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ぺたぺたぺた・・・


 潮の満ち引きの加減かしらね、その晩は出産ラッシュだったらしいのよ。
 たしかに、陣痛室にわたしがいる間に、何人も隣のベッドでうめいて、わたしよりも先に分娩室へ案内されていったわ。新生児室なんて ぎっしりコットが並んでてね、窓際にいられない子もいたくらい。

 そこの病院は、産んだ翌日には赤ちゃんといっしょに、産後専用の入院棟に移動するシステムになっててね。お向かいに立ったばかりのきれいな建物で、そこへ移るのを楽しみにしてたの。

 だってね、わたしの入院した個室は、2階の新生児室からは遠かったから。遠いって言っても階が違うだけで、今なら遠くは感じないかもしれないわね。
 でも、出産がかなりの大ケガだった わたしにとっては、新生児室が果てしなく遠くてね。一歩ふみ出すたびに、つま先から頭まで激痛が走るから、もうね、牛の歩みよ。やんなっちゃうわよね。スリッパを床にしゅーしゅー滑らせながら、できるだけ衝撃を与えないように歩くのよ、すり足で。手すりにつかまりながらね。横をスタスタ歩いてく産婦さんがうらやましかった。

 あとから聞いたところによると、3階の個室は混んでいるとき以外は使わないらしいの。そりゃそうよね。新生児室と同じ階に産婦さんを入院させたほうが、産婦さんにとってもスタッフにとっても何かと都合いいはずだもの。

 

 出産ラッシュのあおりなのかしら、部屋が足りなくなったみたいで。わたしだけなのか、それはちょっとわかんないけど、新館への移動を2日間あと回しにされてね。わたしの体調に配慮してくれたのかもしれないんだけど、同じ料金を支払うのに古い個室が長くて、何だか損した気分になったのを覚えてるわ。まぁ、ご飯がおいしかったのはよかったけど、1日早くお部屋を移動してたら、あんな目には合わずに済んだのかも・・・なんてね。



 あれは真夜中だったと思うの。赤ちゃんは新生児室で預かってくれてたから、わたしはひとりでゆっくり眠らせてもらっててね。部屋の灯りは足元灯だけ。

 

 ぺたぺたぺた・・・

 

 近づいてくるその音で目が覚めたの。よく学校の来客用に置いてあるような、ビニールのスリッパみたいな音。
 その足音はあきらかに病室のなかベッドに向かって近づいてきてそのままわたしの胸のうえに乗ってわたしののどを上から押さえて締めつけて絞めあげて息ができない苦しい痛い重い怖い鳥肌が足元から登ってくるぞわぞわして怖くて誰かここにいるのにわたしの上に誰か誰か助けて誰か助けて誰か誰かわたしの上に誰かがいる声が出ない動けない息ができない

 

 

 そっと薄目をあけてみたの。不思議よね。動けないのにまぶただけは開けられたのよ。

 

 

 目は見えなかったいや誰も見えなかった見えなくてよかったかも見えたのは虚空そう暗い天井が見えただけで首も動かせず手も足も動かせずわたしはなされるがままに乗られっぱなしのどに手をかけられたまま押される苦しい苦しい今何時なんだろう時計どこにあったっけなんだよ誰が乗っかっていいっていったんだよ怖いからどいてよどいてよどいてよ出てってよ!

 

 
 急にふっと身体が軽くなってね。そのひとがいなくなったのが、たしかにわかったの。足も動くし、首に触れても何ともなかった。
 これがいわゆる金縛りっていうやつか・・・って思ったら、怖くてベッドから身体をはがせなくって、そのまんま寝ちゃうことにしたの。だってね、はじめての体験だったから怖すぎたのね。ふふ。

 

 思い出すと笑っちゃうのはね、今でもわかんないんだけれど、そのひと、帰りはスリッパで出てかなかったのよ。来るときは、ぺたぺたぺた・・・って気味わるい音をたててたのに、不思議よね。

 翌朝、目が覚めて、まっさきにベッドの横を確認したわよ。入院用に持ってきたわたしのスリッパがそろえて脱いであっただけだったわ。よかったような悪かったような。

 

 スタッフにあの部屋で何があったのかを尋ねればよかったなぁって、ときどき思うの。まぁ、聞いたところで教えてくれるはずがないけれどね。

 これで、わたしの病院で出会った誰かの話はおしまいよ。
 聞いてくれて、ありがとう。
 もしも夜中にぺたぺたぺたって音が聞こえたら、帰りもスリッパ履いて帰るんだよって教えてあげてね。設定って、大事だもの。

 

 

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ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!