能動的に
自分が能動的に動く範囲だけで知れることなんてたかが知れていて、ここぞというときの判断力を研ぎ澄ますためには、自分の守備範囲だけの知識だけでは対応できない。
つまりは、興味のあることだけを突き詰めて、それ以外をシャットアウトすると深みのない人間になって、判断力が低下して、成長できなくなるってこと。
俺は人と話すのが大好きだ。
自分の話を聞いてもらってその反応をみて、他者からの見方をインプットする。自分と他者のズレを埋めていく作業が非常に心地よい。
そして、それを感じながら、ピタッと相手と波長があったときの快感が半端ない。
あと、案外人の話を聞くのも好きだ。
ときに、全く知らない世界を教えてくれる。
俺は、やることとやらないことの棲み分けをとんでもなくはっきりしているので、やらないことに選択した世界の知識完全にゼロだ。
だから、そこのゼロにイチが加わって、そこから、新たな思考が生まれるのが楽しかったりもする。
こういう生活スタイルをしているので、やりたいことしかやってないけど、案外興味のあることだけに没頭してるわけでもない。
やりたいこと=興味のあることではなくて、確かに興味があればやりたくなることもあるんだけど、興味がなくても、思考を働かせてそれを形にしたくてたまらなくなったら、動いてみるっていうパターンも結構ある。
やってみてから、興味が湧くパターン。
これはこれで、新たな発見と、自分がすでに持っているピースとの相性がパズルのようで心地良い。
とにかく、折角人に生まれたんだか、クリエイティブに生きたいものだ。
興味に溺れ死ぬことはやめたい。
そして、それが現実逃避なんかに繋がってた日には、ものすごく悲しいね。
たとえ不安でも、ドキドキできる攻めた生き方をしていきたいものだ。
それが楽しけりゃなおよし。
受動的なものを能動的に受け入れるのは紛れもなく悪循環だよなぁ。
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