下総地域警備保障 5話

妙な物音がしたのはビールもぬるくなった頃だった。
スーパーの惣菜と焼き鳥をビールで流し込みながら野球のナイターを見ていた。そのナイターも終わり、ニュースが始まっていた。

「また野良猫の野郎か」

最近、ベランダの生ゴミを狙って猫が寄ってくるようになった。狭いアパートの部屋ではゴミの置き場にも困る。ベランダぐらいしか置く場所が無いのだ。忌々しい猫め。ベランダ全体にネットでも貼ってやろうか。

「・・・入院中の連続通り魔事件の容疑者の容態が安定したため、取り調べが開始されました。概ね犯行を認める証言をしていますが、時折支離滅裂な発言をしている事から精神鑑定を・・・」

コップに水を注ぎ一息に飲んだ。そうだこいつを引っ掛けてやれ。もう一度コップに水を注いだ。

ベランダにこっそりと近づくと可能な限り素早くカーテンと窓を開けた!

そこで自分の視線の高さで目が合った。そこに立っていたのは黒ずくめでマスクとサングラスをかけた男だった。男はおもむろに住人の首筋に拳を近づけた。
「うううう・・・」

手から滑り落ちたコップが落下し、パリンと短い音を立て水を床に振りまいた。手足が小刻みに震える。

スタンガンの先端の電極から青白い閃光が迸っている。自由放電の軌跡が目視できる程に強力な電流だ。先端の電極は焼け飛び赤い火花も散っている。

そのスタンガンには血の指紋がついており、薄ら赤く発光していた。


黒いカッパ の男は住人を跨いで部屋に侵入する。床で伸びている住人は先ほどまで痙攣していたが今はもう動かない。

「・・・強盗事件が相次いでいます。被害者はスタンガンの様な物で襲われており、身動きが取れなくなった所で室内を物色しているとのことです。中には心臓発作で死亡したり、神経のマヒといった障害が残っている人もおり、警察が注意を呼びかけています。次のニュースです。東北の奇祭「逆立ちわんこそば祭り」が今年も開催されまし・・・」

一般的な1DKの部屋の様だ。TVの前のテーブルには飲みかけのビール缶と転がった空のビール缶が数本、そして焼き鳥の串が入ったパックがある。恐らく住人は1人だろう。

リビングと繋がったキッチンに行き、冷蔵庫を開ける。ビール、酎ハイが数本、割引きシールが貼られた弁当、惣菜のパック、やはりこいつは1人だ。すぐに人が来ることはないだろう。
手近の戸棚から物色を始める。一番下の引き出しから順番に開けていく。中をかき回し、金目の物を探す。

二番目、三番目、預金通帳があった。残高を確認する。この額ならある程度の現金があるはずだ。通帳を引き出しに戻す。
預金通帳から金を引き出した日には、早朝に家に警察が訪ねてくるのは確実だ。狙うのは足がつかない現ナマのみ。
一番上の引き出しを開ける。下総銀行とプリントされた封筒が出てきた。そこから万札を全て抜き取るとポケットに突っ込み、ジッパーをしめた。十数万は下るまい。
金を取った後は引き出しを元に戻す。
部屋が荒らされていれば馬鹿でも強盗だと気づく。部屋を荒らす音で近隣住民に怪しまれ通報されるかもしれない。なるべく仕事は静かにやりたい。
発見が遅れればそれだけ逃げる時間が稼げるというものだ。特に外傷も無さそうな伸びている男を見れば普通は病気だと思うはずである。よって通報されるのはこいつが起きた時か、まあ目覚めたとしてだが。それか誰かが救急車を呼んで病気じゃないと診断されてからだ。その頃にはもうとっくにとんずらこいて、家で一杯やってる頃さ。

ベッド横のダッシュボードへ近づく。そこには車のキーと長財布と携帯が無造作に置かれていた。財布の金も足が着きにくい手頃な獲物だ。長財布を開くと、クレジットカードには目もくれず5枚の万札を抜き取ると、その金をポケットに突っ込みジッパーを閉めた。

