地平線へ連れていかれる。読み終わった後、意外な光景に出会うたびに「文章のプロ」ってこういうことなんだなと感じた。

だからといって全く自分と違う人というわけではなく、新しいメルマガが届くたびに共通項を発見した。特にミヒャエル・エンデが好きだと知って嬉しかった。お子さんとのエピソードがほほえましくて羨ましかった。自分の子どもを持つ、という具体的なイメージが持てたのはランディさんのおかげだ。

「実はいま、小説を書いているんです」とメルマガの中で触れられていたので知ってはいたが、ある日書店に行くと、ドーンと天井まで「コンセント」が積み上がってディスプレイされていた。あのランディさんの、とは頭の中ですぐに繋がらなかった。

「コンセント」は凄かった。圧倒的に面白く、すぐ話題になってベストセラーになった。それから、あちこちでランディさんの名前を見かけるようになり売れっ子作家になっていったけど、私はその時期、結婚妊娠出産育児とライフイベント続きで読書からは少し離れてしまっていた。でも、本は出るたびに読んでいた。

書くものが小説になっても、ランディさん自身のスタンスはメルマガを書いていた頃とあまり変わらないように感じた。周りに起きる不思議な事象を冷静に分析しながら面白おかしく伝えてくれる。楽屋から舞台へ急遽キャスティングされたスタッフさんみたいに、不思議の国に引き込まれたアリスのように、ぐるぐるしたり、くねくねしたり、戸惑っているけど楽しんでもいる気持ちが伝わってきた。トラブルに巻き込まれたり、辛い目にあったりしてるような噂も聞こえてきたが、ランディさんの本からは感じなかった。経験したことや知り得たことを惜しみなく教えてもらい、豊かな感情をランディさんの本から共有してもらっていた。

しかし、その頃の私は「毎日修行」のような生活で、とりあえず1日乗り切ることが目標だった。何よりも、明日のスケジュールをママ友と確認することの方が大事だった。

気づくと、私は飼いならされた小動物のようだった。

毎日、同じ檻の中で、同じルーティーンにのっとり、同じものを食べて過ごす。子どもにも同じことを課した。自分たちが生き抜けるために。

「楽しみ」さえも皆と同じようにふるまった。違うものが欲しいとはいえない同調圧力に屈し、自分の意見や考えには蓋をした。集団から一人、はじかれることが恐ろしかった。視線が自分に集中することの恐怖。ひたすら息を詰めてただやりすごしていた。

2016年、ランディさんが「note配信を始めます」と告知をしたとき、「またメルマガを始めるんだ!」と直感した。何かが始まるワクワクする予感。配信が始まると毎回、やっぱり面白い!と嬉しかった。

でも懸念はあった。ネット上の悪意というものが、前とは比べ物にならないくらい強く大きくなっていたからだ。周りに被害が波及することを考えると、ランディさんといえども筆先が鈍ったり、やめてしまうこともあるかもなぁ。素敵な文章を書く人やブログを見つけても、しばらくすると窓を閉じるようにシャットダウンしてしまう事例を多くみてきた。ランディさんにもそんなことがあったら嫌だなあ。

でも、そんなことは杞憂だった。

まるで魔法使いみたい。あっちにいったりこっちに出没したり。出会う人も様々で、そんな魔法みたいなことが?と思う展開があるのだ。そのうち、さまざまなイベント企画を紹介するようになって、今まで活動してきた人脈を縦横無尽に駆け巡っていた。

そして、気づいた。

そうか。ランディさんは人に会うことが、クリエイティブの源泉なのだ。

人と出会い、コミュニケーションすること。それが創造なんだ。

クリエイティブって、何かものを作ることだけじゃないんだね。

自分を表現するって、どうしたらいいんだろう。

きっと、ランディさんが新しいことをまた教えてくれるはず。

その予感は、大当たりだった。

「クリエイティブ・ライティング講座」を受講すると人生変わるよ、っていったら信じますか?

でも、私の人生は変わりつつあります。

ランディさん、ありがとう!!

note、更新を楽しみにしてます!









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