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産まれてからの事、少し。

わたしが思うに、自分の人生のピークは生まれた瞬間だったんじゃないかなぁ、と思っている。母から後に聞いた話によれば、父方の祖父祖母にとっては初孫で、母方の祖父祖母にとっては、初めての女の子の孫だったので、どちらからの親戚一同や、まわりから祝福され、代わる代わるに抱っこしてもらったそうだ。

でも、2年後に妹が生まれた時から、わたしは娘ではなく、姉(母の認識するところでは、母を手伝う存在)になってしまった。より小さく、守るべきものができると、たいていはそっちを優先して面倒をみるのは、致し方ないと思うけれど、わたしもまだ2歳児だったのに、母は抱っこはおろか、以前のような扱いはしてくれなくなった(これは朧げな記憶)。

更に5歳の時、2人目の妹ができてから、母は娘3人を見る余裕がなくなったのか、わたしに上の妹の面倒をみるようなお願いを、何度もしてくるようになった。幼かったわたしは、母が少しでも自分を誉めたり、自分の方を見てくれるなら、と、言われた事はいつも一生懸命にやっていた。それでも、妹たちにするような、ハグや、いち娘に対しての愛情は向けて貰えなかった。

父については、もっと重たい話になるので、ここでは割愛します。

ここまでの事を書き出して、もう遠い昔の話なのに、やっぱり悲しい気持ちになるのは、それを克服できてないからだろうか。物心がついたときから「お母さん、わたしの事を見て」という気持ちに蓋をして、母のいいなりになってでも、振り向いて欲しかった。妹たちが我儘を言ってギャン泣きして困っている母を見ていたから、わたしだけは一度も我儘を言ったり、ダダを捏ねて困らせたりしなかった(これは後に母に聞いてみたところ、あなただけは手のかからない良い子だったわ、と嬉しそうに言われて複雑な思いをした)。

今年79歳になる母親は、だいぶ記憶を無くしかけているので、対等に3人に愛情表現をしてくれなかったことを責めたとしても、自分が虚しくなるだけなので諦めている。

そう、なんでも「仕方ない」で諦める事。
他にも沢山の不幸体験に対しても、なんでわたしだけ?と思うほど辛くなるのはわかっているから、あの時そうなったのは不可抗力だから仕方ない、と諦めている。

そうしなければ、きっとわたしはとっくの昔に死んでいた。自殺未遂は2度したけど、助かってしまったが、今でも本当は、最初の自殺で死んでたらまだましだったのに、と思っている。それでも今すぐ死なないのは、少しでも努力して楽に生きられるなら、そっちの道を歩いてみようと思ったから。

でも、時々そんな努力までする必要あるのかな、と、死神の手招きが見えるような夜もある。

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