周囲を見回し、閉め忘れた引き出しや荒らされた形跡が残されていない事を確認する。自分の手袋や袖口を確認し、指紋と毛髪を落としていないかを確認する。最後にポケットのジッパーが閉まっていて、奪った金や仕事道具を落としてない事を確認した。
時計をチラリと見る。掛かった時間は約10分か。まあまあだ。

再び横たわった住人を跨ぎ中腰でベランダに出ると、静かにカーテンと窓を閉めた。ベランダの塀から目だけを出し辺りを見回す。人気は無い。塀に素早く手をかけると飛び越え、スルスルと降りた。そのまま通りの左右を確認すると足音を消した駆け足でその場を後にした。

通りを右、左、また右と曲がり追手が来ていないか聞き耳を立てた。大丈夫そうだ。電柱の影にもたれると素早く消音靴にかかったシューズカバーを外し、覆面を外し黒いカッパを脱ぐと全てひとまとめにしてパーカーのポケットからエコバックを取り出して詰め込んだ。
その後は周りを見回すこともなく平静を装って帰路に着いた。

なかなかに儲かった。今月分の返済をしても十分余る額だ。祝杯を挙げるとしよう!足取りも軽くコンビニに向かった。


橋の上から勢いよく流れる河の音を聞く。水温と放射冷却で冷まされた空気との温度差で発するもやが音の発生源にベールをかけていた。
澄んだ空気の中、前田保はジョギングしていた。日課の夜のジョギングを朝に切り替えた。鍛錬の時間と睡眠時間を確保するための手だ。十分な睡眠は授業中の居眠り防止に効果がある。体育は得意な方ではないが、学年トップテン常連の学力は保の自慢だった。

堤防の終わりまで到達し、信号を渡って市街地に入った。コーヒーショップの軒先から焙煎のよい香りが漂ってくる。目が覚めるようだ。休日の朝は車もまばらだ。住宅地の角を曲がると、パトランプをつけた救急車が後部ドアを開けて止まっていた。太陽が昇ってきているにも関わらず回転灯の赤い光は目に刺さる。

ストレッチャーに乗せられた男性が、二階建てのアパートから運び出されている。付き添いの男性も消毒液のにおいのする車内に後ろのハッチから一緒に乗り込んだ。

「仕事に来ないから心配して様子を見に来たら意識不明で倒れてたそうよ」
「まあ!まだ若いのにね」
「単身赴任で大変だったのかしらね?」

近所のおばさん達の声が聞こえた。保は救急隊の邪魔にならないように道の端をゆっくりと走り、サイレンを鳴らし走り去る救急車を見送った。刈り終えたままになった乾いた田んぼの横の道を間延びしたサイレンがこだまし遠のいて、やがて見えなくなった。

そこから3kmほど走り、また別の住宅地に入った。大きな公園の横の歩道はお気に入りの道だ。通りから見える家々では、起きてきた住人たちが洗濯物を干したり、庭の植物に水をあげたり、一日を再開し始めたようだ。均等に街路樹が植えられた遊歩道を走っていると、向こうから同級生のお母さんが自転車でやってきた。

目を合わせると、二人は同時に会釈した。
「朝からランニング?」
「ええ、今から帰るところです」
「はつらつとしてるわね!うちの子なんか昼過ぎまで起きてこないんだから!言って聞かせたいわ」

「はは、そんな大したもんじゃないですよ。」
「それじゃあまたね」

パートに勤めてると聞いてたから出勤中だろう。
「あ、はい。・・・!?」
植込みの茂みの中に気になるものが目についた。

「どうかした?」
「い、いえ!それではおばさん、良い一日を!」
おばさんは怪訝な顔を一瞬見せたが、笑顔でペダルを漕ぎ始めた。保も走り出した。

「(エッチ本があった!?あれはそうに違いない!)」

平綴じにされた紙束の表紙はいかがわしい女性の写真だったように思う。だが、もう間もなく日も高く上がり、人々が活動を始める街中をカバンに隠すこともなくエッチ本を持ち歩く勇気は保には無かった。それに、間が悪ければ、拾うところを誰かに見られることになりかねない。こんな何もない、退屈に揺蕩う町に住む人間の格好の暇つぶしの対象になることはプライドが許さなかった。

