11年前、あのとき。
午後2時46分。
娘と幼稚園から帰宅したばかりで、洗面所で持ち帰ったものの洗濯をしていた。
娘はおやつを食べていた。
最初は貧血かめまいだろうかと思っていたが、洗面台の水が派手に撥ねて床にこぼれ、揺れてる?と気づいた。あれ?地震?
「おかあさん、じしん」と口をモゴモゴさせながら娘は言う。こんなに長い揺れは初めてだった。リビングに戻ると、娘の後ろで、55インチテレビが上下左右に揺れていた。酔っ払っているみたいだ、と倒れないようにテレビを壁際に押し付け支える。大丈夫、すぐおさまる。そう思った。
テレビは抵抗するように、いつまでも手の中で揺れていた。
一緒に抑えていた娘に、テーブルの下へ行くよう言いながら目をあげると、テレビのすぐ上にかけてある絵の額がグルグルと回っていた。ぞっとして見回すと、部屋中にかけてある絵や写真の額の全てが時計回りに回っている。ビックリハウスみたいだ、と茫然と見ていた。
台所を見ると、食器棚から雪崩のように皿が出そうになっては、ガラス扉がタイミングよく閉まって奥に押し戻されているのが見えた。その度にガッシャンガッシャンとシンバルの様な音がした。
気づくと部屋中、がたがたバタバタじゃらんじゃらんとすごい音で、昔聞いた現代音楽を思い出した。ごおおんごおおおんと唸るような地響きも聞こえる。
だんだん上下に揺れが激しくなり、足元から突き上げるような衝撃を感じた。立っていられなくなってテーブルの下に潜り、娘の背中を庇うように覆った。
大丈夫、揺れは永遠じゃない。いつかはおさまる。
そう考えながら数を数えた。数ひとつで1秒を意識しながら120くらいまで数えただろうか。
ずどどどどどどん!っどどん!っどん!……と地響きのエコーを残して、揺れはだんだん収まった。
しーん、と耳に突き刺さりそうな静けさだけが残って、世界が終わった静寂ってこういうものだろうな、と思った。
終わったのだろうか、と起き上がると、娘はうずくまる姿勢で眠っていた。
一瞬、心臓が止まるほど驚いたが、ひそかな寝息が聞こえて安堵する。
ああ、息子は大丈夫だったろうか。学校へ迎えにいかなくちゃ。
そうは思うが、娘が起きない。必死で揺さぶり、仰向けにしたが、熟睡したままだった。そうこうするうちにまた余震が起き、そのたびにテーブルの下へ潜って動けなかった。
無事だろうか、と夫、実家、義母へ電話をする。
母から携帯に電話がかかってきた。
「大丈夫よ、こっちは無事。またあとで連絡するね」と手短に話して、通話を切った。
義母ともなかなか繋がらなかったが、繋がったら直ぐに、お互いの無事を確認して早口で電話を切る。電話が会話の途中で切れたらどうしようと焦りを感じていた。
夫の携帯には繋がらなかったので、仕事先の代表電話にかけた。電話に出た総務のの方は、昔馴染みだったので、すぐ夫に代わってもらえた。
大丈夫。こっちは全員無事だから。夫の声も話し方も普段と変わらなかった。
しかしその後、電話は、どこに何度かけても全くつながらなくなってしまった。
メールだけは通じたので、知り合いとお互いの無事を確認し合う。
余震の合間に何度も時計を見ながら、娘をゆすって起こした。しかし目を開ける気配もない。おぶって外へ出るかな、と抱き抱えようとしたところへ、息子が「おかあさーん、いる?」と帰ってきた。
ありがたいことに、同じマンションのママさんが一緒に連れ帰ってきてくれたのだ。
息子は上履き姿で手ぶらだった。ランドセルは置いて避難しろ、とすぐ校庭へ誘導されたそうだ。上着も教室に置いてきてしまったので、校庭で寒い思いをしたようだった。
とにかく、よかった。
やっと周りを見渡す余裕が出てくると、本棚は倒れ、机は部屋の隅まで移動し、タンスの引き出しは全て出ていて、中身がぶちまけられている。
3LDKのどの部屋もめちゃくちゃだった。
特に仕事部屋は、飾ってあった写真立てや絵のガラスが割れて散乱し、足を踏み入れられない惨状だった。
思わず「ドリフの屋台崩しか…」とつぶやいた。
一見無事に見える和室も、押入れを開けた途端、中でシェイクされたモノ達がなだれでて、普段の整理整頓の大切さを思い知らされた。
トイレの床はびしょびしょだった。
ガスは止まっていて、息子に懐中電灯で照らしてもらいながら、再開手順の書いてある扉を開けて元栓を開けた。
幸い、停電や断水はなかった。
夫が「電車が止まっていて帰れない…」とメールしてきて、ようやく実感がわいた。
そうだ、誰も頼れない。私がしっかりしなくちゃなんだ。
とりあえず部屋を片付ける。
散乱しているガラスやゴミを片付け、部屋の隅から隅まで点検し、図らずも春の大掃除になってしまった。
それから夕飯を作ろう、とキッチンに立つ。
こういうときは、おにぎりだ。
豚汁と梅干しおにぎりを作りながら、息子の宿題を見て、ママ友と連絡を取り合う。
その日は金曜日で、日曜にある大会のために土曜日も特訓の予定だった。
これは中止かな、それどころじゃないよね…とメールでやり取りをした。
テレビに次々映る、信じられない映像を見ながら、不安ばかりが煽られていき、
一昼夜、テレビはずっとつけっぱなしだった。
2つ並べた布団に母子3人、くっついて眠った。
これからどうなるんだろう、どうすれば良いのだろう。
ぐるぐる、そればかり考えていた。
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