総合商社の片隅から(19):海外赴任時の子どもの教育

海外赴任に漠然を憧れていた入社数年の頃、職場の書架にあった「海外子女教育」という雑誌を眺めては、遠い目で海外での赴任生活を妄想していた。

ただ、この雑誌に書かれていることは、海外で子どもをどう日本人として維持するかといった、子どもともに海外で生活する日本人家庭が、現実問題として抱えている切実な課題への具体的対処方法についての事例紹介が中心で、何か「華やかな」世界へいざなうような内容ではない。

なので、この雑誌をめくって、海外生活に憧れるということはあり得ず、寧ろその逆だ。海外出張時の現地駐在員による「社内接待」の方が、憧れを掻き立てた。オフレコ・ベースの現地裏事情も聞けるし、百戦錬磨の夜の店選びにハズレはない。しかし、裏事情は聞けても、子どもの教育をどうするかはまず話題になることはない。駐在員自身は子どもの教育に直接関わることは稀だったからだ。全部、配偶者(パートナー)任せだったのだ。

私の場合、決まり掛けた海外赴任の話しが2回も流れ、年齢的にも担当領域的にも海外勤務には縁がないまま終わるのかなと諦め始めていたころ、全く思いがけないところから海外駐在の話が降ってきた。行き先は、政情不安に揺れるタイである。きっかけは、人事管理担当者が交代を、諸所の事情から、そこに空きポストが落ちていることに気が付いたのだ。

タイはどんなところかは、バックパッカー時代の経験で想像が付いていたので、二つ返事で受諾したが、これが本当の意味で治安の悪いところや僻地だったら悩んだだろう。とはいえ、迷わず即断できたのも、いつ「その日」が来てもいいように準備をしていたということもある。準備というのは、子どもの語学力と多様性への耐性だ。平たく言えば、英語力と日本人以外とのコミュニケーション経験である。

そもそも、自分がバイリンガルになりたくて選んだのが、大学の進学先であり、その延長線上に今の職業選択がある。だから、人生の転機としていつか訪れるであろう海外生活の為に、準備に手間やお金を惜しんでこなかった。外国語を自由に操れることが、日本のしがらみから解き放たれる為の自由への切符だと思っていたのだ。

しかし、想像していた海外生活とは、理想が高ければ高いほど、現実はから乖離するものだ。実際に赴任してみると、あれだけの手間と時間を掛けて培ってきたはずの子ども達の英語力は、必要最低限度にも及ばないレベルであることが判明する。

そして、英語力や日本人以外とのコミュニケーション力の問題だけではない。そもそもの子どもの将来をどう考えるかによって、教育方針の選択肢が2つに大きく分かれていたのである。

(次回につづく)

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