「(今夜だ!塾の後、いや、塾の前だ!日暮れに乗じて回収に来よう!)」
ドキドキと胸を高鳴らせる。色とりどりのレンガ造りの歩道を踏む足にも力が入るというものだ。

「よし!」
家までラストスパートをかけた。


時は進み、夕方。

男は大量の空き缶が転がる部屋で目覚めた。祝杯と称して大量に買い込んだ酒を飲んでいるうちにいつの間にか寝てしまっていたようだ。もう太陽は傾き、オレンジ色の陽光を投げかけていた。窓辺から差し込む西日を浴びる缶や総菜のパックを足で払いのけながらトイレへ向かう。窓と反対側になる玄関の方は安賃貸部屋らしく、この時間はもう暗い。途中で部屋の電気をつけると、トイレのドアを開け便座に座った。電球は切れているが、ドアは開けたままなので十分明るい。

大きなあくびを一つ。何年前だったか妻が病気にかかり、その治療のため方々から金を借りて歩いた。返済する間もなくどんどん病状は悪化していく。時には闇金に行って金を工面したこともある。
その甲斐なく妻はあっさりと死んでしまい、数百万の借金が残った。いや、利子を含めれれば一千万は優に超えるだろう。

電気工事専門の建設屋の職人の仕事で返せるはずもなく、生活も困窮していった。このまま首でもくくろうかと考えている時に、この不思議な物体を見出した。パーツ入れに入っていた何でもない部品の一つだったが、切り傷のある手で作業している時に、そのフェライトコアが赤く発光しているのに気付いた。その後、導通確認のため電源を入れたところ、フェライトコアを取り付けた電線につながるターミナルが突然激しく焼損した。
不良品だということで片付いたが、これはあの赤く光る奴の仕業だと何となくわかった。だって光っているのだ。光なんか出すはずの無いパーツが。ただ事じゃない。家に持ち帰り、簡単な実験からこの物品は血によって異能が引き出されることが分かった。

されど、そんなもので金が作れるはずもなく、また、うまく利用する方法も思いつかなかった。
出来る事と言えば、スクラップを寄せ集めて足のつかない凶器を作ることぐらいだ。電気技師の力を結集し、つたないながらも、血を供給することで凄まじい電撃を生み出すスタンガンをこしらえたのだった。

これで強盗して日銭を稼げば利子は返せる。利子さえ払っておけば金貸し共は黙って帰るのだ。ああ、あいつが生きていてくれたらなあ。今の俺は生きた死人だ。生者の生き血をすする、生きてる振りをしてる死体。こんな生活が続く訳がないのも分かってる。だがそんなのどうだっていい。俺は死んでるからだ。激流に流され、揉まれ、飲まれ、何かに引っかかるか打ち上げられるかするまで止まらない土座衛門だからだ。

今日はお前の所に行けるだろうか。明日はお前の所にいけるだろうか。酒で鈍らせた頭でいつも考えている。立ち上がり水洗のコックを大の方向に捻る。酒で焼けた腹から出たクソが水流に飲まれ見えなくなった。ただ流されるのみ。

「さあ今日もやろうか」

外との明暗差で姿見のように自分を映す窓辺に寄る。缶を蹴散らしながらカーテンレールに掛かったハンガーを取るとカーテンを引いた。ハンガーの仕事着を掴むと袖を通した。



同時刻、茶髪の男と黒髪の男は買い物袋を下げ歩いていた。袋は重く、がっしりとした腕に血管が浮かぶ。

「食材も酒も準備よし!豪華にカニ入り鱈鍋っすよ!」
「ああ。」
ビールやチューハイの缶が詰まった買い物袋と、冷凍のカニの足がはみ出た食材がつまった買い物袋を両手に持っている茶髪の男はカツヤだ。
重い荷物を持ったままタバコを口に運び火をつける。重みでふらふらと体が揺れる。

