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総合商社の片隅から(11):言語の使用目的と用法について

前回、「語学力としての日本語」について、自分の失敗談をベースに思うところを書くと予告した。

総合商社は多様なビジネスを展開していることから、担当する業界によって言葉の使い方が大きく異なるのはある意味当然である。異動になると、同じ日本語で話してはずなのに、なぜか意志が通じないという事象は頻繁に発生する。しかし、これは単に言葉(単語の意味)を知らないからなのか、そもそも言葉の使い方を知らないからなのか、切り分けて考える必要がある。この言葉を巡る断絶が本当のところ、どのあたりにあるのか、私個人の業務経験も取り混ぜながら考察してみたい。

言葉を交わす上での前提条件が違うという問題

上司から所属部署の事業内容の説明資料を作成するよう指示を受けたとする。

恐らくは、どのような商品・サービスを取り扱っているのか、どのような組織体制で取り組んでいるのか、どれくらいの収益性があるのか、過去の実績とマーケット展望は、といった内容になるはずである。

但し、一言で事業内容の説明といっても、誰に向けて説明するのかに応じて適切な内容に調整する必要がある。想定読者を設定しておかないと、ピントがボケた資料になることが予想されるし、相手によっては、そもそも不要な情報や過剰な内容となる。過去の資料を使い回す場合、情報の更新アップデートも必要になる。手元にデータがなく、一から作成するとなると時間を要するもの出てくるだろう。

また、いつまでに完成する必要があるのかという納期の確認も重要だ。よって、私の場合、出来るだけ無駄な作業が発生しないよう、説明資料の全体や流れが分かるフレームワークを作った上で上司と認識合わせしながら進めていた。一見問題のない進め方のように聞こえるかもしれないが、これがとんでもない間違いだったのである。

私は、効率性の観点から、全体を俯瞰した上で、必要な情報(スライド)だと確認出来れば、実際に情報を埋め込んでいくアプローチを好んでいる。だから、各スライドはタイトルだけだったり、内容が書かれていても過去の資料でイメージが近いものを暫定的に貼り付けたものになる。

ところが、上司は1つ1つの資料(スライド等)に記載されている情報の正確性を重視し、逐一チェックしていくタイプの人だったのである。従って、アップデート前提で載せてある資料のところでは内容が古いと言われて止まり、空のスライドではどうするつもりだと問われて、その先に進めなくなる。結果、全体を通してのレビューが出来ないまま時間切れとなって、指摘された点のみを修正することになりを、再度確認の場を設けることになる。

これを繰り返すと、何が起きるかは想像に難くないだろう。全体として何が言いたいのか曖昧で、情報の正確性にもムラがある中途半端な資料が生成されるのである。期限もギリギリでの対応となり、最後は徹夜作業となる。お互いにイライラが増し、信頼関係も損なわれる(サラリーマン的には、実はこの点が一番の損失だったりする)。

ここで言いたいのは、効率性を重視し過ぎると却って効率が落ちるといった表面的なことではなく、前提条件となる「仕事の進め方についての認識合わせ」や「目的自体の摺り合わせ」の方が重要であり、そこをすっ飛ばしていくら言葉を交わしても、価値あるものは生まれないということだ。

仕事上のあるある事例の1つに過ぎないかも知れないが、同じ日本語を喋っているにも関わらず、いつまで経っても言葉が噛み合わない辛い経験であった。

言葉の裏を読むべきかという問題

話が飛ぶが、佐藤優さんの著書で「国家の罠」という本がある。この本の中で出てくる商社マン達は、既に過去の人となってしまっているとはいえ、私のイメージする「語学力があり、実務能力も高く、かつ大きな夢やロマンに向かって邁進する理想の商社マン」たちだ。個人的には、業務でサハリン案件に絡んでいた時期があるので、ついつい当事者に成り切ってしまうのだが、商社マンの持つ個人レベルで持つ情熱や行動力を理解する上での一助になると思うので、この辺りに興味のある方には、是非、読んで頂きたい。

さて、遠回りをしてまで、この本を持ち出したのには理由わけがある。それは、相手に自分の意志を伝えるのに、言葉に意味通りに直接的に表現するのか、皮肉を込めて反対表現を使うのか、表現スタイルに相反する2つの種類が存在するという事実について触れたいからである。「国家の罠」の中では、霞が関用語と永田町用語という表現で出てくる。

少し長くなって恐縮だが、それぞれどういうものなのか簡便に説明したい。

霞が関用語

官僚(霞ヶ関で働く国家公務員)の世界で使われる言葉。海外事情調査などで英語で書かれた海外文献を読む機会が多く、英語由来の略語も多い。

但し、言葉の意味するところは言った通りであることが大前提であり、理解出来るかどうかは、その言葉を知っているかどうかで決まる。言葉の裏を読むことの必要性自体が理解されない世界の言葉である。

ネット上に落ちていた用語集に一通り目を通してみたが、国会対策関連以外では分からない用語を探す方が困難であることから、総合商社内で使われる言語と、単語レベルでは共通していると実感する。確かに、個別案件で官僚の方々と直接案件検討をした経験があるが、話しぶりといいまるで自分の上司そっくりと思ったことがある。

