下総地域警備保障 4話

ここは下総。徳川家康の眠る地。
出生率右肩下がり。高齢化社会。日本にある死にゆく街の一つだ。

訪れるは皆、かつての将軍の墓。世界遺産に登録された神社仏閣を目指す。近代化時に捨てたはずの征夷大将軍の威光がまだ残るか。ここは墓場だ。下総に住むは墓守か。

そして墓地に沸く魑魅魍魎を狩る者がいた。下総に住まう地域警備員達だ。

「そうだ。予算はとりつけた。」
初老の男性が電話している。
「プロトタイプは今作れる最高のパフォーマンスの物を作れ。そこから合理的に要素を削ったものを正式採用しよう。」
ほとんど白髪の髪を撫でつけた。
「ああ、頼む。例の血で動く物品の方も進捗があれば連絡をくれ。」

携帯をマナーモードにしポケットにしまった。喫煙所から出て、ナースセンターを横切る。
このフロアでは通話できるのが喫煙所だけだった。

「他に客がいなくて助かった」
タバコは吸わない。菓子職人にタバコの香りは強すぎる。繊細な味と香りが分からなくなってしまい、その鈍りは技巧にも影響してしまうのだ。

職人としては既に引退しているが、警備会社の経営者としては現役だ。感覚は普段から研ぎ澄ましておきたい。腕と肉体は衰えど、心構えと心意気は現役のままに保っておきたいと思っている。習慣や願掛けと言われればそれまでだが。

この初老の男性は、寺田甚右衛門。江戸時代から続く老舗和菓子店「寺田屋」の元社長で、いわゆる警察業務下請け法で作られた地域警備会社の一つ、「下総地域警備保障」の現代表だ。

「おやっさん!こっちこっち!」
6人部屋に入ると、こちらに気づいたカツヤが手を振って招いた。
「おいおい、あんまり大きな声出すなや。」
カツヤは、あ!と言ってニコニコしながら口の前に人差し指を立てた。
苦笑しながら窓際のベッドまで近づいていく。

「元気そうだな。」

ベッドには正一郎がいた。すでに上体を起こすことはできる様だった。入院着に隠れて見えないが脇腹は包帯でグルグル巻きになっている。

「これ食え。」

冷蔵庫やらテレビやらが詰め込まれた病室特有のテーブルに包みを置いた。
寺田屋の人気商品、フルーツあんみつだ。しかも元社長手ずから作った特別製だ。

「ありがとうございます。・・・あと一週間もすれば退院できるそうです。」
正一郎はここに寝ているのが耐えられず、すぐに出ていきたいという様子だった。
「今ぐらい大人しくしていろ。労災の申請もしている。」

正一郎は何も言わず苦虫を噛み潰した様な顔で目を閉じた。
「今ラボ班に重装備の制服を作らせてる。凶悪犯がうろついてる時はそれを着てもらうことになる。重症を負う危険性は下がる筈だ。・・・しかし、いつからこんなに治安が悪くなってしまったんだか。」

ここ数年で犯罪の発生率は増加傾向に転じた。特にこの下総地域は異常に高く、凶悪犯罪の件数も他を圧倒している。警察業務下請け法が作られ、地域警備会社が今までの警察の職務倫理から逸脱した取り締まりを行える様になったのは、何も警察組織の働き方改革の為だけではない。
今そこに差し迫った危機があるのだ。

むしろこれを隠れ簑と見る向きもある。危険な任務に就けば当然負傷や、最悪の場合殉職もあり得る。殉職の場合、二階級特進で保険金の支払いが高くなるなるばかりか、世論からの批判、警察職員のモチベーションが下がり離職率アップ等の数々の無視できない問題が噴出してくる。

しかし、これを警備会社に下請けに出すとどうだろうか。たとえ、警邏中の警備員が事件に巻き込まれ傷つき、死んだとしても、それはあくまでも下請け先の警備会社の問題であって警察組織の殉職率にはなんら影響しない。
凶悪犯の取り締まり件数はそのままに、殉職率を下げることができるのだ!いやむしろ、彼らのがんばり次第では取り締まり件数アップも夢ではない。片手団扇で検挙率アップ。やめられよう筈が無い!