「今日、総合の生中継あるんすよ!超楽しみで。元フライ級王者とキックボクシングのチャンピオンの対戦なんすよ!やばくないすか!?」
「やばいな」
以前、カツヤが小さい頃、何かの格闘技をやっていたと聞いた事を思い出した。スパーリング時に拳を交えた感触から今もトレーニングは続けていることは分かる。格闘技など現行犯逮捕の為の手段としか思っていない正一郎からは、カツヤの情熱は時折眩しく映る。ひたむきな努力につい先日の事件で助けられたばかりだ。

くわえタバコに連なった灰がポロっと落ちた。

「いけね」
カツヤはジーンズのポケットから携帯灰皿を取り出し、赤い発熱点の先に残った灰を落とした。

「これいいっすよ!」

携帯灰皿は正一郎が贈ったものだ。助けられた礼と、社長からの歩きたばこを何とかしろという小言を受けてのものだった。蓋をしめた灰皿を振って笑う。

「ここが我が家です。上がって上がって」
玄関の鍵を回すとカチリと金属音が響いた。宅地にあるごく普通の戸建て住宅だった。表にはカバーにかかったビッグスクーターが止まっている。

「おじゃまします」

正一郎が遠慮がちに言った。

「ああ、今は俺しか住んでないんでお構いなく!靴だって揃えなくていいんで!」
そう言うと、カツヤは靴を脱ぎ散らし飛び上がると、本当にそのまま廊下を駆けて行った。

「フーー」
正一郎は長い鼻息を慣らし、買い物袋を玄関に置くと自分の脱いだ靴を揃え、次いでカツヤの靴も横に並べ揃えた。再び買い物袋を持つと薄暗い廊下にぽっかりと口を開け、光を放っているリビングへカツヤの後を追った。


 

日が沈み、街灯の明かりだけがぽつりぽつりと夜道を照らしている。ここは今朝の住宅街の歩道だ。そして、街灯の明かりを避けるようにして小走りで忍ぶものあり。

「この辺だ・・・」

黒いパーカーに黒いデニムでなるべく闇に溶け込もうとしている。イメージトレーニングは済ませてきた。掴む。本をあらためる。カバンに突っ込む。

目的の茂みの近くで立ち止まる。拾う前に周囲を確認するのでは遅い。第一怪しい。急ぐことは急ぐが自然体を崩してはいけない。段取りだ。一連のムーブを自然体でこなすには、そこに入る前までに目撃される危険が無いことを確認しないといけないのだ。
安全が確保されている状態を作ることで心に余裕が生まれ、万が一トラブルが起こってしまったとしてもシラを切り通す為の頭のキレが保たれるというものだ。

最小の動きで肩越しに背後を確認する。人影無し!左手は公園だが夜だし暗いので確認の必要なし!背後から右手側、正面へと視線を戻してゆく。オールクリア。胸の高鳴りがうるさくて耳が遠くなる。幸い目的のブツの回収ポイントは街灯から少し離れて暗い。足音が響かないように踵から足を下ろして、つま先に向かって体重をかけていく。されど抜き足差し足にならないように気をつけて歩く。散歩するように自然にだ。

回収ポイントについたので、その場でしゃがんだ。靴ひもを気にするぞぶりを見せた後、スッと左を見て本を手に取った。パラパラーッ。

「よし」

左肩に掛けたトートバッグを下ろし、参考書の束を押し広げた隙間にエッチ本を滑り込ませた。

その瞬間、少し離れたところでチカッと青い光が一瞬光った。

保はカメラか何かのフラッシュかと思い、慌てて茂みに身を隠した。

「クソ!クラスメイトのいたずらだったか!?」

思いつく限りの言い訳を考え、迎撃の準備を整えるが一向に誰もこない。恐る恐る様子をうかがうが、近くには誰もいなかった。

再び、チカッっと青い光が見えた。今度はさっきよりも遠くで光った。その光源は青白く弱々しかったが、小さい稲妻のように見えた。小さい稲妻の主は暗くて分からず、全身黒づくめでフードを被り、マスクとサングラスで隠した横顔から表情は読み取れない。
保と同じように黒い服装で闇に溶け込んでいた。さらに素顔も隠している。きっとそうしないといけない理由があるという事だ。

「待てよ、黒ずくめ、雷、電気・・・」
ニュースで言っていた強盗事件、今朝の救急車・・・。
「心臓発作、スタンガン!?」

保の中で点と点が繋がった。
「あいつが最近、この辺を騒がせている強盗か!?」

家に押し入り、住人をスタンガンで無力化し、金品を奪っていく事件が多発しており警察が捜査していた。しかし、証拠はほとんど何も残っておらず、被害者も顔を見ていないため、操作は難航していると言っていた。中には心臓発作と間違われ、初動捜査が遅れているのではないか?

