最後の運動会
昨日は、中三の娘の体育祭だった。
子ども達が幼稚園に上がってから、もう十何年、運動会または体育祭という行事が年に一度必ずあった。しかし昨年は体育祭だけでなく、イベントがほとんど行われなかった。今回も大幅に縮小短縮して、午前中のみで解散の予定になった。
うちの家族は皆、運動能力が高いとはいえず、このイベントを心待ちにするタイプとは言えない。しかし、それでも久しぶりの学校行事に、家族全員、朝から心が浮きたった。
そしてコロナの影響が、至る所にあることに気が付かざるをえない時間だった。
幼稚園、義務教育期間と毎年、催行されてきた運動会。来年、娘が高校生になったらもう、親の出番はないであろう、と考えると感慨深い。
最後の運動会なので、PTAボランティアに参加することにした。
というのは、娘の通う中学は今年からPTA組織を絶対加入ではなく、参加型組織に変え、イベントごとにボランティアを集う方式に切り替えたのだ。
昨年は、ほとんど学校行事が行われなかった。役員も係もお役目がなかった。
毎年、無理矢理くじ引きなどで係を決め、犠牲者のように執行部役員を決めていたのだが、このコロナの状況では、しばらくはイベント開催も難しいし、選考法から変えようという運びになったのだ。
そう声を上げて現状を変えてくれたのは、長年、執行部を勤めてくれた人達だった。ありがたいことだ。
いろんなことが少しづつ、良い方に変わっている。または、変えてゆける。
この状況は望んだことではないが、変わるきっかけになったと考えると悪くないこともあると思う。
体育祭のPTAボランティア活動は、主に来賓・保護者の受付、自転車の交通整理、生徒や観客の消毒と見守りだ。地域のお祭りイベントの趣もあった昔だったら、早朝から校門前に並んで写真の場所取りする人達の整理や、お弁当タイムに校庭での誘導もあったし、入場に整理券を配ることもあった。
今年は生徒一人につき保護者来場は二人までとされ、校庭は閑散としていた。声をあげることも自粛で、なるべく拍手でお願いしますとアナウンスがあった。
私は、生徒の消毒係になった。
出番を待つ生徒達の両手へ、5〜6人のママさんと一緒に、アルコールスプレーをプシュッとかけて回る。これで感染が防げるとは本気で思ってはいないが、おまじないみたいなもの、といおうか。無事に最後まで何事もなく終わりますように。
全員マスクをして顔半分が見えない上に、この年頃の子達は成長著しく、誰が誰やら見分けがつかない。ほとんどの子を小学校から知っているはずなのに、知らない青年に囲まれている気分だ。
音楽が切り替わり、入場を促すアナウンスがなされ、リレーの隊列に出ていく子達を眺めていた。
「みんな大きくなったね」「ほんと、もう3年生だものね」
雑談をしながら気づく。
皆、体は大きく育っているが、極端に体型が変わっている子が何人かいた。違和感を感じ、思わずじっと見てしまう。子ども達にもコロナ太りの子がいるようだ。集会の機会が減り、部活の時間もなくなった影響なのだろうか。
リレーが始まり生徒達が走り出すと、明らかに体力不足だと感じられた。
クラス全員で、一人50mづつ走るリレーなのだが、30m程走ると、女子など明らかに顎が出てスピードが落ちている子が多い。カーブを曲がり切れずによろけている子もいた。マスクをして走っているのでなおさらだ。
「体育の時間に亡くなっている子もいるんだから、いっそマスクなしにしちゃえばいいんじゃないの、苦しそうだし気の毒だよ」
思わず言うと、一緒にみていたTくんママが「そうもいかないんじゃない、もうさ、マスクをしていることが当たり前過ぎて、外すことが恐怖になっちゃってるんだよね」と言った。
そういえば彼女は看護師さんだったな、と思い出す。
「あれ、今日はお仕事休みなの? ボランティア、えらいなぁ強制じゃないのに!もうワクチン打った?」
雑談の流れで気軽に聞いたつもりだった。しかし彼女は視線を落として「うーん、大変だったわ〜」といった。
「やっぱり熱でたり、気分悪くなるんだ。激烈な反応とまではいかなくても、何かしら副反応が出るって聞いたよ」