甚右衛門はちらりと腕時計を見て言った。
「そろそろ帰るか。お前も元気が有り余ってるなら見送りに来い。少しは気が紛れるかもしれんな。」
正一郎は無言で車椅子に乗り込む準備を始めた。すかさずカツヤがそれを助ける。

部屋を出て、消毒液のにおいがする廊下を進む。夕陽の明かりが差し込んでいる。この場面だけ切り抜けばあたかも平和に見える。だが、今でもこの街のどこかで誰かが傷つけられているかもしれない。
そしてあの男は今も活動しているかもしれない。新たな犠牲者を見つけているかもしれない。

そう思うとたまらない気持ちになった。

甚右衛門は正一郎の車椅子の車輪を持つ手に力がこもっているのを見逃さなかった。
「今、ラボで重武装の制服を作って貰ってる。それでこんな怪我をする危険は減るだろう。」

もちろん、防御力と快適性はトレードオフ関係なので、常時重装備でいることはできないが、今回の赤さんの件の様に、あらかじめ武装している犯人がうろついている高リスク巡回時には着用することで被害を最小限に抑えることが出来るだろう。

「いいっすね!カッチョいいのたのんますよ!」
カツヤが能天気に返す。

「おいおい・・・」
子供みたいな事を言う奴だが、それがこいつの良いところでもあり、この後ろ暗い商売においてもいくらか救われている事は事実だ。

「もうすぐ寒くなりそうっすね。」
カツヤが言った。
雪が降るには早いが、朝夕などはキンと張り詰めた乾いた風が吹きはじめている。日が傾くのも早い。夜の時間が長くなっている。
夕日が差し込む窓から見える木の枝が風でかすかに揺れている。手が届きそうな位置にあるその枝の葉は黄色に染まっており、枯れ果てる手前だ。

「鍋やりましょうよ!正一郎さん退院したらさ、事務所でみんな呼んで!」
「餃子キムチチーズタッカルビ鱈鍋!」

正一郎は以前、牛丼屋でキムチと納豆とチーズとマヨネーズをトッピングした牛丼をカツヤが頼んでいるのを覚えている。『うまいうまい』と食べていたが、お世辞にもそうは見えなかった。

カラカラと車輪を回す乾いた音だけがこだました。

「においが強く無い鍋なら許可するが・・・」
甚右衛門が助け舟を出した。
「マジっすか!?じゃあ鰤しゃぶにしましょうよ!」
「わかったわかった・・・!」
甚右衛門はまたも苦笑いしながら口の前に人差し指を立てた。あ!と言いつつカツヤもそれを真似た。例の人懐っこい笑顔もそのままだ。

「まったく叶わんわ。」

甚右衛門も思わず笑ってしまった。

チーンといって開いたエレベーターに乗り、1Fエントランスまで降りてきた。

「そういや、こないだの報酬で金貯まったんでバイク買ったんすよ・・・」

またもチンと言ってエレベーターが開いた。すると、受付で学生服を着た少年と受付の女性が何やら揉めているようだ。

「お願いします!命の恩人なんです!」

「何度も言ってるように、プライバシー保護の観点で、教えられないの!」

まゆにかかる程度の前髪、白の長袖のブラウス、黒のスラックス、黒い学生服の上着を腕に掛けている。見覚えがあるような少年だ。

「あー、あの時の少年じゃん!おーい」
カツヤが能天気に手を振りながら声をかけた。

「あ!おじさん達!」
少年が足元に置いていた学生鞄を掴んで正一郎達へ駆け寄った。白いスニーカーがキュッキュッと床を鳴らす。
受付の女性が呼び止めようとしたが、彼らの知人だと悟って思いとどまったようだった。

「あの時は助けて頂きありがとうございました!これ、お見舞いです!」
立派な贈答用の果物がバスケットに入っている。

正一郎は受け取るのは悪いと思ったが、結局は受け取ることにした。

「一旦部屋に置いてくる」
甚右衛門は果物カゴを持ってエレベーターに入って行った。

「あの・・・」

この少年は先日の赤さん事件の被害者で、間一髪のところを正一郎達に助けられたのだった。その時の、赤さん現行犯逮捕時に犯人の強烈な抵抗にあい、病院に担ぎ込まれる程の怪我を負った。

「もう大丈夫なのか?」

正一郎が尋ねる。怪我をしていない事は当時確認している。問題は心の方だ。あきらかな殺意を向けられた時の恐ろしさを正一郎達はよく知っている。
訓練を積み体を鍛えた彼らだからこそ今日まで戦い続けて来られたのだ。それでも犯人と対峙した時、今でも背筋を冷たい汗が流れる。

「はい!おかげ様で。」

少年は屈託なく笑った。見た目よりも明るく強いの子のようだ。

「僕は前田保って言います。友達からはマエタモって呼ばれてます。」

「俺はカツヤ、こっちは正一郎さん、さっきの偉いおじちゃんが甚右衛門さん。」

「その怪我って僕を庇った時のですよね?すみません!」

「どうして謝る」

「だって・・・」

「俺たちはこうなるのを承知でやってるのよ。警察は当てにできない、誰かがやらなきゃならないってさ。それで悪人をド突いて回るって因果な商売やってるってワケ。他のバイトより金になるしな!」