そうしている間にも、黒ずくめの男はめぼしい家の敷地に足を踏み入れようとしている。その住宅は一階のリビングのような部屋のカーテンの隙間から明かりが漏れているが、他の部屋は暗い。駐車場に車は無く、カバーがかかったバイクが止められているだけだ。

「ヤバイヤバイ、どうしよう、まずは警察?いや、遅すぎる。その前に強盗だという確証もない!」
スマホを取り出した手は震えている。力が入らない。

「大声を出して威嚇してみるか?でも本当に犯人で返り討ちに合ったら・・・」

不意に、以前、凶悪犯に襲われた記憶が蘇ってきた。赤さんと呼ばれた凶悪犯に切り付けられた時の記憶・・・。さらに震えが大きくなった。斬撃をカバンで受け止めた時の衝撃は手が覚えている。

黒づくめの男はもう一度微かな閃光をほとばしらせた。道具の最終点検を終えたのだ。いよいよ家に押し入るつもりだろう。

「鍛えてたのは何のためだ!?こういう時の為だろ!よし、行くぞ!行くぞ!」

何度心の中で自分を叱咤激励しても足は動かないのだった。汗が噴き出る。
男は玄関のドアを僅かに開け(カギは掛かってなかった)中の様子を伺い、するりと入ってしまった。

家の玄関とスマホとの間を視線が往復する。いったいどうしたら・・・。その時だった。

「おい、そこで何してる。」
男に声をかけられた。確かにこれでは自分の方が不審者だ。

「た、助けて下さい!男が黒ずくめでバチッてして強盗で!家の中に!」

「落ち着け。・・・君は、保くんか?」

薄暗く気付かなかったが、どうやら正一郎さんのようだ。あの目立つ黄色の戦闘服じゃなく、Tシャツにジャケットというラフな格好だった。

「連続強盗犯と思しき男があの民家に入って行きました!バチってしてたので凶器はスタンガンかも。」
「まずいな。あれはカツヤの家だ。」

カツヤさんの家で、正一郎さんの快気祝いをやっていて、途中で氷やタバコの買い出しに出ていたそうだ。

「君は警察に電話してここで待っていてくれ。危険だから近づくな。」

「でも今は捕まえる装備も無いじゃないですか!僕も行きます!」
二人より三人の方が強いに決まっている。それなりに鍛えてきた自信もある。

「駄目だ。一般人を危険に晒すわけにはいかないし、君が人質に取られたら手を出せなくなる。俺もカツヤも素手でもそれなりに強い。今ならまだ挟み撃ちが成立する。頼むからここで待っていて欲しい」

駆け出す正一郎。

保は返事も聞かず家に駆けこむ正一郎を見送る事しか出来なかった。


正一郎はズボンのポケットからスマホを取り出すとカツヤに電話を掛ける。プルル、ワンコールで繋がった。

「カツヤです。タバコ分かんなくなったんすか?ハイライトの青っすよ。緑なんか買って来ないで下さいよ!」

「緊急だ。お前の家に強盗が入ってる。今から俺も突入する。」

「マジっすか!」

「マジだ。」

カツヤは横目でリビングのドアが静かに開いていくのを見た。
スマホを置くと、スルリとこたつから抜け出し、渾身の飛び蹴りをドア越しに繰り出した。足の裏から手ごたえが伝わる。ドンと壁にぶつかった音が聞こえた。すかさずドアを引いて開け、態勢を崩した犯人に掴み掛ろうと駆け寄る。