例:Noteでスキを押して欲しい場合、「気に入ったらスキを押してくださいね」という直接的ダイレクトな表現になる。

永田町用語

政治家(永田町にある国会議事堂に詰める国会議員)の中で使われる言葉で、意図していることを直接的に表現することは状況次第。使っている本人には、厳しい競争を勝ち抜いて来た事実に裏付けられた自信が宿っており、自分をかいがしろにする者は本能的に敵とみなしている。

こちらもネットに落ちていた用語集(といっても上記「国家の罠」で紹介されているものだが)を見ると、総合商社内で使われる言語用法と表現レベルでそっくりであると実感する。

言葉の意味するところは、誰が何の目的で言ったかによって決まり、意図するところを理解出来るかどうかは、その発言の前提が何であるのかを知っているかどうかで決まる。言葉の裏を読むことが大前提となっている世界の言葉である。

例:Noteでスキを押して欲しい場合、(承認欲求全開なのに)「ぜひ、他の人の記事をスキしてあげてくださいね」という表現になる。まさに「おもんぱかり」「忖度そんたく」の世界である。

私は、正直、総合商社で勤務するには不器用過ぎて、この忖度が出来なかった。自分に正直でいたいという我儘を通した結果なので、この点については納得しているつもりだが、大きな失敗をしたのは、自分でも気が付かないうちに永田町用語が普通になっているモードのまま、霞が関用語の世界に異動になった時である。取引先から「嘘つき」「そんなこと言ってなかった」と猛反発を受けたことである。立場の弱い側はある程度は立場の強い側の事情に慮るのは当然(よく言っても「必要悪」)と思っていた時期でもあり、振り返れば、立場を笠に着て、弱者の視点を想像することすら出来なくなっていた時期でもあった。いまでも、深く反省している。

そもそも言葉を使用する目的が異なるという問題

よく男女の会話は噛み合わないと言われる。女性は共感して欲しいだけなのに、男はすぐに解決策を見つけたがるから、というのがだいたいの主旨である。(もっとも、性急な一般化は危険だし、そもそも男女で分けるより、ジェンダーにおける女性性、男性性といった言葉を用いるべきだが、ここでは表現を簡易する目的で男女と表記した)

ビジネスの世界では、合目的な会話が殆どで、わざわざ共感を目的とした言葉を取り交わすことは少ないと思われるかもしれない。しかし、女性であろうと男性であろうと、共感をベースにした会話が重要であることは変わりない。いや寧ろ、共感がベースにあってこそ、合目的な会話が成り立つとさえ言える。

例えば、

ガード下の赤提灯で酒を一緒に飲む時などは、「俺はお前の話を聞いているぞー」「俺もそうだよ」というエール交換をしているのであって、会話の中身はどうでもよい。

職場の厚生部活動で、スポーツをしたり文化活動をしたりするのは、仕事を離れて共通の趣味や興味で繋がることによる社員間の共感のベースを醸成することにある。新入社員を、全員強制的に社員寮に入れて各種イベントを開催するのも同様の目的と言えるだろう。

私は、この点でも大きな失敗をしている。時期は、MBA取得にチャレンジしていた頃で、何でも合理性や説明可能性で判断しようとしていた時期である。一緒にふざけて仲間意識を醸成するところで、一人冷めた態度を取り、総スカンを喰らった結果、職場で疎外感を覚え、ますます社外でMBAの勉強にのめり込むという悪循環に陥っていた。

重要なことは、結局のところ、直接会って話をし、共に食事をしたりして、相手の表情やしぐさを実際に見て、無目的な何気ない会話をすることだったりする。夫婦(あるいは人生のパートナーと)の会話もそうでなければ、関係性は長続きはしないだろう。

ビジネスにおいても同様で、結局は直接会うことが決め手になったりする。何十回とオンラインで交渉しても話がまとまらなかった相手ビジネスパートナーに、出張して直接会ったらその場で話がまとまったという話はよく聞く。リアルで会うことが難しくなっている今の時代こそ、時間と手間を掛けて直接人に会うことの価値がますます高まっているとも言えるのではないだろうか。

まとめ

こうして、普段思っていること、感じていたことを言語化してみると、総合商社では、常時、永田町用語と霞が関用語が併用されている世界なのだということを改めて認識する。なんだかんだ言って、何か物事を進めようと思えば、社内の「根回し」が重要であるし、通称「聞いてないお化け」を退治しておくことが仕事をスムーズに進める上で(プロセス上)、なによりも重要だったりするのである。

サラリーマン社会では、多かれ少なかれ、霞ヶ関用語と永田町用語に代表される二種類の言語が使われているのだろうが、少し前の総合商社では、永田町用語の比率が極端に高かったと思う。しかしながら、今は、その比率が大きく落ちて来ているという実感がある。その理由・背景に多様性ダイバーシティの推進があるように思うので、次回は、この点にフォーカスしてみたい。また、あちこち寄り道してしまう気がしないでもないが。。。

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