探偵事務所は避難所〈アジール〉か? XXシリーズの傷ついた二人の関係性を考える

一度読み始めてしまうと次々いろいろなことが気になって、過去作を読みふけるループにはまってしまう森博嗣さんの一連のシリーズ…。
XXシリーズを読み返してみて、探偵事務所が隠れ蓑となって所員である小川(敬称略)と加部谷の傷をいやしているのではと思いついたので、その視点で考察してみます。
関連作品(Gシリーズ、Xシリーズ、XXシリーズ)のネタバレを含みますので未読の方はご注意ください。


二人の共通点

「冷静さを失うんですよね、私も同じですけれど。しょんぼり」
そう、その点は似ているな、と小川は思った。最初に会ったときから、この予感があった。だから、二人で仕事をすることに自然になったのだろう。

森博嗣/歌の終わりは海 Song End Seaより

小川と加部谷は探偵事務所の所長と部下という関係です。今のところ、この二人だけの事務所です。二人は、事務所で、あるいはカフェで、あるいは終業後の居酒屋で、食べながら、飲みながらいろいろな話をします。
引用した箇所にもある通り、二人は行動パターンが似ているし、ウマが合うということなのでしょう。

二人の共通点として、それぞれが探偵事務所に入る直前に、非常に大きな心の傷を負っているということがあります。というか、そのことがきっかけで探偵事務所に入ることになります。
小川は思いを寄せた相手の突然の死によって。加部谷は失恋と裏切りによって。
二人は上司と部下という関係でありながら、傷つきを癒す仲間というような関係性も帯びてきているように思います。

傷つきを癒す避難所としての事務所

「貴女は、今はね、そのぉ、何ていうの、ちょっと休息する期間なんだと思う。ゆっくり休んで、心も躰もね、調子を整えるのが先決。じっくり考える時間はあるわよ」
「躰は健康ですよ。心も、だいたい、まあ、こんなもんだろうと思います。ええ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
「私なんか、リハビリしているつもりで何年? ようやくだよ、最近ね、少し元気が戻ってきた」

森博嗣/情景の殺人者 Scene Killerより

小川は、事務所にいる間、リハビリをしているようなもので、そして加部谷にも休息が必要だと言っています。
(Xシリーズを読むと小川は結構最初から飛ばしているように見えますが、空元気というか、事件にのめりこんでしまっていたのでしょうね…)

探偵事務所って一般的な仕事、それこそレジのアルバイトよりも大変そうな気がしますが、二人にとっては傷ついているからこそ、世間から切り離された仕事であることが必要だったのかもしれません。
ここで「居る」ということについて書かれた本である「居るのはつらいよ」から引用してみます。

どんな場所にも隠れ家はある。(中略)人目につかずにいられる場所が、探せばどこかしら見つかる。
そういう場所をうまく見つけられると、僕らはつらいときでも「いる」ことができるようになる。

東畑開人/居るのはつらいよ ケアとセラピーの覚書 P.282

こういう隠れ家のような場所のことを「アジール」という。(中略)アジールとはシンプルに言ってしまうと「避難所」のことだ。逃げ込む場所のことだ。

同上 P.286

思えば前所長の椙田が隠れ家として作ったのがこの事務所でしょう。彼の場合はもっと本来の意味での「隠れ家」ですが…。
そういえば、Xシリーズの真鍋もどうしても大学に行って単位が取れないモラトリアムの時期をここで過ごしていました。
この探偵事務所はアジールであり、普通の社会にいられない人がいっとき「居る」ための場所なのでしょう。
Xシリーズの終了時に事務所も終わってしまうこともできたけど、小川にはまだ必要だったから事務所は譲られたんですね。そして加部谷も社会にいられないからここに来たと考えられます。

二人の関係性

似た者同士で、愚痴を言い、冗談を言い、ときには慰められながらやっている。加部谷が元気だと自分も元気になれる。可哀想だと感じると、なんとかしてあげたいと真剣に考えてしまう。妹のような存在かもしれない。

森博嗣/歌の終わりは海 Song End Seaより

この引用部分、最高ではないですか…。

世間から隠れて過ごしている二人の関係性に注目してみます。
二人は上司と部下というビジネスの関係だけでなく、同じ仕事に取り組むバディであり、傷つきを癒す仲間〈ピア〉の関係でもあり、さらには小川は加部谷に年長者として助言する、メンターの役割もしています。疑似的な姉妹関係ともいえるかもしれません。

小川は加部谷を、危なっかしく思っており、親のような姉のような、助けてあげたいような気持を抱いています。おせっかいにならないように気を付けているみたいですが、そうは言ってもかなりおせっかいな発言をしています。

加部谷は小川が加部谷に向けるよりは距離があるような感じです。上司にしか相談できない現状が嘆かわしい、というようなことも言っています。
小川にできるだけ頼らないように、もう自分は大丈夫だというようなことを作中で何度も言っています。加部谷は元々そういうような一人で我慢し、人に頼らず、遠慮してしまう、放っておいたら一人でこっそり隠れて死んでしまう人です。

小川はそういう危ない加部谷に、まっすぐに「死ぬのはだめだよ」みたいな正論を言う人で、それが加部谷にとってとてもいいのかもしれません。小川はまっすぐに、危ない人の手を握って離さない人なのだと思います。

加部谷は、そんな小川に対して感謝しながらも、無理に立ち直ろうとしたりせず、自分の考えをちゃんと言い返しているのもポイントです。助けてくれる小川に気を使ったら、あるいは小川の正論を真に受けすぎたらつらいと思いますが、加部谷は相手と意見が違っても、自分の意見が言える人だから、二人は一緒にいられるのでしょう。この関係性がなんというか、非常に尊いです。尊いってこういうときに使うんだっていう感じ…。

余談ですが、森博嗣さんの作品には死を恐れていなかったり、死に惹かれている人物が何人も出てきましたし、ほかの登場人物も基本的にドライでクールで、自殺を許容するような価値観が主流だったように思うのですが(それが新しかったと感じていたのですが)、こんなに真っ向から死ぬのはダメと言う小川(しかも主人公格の人物)が出てきて個人的にはかなりびっくりしました。これまでも一般的な感覚を持つ登場人物はいましたけど、主要キャラでいたでしょうか…。これがこのシリーズの新しさなのでしょうか。

これからのXXシリーズは?

先ほどの事務所=避難所の考え方からすると、小川さんはともかく加部谷にはまだこの事務所、この関係性が必要だと思うのですが、加部谷は自分が事務所のお荷物だとも考えているようです。二人で新しいビジネスの相談もしていたようですが…。私としては新しいビジネスを二人で始めて(避難所から出ていくことになるのかも?)二人が飲んで食べて議論するところを長く読んでいたいと思います。

あと3人目の主要な登場人物である個人探偵の鷹知はずっとこの事務所のお助けキャラとして登場し続けるのか、それとも小川と加部谷に対して何らかの動きを見せるのか、謎めきすぎている彼の私生活は少しは明かされるのか、彼の動向も非常に楽しみにしています。

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