犯人が右手を突き出してきた。カツヤはそれを左手で払いのけ掴む・・・つもりだった。だが、寸前で後ろにスウェーして避け、飛び下がった。
パチパチと青白い閃光が迸る。

「クソ、スタンガンか!」

あたりにはオゾンの臭いが立ち込める。黒ずくめの男の右手からはプラズマボールのように辺りに青い電気のようなものが走っているのがハッキリと見えた。青い針金のような放電が揺らめく度、廊下の蛍光灯が明滅する。

「なんかドラマで見たのと違うんだが・・・」
これを食らえばタダでは済まないような気がする。男は右手を突き出したまま中腰の姿勢に立ち上がった。こちらの隙をうかがっている。

「カツヤ!」
玄関を開け放ち、正一郎が乗り込んできた。一瞬黒ずくめの男の視線が玄関に注がれる。それを見逃すカツヤではなかった。一歩踏み込んで鋭い右回し蹴りを相手の左裏膝に目掛けて放つ。が、浅い!硬い膝部分に当たってしまい殆どダメージが入らない。

「俺としたことがビビっちまった!」
放電の威圧感に負け、踏み込みが甘くなってしまった。
『攻撃こそ最大の防御よ!ひるまず打ち込め!』
ムエタイ道場の師範が良く言っていたっけ。

挟撃を食らう形になってしまった犯人は死に物狂いでカツヤに襲い掛かった。サングラスのレンズは最初の蹴りで左が割れ、右はヒビが入っている。割れた方から覗く目と合った。これは戦いの主導権を握ってると思ってる目だ。実際そうだが。

奴の右手の閃光が素肌を撫でるだけでもパチっと強めの静電気のような衝撃が走る。その度に殴りかかる拳を引かざるを得なかった。
「(ごめん、師範無理だわ。あんたも電気と戦ったことないっしょ!)」
黒ずくめの男の猛攻に押され、こたつまで追い詰められてしまった。

「やべ!」

こたつに足を取られひっくり返ってしまう。止めとばかりに男が青い閃光を迸らせる。

「クソが!」

カツヤはこたつの上の土鍋を掴み、男にぶちまけた。奴の右手が触れるよりも早く熱い出汁といくらかの具材を浴びせかけた。

「アチ!」

犯人は初めて声を上げると、あまりの熱さに出汁で濡れたマスクを引き剥がした。完全に男の攻撃の手は止まってしまった。

「カツヤ大丈夫か!」

正一郎がリビングに駆け込んできた。二対一で追い詰められ、素顔を隠すこともできなくなった犯人は、今度はリビングと地続きのカウンターキッチンに駆け込んだ。勝手口の鍵を開けている。

「逃がさん」

目を細めると正一郎が駆け出す。男は上下の鍵を開けると寸でのところで逃げドアを閉めた。それを追って正一郎がドアノブに手をかけようとする。

「正一郎さん危ない!」

ハッとカツヤの意図に気付いた正一郎だったが、僅かに遅かった。すぐに手を引っ込めたものの、感電の衝撃と筋肉の痙攣で2mほど後ろに吹き飛んだ。黒ずくめの男は追ってくることを見越して、ドアノブに電流を流す準備をしていたのだ。

駆け寄ってきたカツヤに目だけで、『追え』と訴えかける。カツヤはガスレンジの脇に掛けられていたシリコン製の鍋掴みを掴み装着すると、勝手口を一気に開け放った。
ドアの端が黒づくめの犯人の頭に勢いよく当たり、尻もちをついた。再び電撃トラップを仕掛けようと擦りガラス張りの勝手口に姿が映らないように顔だけ覗かせて中の様子をうかがっていたからだ。額からは流血がみられる。

「成長の無い奴!」

カツヤには犯人が逃走せず、再度待ち伏せ攻撃を仕掛けてくるのが分かっていた。今まで証拠一つ残さなかった慎重で臆病な奴だ。顔を見た者は必ず消すはずだ。そう読んだのだ。こちらの虚をつくつもりの電気トラップ攻撃を絶縁体であるシリコンゴムの鍋掴みで完封した。犯人は頭部への打撃でふらつき、流血もしている。完全に戦いの流れはカツヤにある。

「年貢の納め時だぁ!」
猛り狂ったカツヤは犯人に駆け寄る。男は額の血を左手で拭うと、スタンガンに塗りつけた。スタンガンが赤く光りだし、電極からの放電光はより長く、より本数を増しており、赤い雷雲と言える程だ。

「死ね!」
カツヤを迎え撃つ渾身の右ストレートだ!