知り合いの療法士さんはワクチンを打った腕が腫れて上がらなくなったと聞いた。高熱が出た、という人の話も聞くので、やっぱり無理のある薬剤なのだと感じている。たいした治験も行わずに、新開発の技術の薬剤なんて、大丈夫なのだろうか(いやいやいや大丈夫じゃないよね…)
「1回目はね、高熱が出て寝込んだくらいだったんだけど。2回目がねぇ…。
注射の針がつきたった瞬間から記憶がなくてさ、気づいたら勤め先の病院のICUだったんだよね」
「ちょっと!!!大変な事態じゃない!みずから病床使っちゃってるやん!!」
おもわず声が大きくなる。重篤な状況にならないとICUなんて入らないはず。
「うーん、実はわたし、抗生物質アレルギーがあってさぁ、インフルエンザとかもワクチン打ったことなかったんだよね」
「でも、それでICU行きは命かけ過ぎでしょ、重いよ!! そういうのって断れないの? だって任意って聞いたよ」
彼女は顔をあげて私を見た。真っ直ぐで、真っ黒な瞳。顔の半分は不織布の白いマスクに覆われ表情が見えない。低く静かな声でこういった。
「毎日さ、家族と話せないで会えないで、目をつぶったまま、いってしまうひとがいるんだよね。今はタブレット越しに会えたり話しかけたりもできるけど、それが最後のお別れの人も結構いるんだよ。そういうのずっと見てるとさ、ワクチン拒否れなくって。コロナ感染して、自分が原因とかの方がよっぽど怖くて。ここ4、5年風邪引いたこともなくて体力には自信あったんだけどさぁ、参ったよ」
「いや、でも、それでもし、ICUから帰って来れなかったら家族が後悔するじゃん…そんな自己犠牲しなくても良いよ…」
彼女の目がふっと細くなり「まぁ、生還したので今、ここにいるわけだし。ありがと」と気軽な口調に戻った。
私たちの子供の学年、3年生のクラスリレーが始まった。
始まってすぐ、娘のいるクラスは他のクラスと引き離されてしまった。
みんな真剣に走っているのだが、どうにもスピードが上がらない。先頭のクラスとぐんぐん引き離され、半周遅れになっていた。
実は、私はこのクラスリレーという競技が苦手だ。
私も足が速い方ではなかったので、個人責任を追求されるリレーは恐怖だった。バトンミスなどしてしまったら公開裁判だ。
勝敗にこだわる教師が担任だったときは、足が遅いというだけで犯罪者扱いだった。
そして娘の代になっても、そんな空気はあまり変わっていないように思っていた。
しかし、今年は違っていた。
皆んな、走ることを楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。
一位でもビリでも、自分の番を精一杯走っていた。
頑張れとか追い越せとか、普段なら保護者や生徒のヤジやら声援が飛ぶのだが、校庭には音楽だけが流れ(周囲環境に気を使った音量で)それも、一昔前に流行ったJ-POPがたんたんと流れていた。
「Tくん、何組だっけ?」
「1組」
「あ、同じクラスか。えっアンカーじゃん」
反対側のゴール前では、他のクラスはまさに一位争いのデッドヒートをしている。
一人アンカーの襷をかけて、のんびりと立っているTくんが見える。ひょろりと背が高く、五分刈りの頭は小学生の頃のままの雰囲気だった。
「あっ」
バトンを渡すはずだったランナーはTくんを通り越してしまった。慌てて後を追うTくん。ランナーは我にかえって振り向きながら、ペコペコ頭を下げてバトンを渡す。しかし、重大ミスというような悲壮感は全くなく、コントの一場面みたいだ。思わず笑ってしまった。
丁重な仕草でバトンを受け取り、優雅に走り出したT君に盛大な拍手が起こった。
マスクで表情は見えないけど、Tくんは今、とびきりの笑顔に違いない。
最後の走者のために再びゴールテープが張られ、拍手の中、Tくんはゴールし一礼した。
「いやー良いね〜」とTくんママを見たら泣いていた。
「お調子者なんだよね〜」と鼻声で言った。
娘の通う中学の先生方、生徒達、保護者の方々
開催に協力してくれた全ての人たちに
感謝の念がつきない。
今まで見てきた運動会の中で、1番の運動会だった。
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