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ずっと羨ましいと思っていた本当の理由 #私の大切なもの

 ずっとうらやましかった。・・・と書き出した途端に漢字の由来を知りたくなってしまうのは、日本語を研究対象にしていた学生時代の名残かもしれません。
「羊」と「氵」と「欠」で「うらやましい」。どうやら羊はおいしいもの・良いものを指していて、それを見てよだれを垂らす様子を示した漢字のよう。

 研究室で、クラブハウスで、地下街で、すれ違う人たちの耳たぶに揺れる可憐な光。それを羨ましいと感じていた「本当の理由」に気づくのに、そこから10年以上もかかるなんて、その頃は思いもしませんでした。



 二十歳の誕生日を過ぎた頃、意を決して言ってみたんです。
「ピアスの穴、あけたいな」

 当時アルバイトしていた楽器メーカーの社員には、かつてプロを目指していた元バンドマン達がたくさんいて、ちいさなピアスホールが残っている彼らの耳たぶを羨ましく見ていました。もちろん、ホールではなく、ピアスを身につけられる状態が羨ましくて。
 ところが、わたしの唐突な告白に両親は大反対。両親がダメなら・・・と祖父母に話したら、祖父は「うたちゃん、“身体髪膚しんたいはっぷこれを父母に受く”って知っとるか?」と古典を引っぱり出して、両親にもらった身体に自ら傷をつけてはならないと諭します。
 ずるいよ。そんなこと言われたら、あけられないじゃん。

 やがて結婚した八歳年上の夫にも同じことを言ってみましたが、特に理由もなく却下。
 わたしは他人の耳もとを羨むばかりで、結局、ピアスをあけることのないまま三十路に突入しました。



「ピアス、ずっとあけたかったんだよね」
「あければいいじゃん」
 おとちゃんは、まるで反射のような速さでそう言いました。 

 三十代になってから こどもを介して知り合った おとちゃんは、個人的な悩みを相談しているうちに、いつしか学生時代の友人以上に親しい存在になっていました。彼女のうすい耳たぶにはいつも小ぶりで品のあるピアスが光っていて、それが無性に羨ましかったんです。

 事もなげに「あければいいじゃん」と言い放ったおとちゃんに、「ピアスあけると人生変わる・・・っていうよね?」と世間話のように話しかけたら、彼女はすっと真顔になって言いました。
「変わるよ」

 共通の友人の蒼子にも話してみました。すると、蒼子はすこし首をかしげながら、わたしの目を見て言ったんです。
「なんで人にくの? 私だったら、自分でさっさと決めてあけちゃうけどな」

 その瞬間、点と点がつながったような気がしました。



「あなたは どうしたいの?」

 仲良くなっていく途中、おとちゃんは事あるごとにそう尋ねました。
 でも、訊かれるたびに苦しくなるんです。当時のわたしは、自分がどうしたいかなんて それほど考えていなくて、いつもどう答えるのが正解なのかが判らずにいたから。
 その「正解」探しそのものが自分を苦しめていたことには、あの頃はまだ気づけませんでした。

 誰かが「いい」と認めてくれることを拠り所にして、わたしは安心したかっただけなんでしょう。家族や友人が「ピアス、いいね!」と言ってくれて、はじめてピアスをあけられる。そう思い込んでいたんです。

 だから今思えば、その時点でのわたしの「どうしたい?」は、「ピアスあけたい!」じゃなくて、きっと「ピアス、いいじゃん! あけたら?って言ってほしい!」ということだったのでしょう。この身体の主は自分なのにも関わらず、わたしは自分で決められず、人に決めさせようとしていました。ずるかったのは、祖父じゃなくてわたし自身だったんです。

 蒼子のことばを聞いて、おとちゃんが我慢強くわたしに問いかけてきた「あなたは どうしたいの?」の意味がようやく理解できたような気がしました。 
 わたしはどうしたい?・・・頭から煙が出るほど考え続けて よどんでいた心のなかに、それまで おとちゃんからもらった たくさんの言葉が、水のように沁みわたっていきます。

「ピアスをあける!」と“自分で”決めて、形成外科に予約を入れたのは、記念すべき 32歳の初夏のことでした。



 自分のことを自分で決めるというのは、きっと多くの人は特に考えることもなく、大人になる過程で自然にできるようになるのでしょう。
 でも、当時のわたしには当たり前じゃなかった。ずっと周囲の人たちに意志決定を依存し、結果がよければ「おかげさま」、悪ければ「人のせい」にして生きてきてしまったからです。
 過去を振り返れば振り返るほど、人生を他人まかせにしてきた自分の甘さを思い知って冷や汗がでます。
 
 思えば、「自分軸」という言葉を知ったのも、その頃だったように思います。ずっと私は「他人軸」で生きてきたから、人の顔色を窺い、意思決定を委ね、どう答えるのが正解なのかを探し続けて、いつしか浅い呼吸しかできなくなっていたのでしょう。
 そこからわたしを救ってくれたのは、おとちゃんとわたし自身でした。

 4週間後、ピアスホールの消毒が終わる頃には、なんだか霧が晴れたような心もようになっていて、わたしは形成外科で耳たぶに打ち込まれたファーストピアスを外し、ホワイトゴールドのフープピアスに付け替えました。

 それは おとちゃんからプレゼントされた、ある意味、わたしにとって記念すべき“ファーストピアス”でした。



 ずっと誰かの耳もとを見ては羨ましいと思っていたけれど、気づいていなかっただけで本当は、「ピアスをあけていること」よりも「ピアスをあけると自分で決められる自由」が羨ましかったのかもしれません。

 こうして、おとちゃんのことばは現実となりました。
 ピアスをあけることで、わたしの人生は変わったのです。

 誰かに迷惑をかけないことなら自分のことは自分で決めればいいのだと、ピアスをあけるプロセスで学んだのですから。
「自分で決められる自由」は、誰のものでもない。わたし自身のなかにあったのだと気づいた瞬間、生きるのが楽になりました。

 だから、このピアスは はじめの一歩。
 わたしの精神的な自立の証。
 そして、気づいた瞬間からいつでも人は変われると身をもって学んだ、わたしの大切なもの。





本エッセイは、2020年4月のエッセイを大幅にリライトしたものです。
この企画に参加しています。

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ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!