「関係あるか!」
戦いの中でペースを取り戻したカツヤに恐れや迷いは無くなっていた。
右手の鍋掴みでスタンガンを逸らすと、そのまま流れるように右肘を相手のあごに叩き込んだ。

「死ぬのはお前だ」
その眼には、あの日赤さんに見せたような静かな青い殺意が燃えていた。

そのまま飛び上がり、真上から体重を乗せた左ひじを脳天に叩き込んだ。ムエタイで言う『ティーソークボン(上から叩きつける肘打ち)』の変形技だ!肘が頭に突き刺さった瞬間、男はビクリと震えた。

その時の腕の振れでまだ放電していたスタンガンの放電雷がカツヤに当たり吹き飛ばされてしまう。

「クソ、しくった・・・」
意識を失うほどでは無いものの、四肢は痙攣し、強烈な痛みと不快感が襲う。犯人の方は、・・・まだ動けるようだ。

「うう・・・」
よろよろと立ち上がり、額を抑えて辺りを見回している。
遠くからサイレンの音が聞こえだした。こちらの方に近づいてきているようだ。誰かが警察を呼んでくれたのか?
犯人はパトカーの接近に気が付いたようで、庭から玄関の方へ足元もおぼつかず、歩いて逃走を試みている。

「と、止まれ!ここは通さないぞ!」

犯人の行く手を遮り、そう叫ぶ者がいた。が、それは警察官ではなく一人の少年だった。

「(保君・・・!?どうしてここに・・・)」

トートバックを胸の前に構え、立ちふさがるのは前田保だった。正一郎と別れ警察に通報を行った保だったが、どうしてもジッとしていられず、玄関の周辺から中の様子をうかがっていた。家の中で争う物音が手前から奥の方へ移動していき、家の裏でドアを勢いよく開閉する音がしてきた辺りで我慢できずに恐る恐る裏手に回って来ていた。角から顔だけ出して見ると、カツヤと犯人の決着がついたころだった。

「どけ」

黒ずくめの男が、血まみれの指の隙間からの鋭い眼光で凄む。しかし、その声は小さく、弱っていることは保の目にも明らかだ。
一歩だけ後ずさってしまったが、二歩目は踏みとどまった。
サイレンの音がより大きく近くなる。

「(ダメだ、相手するな!どうせ逃げられん!)」
しかし、カツヤは声を出せず、喉がうなるばかりだ。

男は再びスタンガンに血を塗り付けた。エネルギーがチャージされたかの如く、黒いプラスチックの塊が光り出し、先端の口金ばかりか、機械全体から放電が始まった。

赤と青に光る右腕をだらりと下し、ゆっくりと保に近づいていく。目は保ではなく、その先の逃げるべき道路を見ていた。

「(カバンも参考書も絶縁体だから・・・大丈夫!・・・のはず)」
ひざはガクガクと笑っている。赤さんに反撃した時のヤケクソな爆発力は鳴りを潜め、今はただアドレナリンの過剰分泌による動悸と荒い呼吸で、言うことを聞かない身体を無理やり踏ん張らせているだけだった。

男は一歩、二歩と歩みを進め、徐々に加速していく。一度、胸の前まで右腕を引いて、そして突き出した。

スイッチを入れられたスタンガンは今までで一番大きな放電を放ち、保を襲う。まばゆいアーク光に怯み、保は目をつぶった。

バチチチチチチチ、バーンッ!

