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【タイ】コメ担保融資制度とは何か?

連載「【タイ】コメ担保融資制度の政治利用の経緯と今後の行方」(全5回)の第1回では、そもそもタイにおける「コメ担保融資制度」とはどのようなもので、本来、何を目的として実施されてきたものなのか、その経緯と仕組みについて説明する。


1.コメ担保融資制度の導入目的

 籾米の質入により政府が農家に融資するタイのコメ担保融資制度(“Thai rice pledging scheme”)とは、農民に対する支援を目的として1980/1981年度に導入された政府によるコメ市場への介入政策である。

 タイの農民は、コメの作付時点から不確実な天候等、様々なリスクに直面する。また、収穫できても、収穫高と消費の受給ギャップがコメの価格に大きな影響を与え、コメの価格変動が農民の収入に与える影響が大きいことから、政府はコメ価格の維持安定につとめてきた。

 特に、稲の刈入れ初期には大量の籾米が市場に向かい、コメの価格水準が落ち込む。このため、その出荷時期を調整する事により、農家がコメを比較的高い価格帯で販売できるようにすることが望ましい。この、稲の刈入時期における籾米価格を押し上げることが、同制度を通じてタイ政府が目指す所である。即ち、収穫初期に発生する籾米の過剰流通分の吸収を通じた米価安定策であり、農家支援策として導入されたのである。


2.制度の仕組み

 タイ政府は同制度の運用にあたり、財務省管下の「農業・農業協同組合銀行」(Bank for Agriculture and Agricultural Cooperatives、以下BAAC、タイ語はธนาคารเพื่อการเกษตรและสหกรณ์การเกษตรで、略称はธ.ก.ส.「トー・ゴー・ソー」)に籾米質受事業に関する業務を委託している。

同事業の委託を受けたBAACは、農家に対して籾米を担保として資金を融資する。こうした融資を利用すれば、農家は相場の低いタイミングで実際にコメを販売せずとも、当面必要となる現金を入手する事ができることになる。もし、BAACに担保として質入をした籾米を取り戻すには、農家は流質期限(およそ3~4ヶ月)が到来する前に、借入金を利子等と共に支払えばよい。仮に、籾米の価格が質入価格より高くなっていれば、籾米を買戻し市場で販売すればより多くの利益が得られるし、流質期限が到来しても籾米の価格が低いままであれば、籾米を流質れにすればよい。


3.制度が導入される以前の農業政策

 タイ政府は、コメ担保融資制度を導入するよりも以前、価格維持もしくは価格保証によるコメ価格に対する直接的な介入策をとっていた。これは、政府があらかじめ目標として定める価格帯に籾米もしくは精米の価格が落ち着くように、それに応じた需要を作り出すことで価格を維持しようとするものである。

 価格保証と価格維持の相違を簡単に述べると、価格保証とは、予め定めた保証価格において保証対象となる生産物を政府が買い入れることで、価格維持では、政府が目標とする価格レベルに達するまで需要を創出することで市場価格を上昇させたうえで生産物を買い入れることを指す。

 タイ政府が、何年にもわたりこれらの直接介入策を取った結果、生産物保管公社および農民取引公社は大幅な赤字を計上することとなり、政府はこれら介入策の諦めざるを得なかった。以降、BAACへの委託事業を通じた間接的な市場介入策に目を向けるようになる。これが、政府が直接市場に介入する価格保証と価格維持の代替策として、間接的な市場介入策として、稲の刈入初期における出荷抑制を通じたコメ価格問題解決に焦点を絞った「コメ担保融資制度」が検討されることになった背景である。


4.制度適用開始から定着までの歴史

 タイにおけるコメ担保融資政策は、1980年の籾米質受事業としての適用開始以降、2014年に停止されるまでに間、その変遷に応じ大きく4 期に分けることができる。

(1)1980年‐1985年:籾米質受事業の開始、導入
(2)1986年‐1991年:籾米買入最低価格の導入
(3)1992年‐2000年:コメの政策に関する政府組織の改組
(4)2001年以後:政治利用されることになった形の籾米質受事業の展開