「保くんが怪我をしなかった、それで十分だ。」
そして、心も健やかでいる。最上だ。

チーンと音と共に甚右衛門が降りて来た。

「お待たせ」

保と甚右衛門はカツヤの紹介で簡単な自己紹介を済ませた。

「君があの時居合わせた中学生か。元気そうで何よりだ。・・・もう一人の被害者の女の子はどうしているだろう・・・。」

「あの子は学校には来ていますが、親に送り迎えされて保健室にいます。まだ一人で出歩くのは怖いとか。」

「すまなかったなあ。我々にどうにかできたとは思わんが、それでも、パトロールのローテーションを変えるとか、増員するとか、とにかく今よりもっとマシな未来があったんじゃないかと思わずにはいられないんだ。悔しいなあ。」
甚右衛門が半ば独り言のように言った。

正一郎も怒りとも殺意とも取れるような光を目に宿している。が、保はその後ろのカツヤが真面目な顔をしているのを見逃さなかった。おちゃらけた人だと思っていたから意外だった。

いや、保は知っていた。あの時、がっしりと肩を掴み逃げる活力を与えてくれた柔らかな温かさを知っていた。

今でもこうして健やかでいれるのはこの人の勇気が伝染したからかもしれないなと、1人で納得した。


エントランスから出てくると、もう日が沈みかけ東の空は東雲色に染まっている。

「暗くなってきちまったな。送って行こうか?」

「オレバイクで来てるんで!」

「お前じゃない」

「いえ、大丈夫です!近所だし、最近鍛えてるんです。」
己の無力さを思い知らされたことからランニングや筋トレに励んでいる。

「そうか、気をつけてな。」

「そうそう、こないだの報酬で金貯まったんでバイク買ったんすよ!免許は持ってたけど事故って廃車になってからそんままで。」

玄関出てすぐの駐輪場に堂々とビッグスクーターが停めてある。
ボディーはつやのある深い紫に塗られ、シートは革張りのソファーのような質感のものになっている。ステップはアルミの縞板のデッキボードに張り替えられている。

「(うわ、族車じゃん・・・)」

「かっこいいな。」
正一郎が言った。

「(かっこいいのか・・・)」
保は苦笑いした。

「やべ、彼女から迎えにこいって鬼電来てますわ!じゃ、また!今度乗せたげるね!」
カツヤがワインレッドの半ヘルをかぶり言った。キーを差し込み捻る。メーターが光り一周した。ライトがつくと同時にステップ下と前輪が青色LEDでライトアップされる。

「(族車だ・・・)」

「くれぐれも安全運転でな」
甚右衛門も苦笑いを隠せなかった。

「お大事にー」
「ああ。」
カツヤは左手をひらひらさせながら走り出した。LED化されたウィンカーは流れるように点滅をしている。

「(やっぱ族車じゃん・・・)」

カツヤはさっそうと走り出した。

「甚右衛門さん、今日はありがとうございました。」
「お大事に、と言っても聞かないだろ。せいぜい早く治すことだ。お前が戻るまでには新装備を用意しとくさ。」
「すいません。お手数かけます。」
正一郎は少し微笑んだ。

「保君も気を付けて。帰り道暗くなってるから。」
「はい、ありがとうございます。それでは!」

保は一礼して走り出した。あの人もあんな風に笑うんだなと登り始めた月を見ながら思った。

振り返ると甚右衛門は駐車場の方へ、正一郎は車椅子の車輪を回しエントランスに入って行くところだ。

「邪魔だなこれ。」
地面を蹴る度、目を打つ前髪を手でかき上げる。

「明日散髪行こ。」

学生服のボタンを全部開けた。冬の気配が漂う秋風が汗ばんできた体を冷やす。黒い学生服の上着を脱ぎ左手に抱えた。月はさっきよりも高い位置にあり、冷たい光を投げかけている。

通り過ぎる度、鳴き止む虫達。草むらから聞こえるさざ音は果たして風のせいだけだろうか。

「そういや今日は塾休んじゃったな。」
父さんに怒られるだろうかと思ったが、不思議と不安は無かった。というかここ最近は何か調子がいい。筋トレのおかげか?自分でも自分がこんなに前向きな性格だとは思わなかった。
いや、あの事件の夜以来何かが変わったように思えてならない。

弱い自分は赤さんに刺され、カツヤさんや正一郎さんに救ってもらって新たな自分に作り替わったのかもしれない。変な例えだし恥ずかしいから誰にも言えないが。

吐く息が鉄くさくなるころには明るい大通りに出た。
目の前を黒猫が横切る。その猫に目掛け小石を蹴って追い払うとまた走り出した。

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下総地域警備保障
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(続く)















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