 第1期(1980年‐1985年):1980/1981年度以後の期間において、3種の施策(①籾米市場への介入、②精米市場への介入および③融資提供)を同時に実施することによるコメ市場への介入策が導入された。そのうち籾米市場への介入は、後の籾米質受事業の雛形となるものである。初期の質受では、BAAC(トー・ゴー・ソー)を通じて受理されるものの、籾米の保管自体は、生産物保管公社(オー・コー・ソー)においてなされた。農家は、質入する籾米の価額に対して80%の借入金を受け取ることができたが、農家に対する利子率は年利13%と高利であった為、質入は農民にとって却って出費の増加になるだけでなく手続きも煩雑で時間を要することから、理解も支持も得られず、当該事業はトライアルのみで終わった。

 第2期(1986年‐1991年):籾米質受事業が普及しないこと受け、1986年に大きな改革が加えられた。変更前では、単なる資金の支払機関としての役割しか負うことのなかったBAACが、同事業に主体的に取り組むよう、同行に籾米質受事業の推進に必要な権限が委譲された。また、低利融資の原資として50億バーツの予算が組まれ、農民への融資が円滑に実施されることが期待された。但し、農家が籾米を担保にBAACから融資を受けるためには、農家側が質入する籾米を保管するための穀物倉庫を持たなければならないものとされた。これは、生産物保管公社が介在することで煩雑となっていた籾米の搬送にかかる手続きおよび保管費用を軽減させることに繋がったが、それでも1981/82年度から1990/91年度までの期間におけるコメの質入事業はあまり成功を収めたとは言えなかった。これは、保守的な農民の間に質受事業に対する理解がなかなか浸透しなかったこともあるが、質受価格が農民にとって魅力的でなかったこと、また依然、農民にとっては質入手続きが煩雑過ぎた為である。よって、1990/1991年度においては、借入資金枠について、質入価格の80%を90%にまで拡大するなどの変更がなされた。

 第3期(1992年-2000年):コメ政策に関する政府組織の改組があり、従来のコメ政策および運営委員会事務局(ゴー・ノー・コー)は、新たに農家支援政策委員会(コー・チョー・ゴー)に改編された。その主な狙いは、単純にBAACへの業務委託料に相当する低利融資の原資としての予算を組むだけでなく、各年度における目標値を設定することにあった。同時に、コメ以外の多品種の農産品にわたって支援が行き届くように「農民支援共同基金」が設立された。

 籾米質受事業については、1993/94年度から1997/98年度の間に更なる改善案が検討され、農家が持つ穀物倉庫における質受に加え、BAACは、穀物倉庫の有無にかかわらず農民取引公社や生産物保管公社が農民宛に発行する倉荷証券による質受が可能になった。これにより証券書類のみによる担保融資が可能となり、手続きの迅速化に繋がった。また、政府は1998/1999年度、コメの質受事業に参画する農民を増やすため、農家の借入限度額となる質入価格を目標とするコメ価格の95%にまで引き上げた。それでも、農家の同制度への参加戸数は110万~180万戸程度(タイの全稲作農家数は約570万戸)で、籾米量も67~118万トンレベル、総生産に占める割合は2.9%~5.4%に過ぎなかった。

 第4期(2001年以降):タクシン政権となるとタイ政府は、2001/2002年度において大きな改革を行った。それは、倉荷証券を質受したBAACに、預託されている籾米を認可精米所で精米し、商務省管下の公共倉庫機構(PWO: Public Warehouse Orgnization)が管理する倉庫において保管する許可を与えたことである。これにより、質流期限を待たずとも、籾米自体の品質が下がる前に迅速に次のプロセスに進めることが出来るようになった。

また、政府によるコメ相場へのより直接的なアクセスを可能とすべく、国内商事局に籾米管理運営委員会を担当させ、国内商事局局長を委員長とし、農民取引公社、BAAC、国際商事局の代表者から構成されるコメ放出検討委員会を設置し、預託されている籾米の管理および市場への放出に関する権限を一元化した。

2002年、タイ政府は季節外田で収穫される籾米の質受事業を上記体制による運用が開始され、これが政権による政治利用が可能な「コメ担保融資制度」の原型となった。農家の参加戸数は一機に548万戸に膨れ上がり、籾米量も6091万トン、総生産に占める割合は21.7%と2割を超えることになった。

この後、政府の財政破綻直前にまで予算規模が年々拡大していくことになる。政治利用と規模拡大の経緯詳細に触れる前に、次回では、タイにおけるコメの流通についておさらいする。

(第2回につづく)

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