つぶったまぶた越しに分かる程の閃光と爆発音を放った後、辺りは静まり返った。

あまりにも暗く静かになった。自分は死んだのだろうか?恐る恐る目を開けた。数秒前と変わらず、ここはカツヤの家の裏だ。自分がいて、カツヤが倒れていて、そして黒ずくめの男が倒れていた。

男の右手は所どころ焼け焦げていて、黒い合羽は焼け溶けて穴だらけだった。指から掌が特に酷く損傷しており、その手の中の黒い箱は内側から破裂し、飛び散った回路はまだくすぶっている。辺りを、焼けた肉と電池や電子部品の爆ぜるケミカルな臭いで満たした。

カツヤが苦し紛れにぶちまけただし汁や、出力を上げる為に過剰に塗布した血液がスタンガンの隙間から染み込み、ついに回路まで浸透していた。その上、男の闘争本能に呼応して最大出力を引き出してしまい、オーバーロードした強力な電流がショート、手の中で雷が爆発した。

その強力な電磁力は一番近いものを襲い、つまりそのスタンガンを振るった者に返った。

すぐ近くの道路でパトカーが止まり、警官が二人降りた。しばらく周囲を見回った後、保の姿に気付いたのかカツヤの家に近づいてきた。ベルトからマグライトを取り出し照らす。

中年の警官が声を掛ける。

「君が通報した子かい?うわ、なにこれ」

焼け焦げて大の字に転がる黒ずくめの男と、その向こうで横たわる男を交互に照らし出した。

「ご、強盗です!連続強盗犯です!」

保が黒い合羽の男を指さしながら言った。若い方の警官は先輩を見た。訝しんでいるようだ。
その時、勝手口を開けて正一郎がまろび出てきた。腕に力が入らず、なんとか体全体で扉を押し開け、そのまま三段ある階段を転がり落ちる。

「君がやったのか?」

横たわる男を見ながら正一郎が言った。さらに訝しむ若い警官。

「ちょっと正一郎さん、話がややこしくなるような事言わないで下さいよ!」

カツヤが体だけ起こして叫んだ。やっと声を出せたのもつかの間、感電の不快感でその場で嘔吐した。

その後、正一郎とカツヤは、強盗が入るところを見たこと、保に通報を任せ現行犯逮捕に行ったこと、押し入った強盗と戦闘になったこと、また、スタンガンを使う手口が連続強盗犯と同じことを話した。
調書を取っている間にやってきた救急車が、気を失っている被疑者を乗せていった。若い警官が監視として同乗しているので、もし犯人が目を覚ましても大丈夫だろう。

「いやー、仕事以外でも大捕り物とは、熱心なことだねえ!」
後に残った年上の警官が、手も叩き出さんとばかりに大げさに感心してみせた。


「何言ってんスか、篠崎さん!こっちはせっかくの快気祝い潰されて、たまったもんじゃないっすよ!その上、カニとブリしゃぶもオジャンでやってらんねーよ!マジで!」

篠崎はこの辺の警察署の警官で、下総警備保障絡みの通報ではよく顔を合わせる。一々、嫌味を言って突っかかってくるので、流石のカツヤも苦手としていた(正一郎は始めから真面目に取り合おうとしていない)。
ごちそうを食い逃した怒りと戦いの疲れから柄にもなく憤りを露わにしてしまう。

「ごめんごめん、怒らせるつもりはなかったんだが」

申し訳なさそうに見えて、目と口の端が笑っている。本当に人をイラつかせる天才だ。
「もう終わったんでしょ?帰ってくださいよ。俺らも片づけあるんで」

「あとちょっとで鑑識の仕事終わるから、もうちょっと待ってよ」

「さっきからあとちょっと、あとちょっとってそればっかりじゃ無いスか!」


カツヤと篠崎さんが押問答を始めたところで、正一郎が保に話かけた。

「なぜ逃げなかった」

「それは・・・。」

実況見分で正一郎が戦線離脱した後の状況を見聞きしていた。保は無謀にも手負いの強盗犯を引き留めようとしていた。幸運にも犯人の自爆という形で幕引きし、保に怪我はなかった。

「二人の役に立ちたいと思って、あの時の恩に報いたいと・・・」

保は通り魔から命を救われた事に恩義を感じていた。それは確かだ。

「俺たちの真似事か?」

「そんな、つもりは・・・。いや・・・」

違うとは言えなかった。体を鍛えるモチベーションは強い男への憧れだけだっただろうか。強くなるというのは通過点でしかないのではないだろうか。二人と肩を並べ立つ自分の姿を想像したことがなかったか?
無意識に闘争を求めていたのではないか?

「今に命を落とすぞ」

「だったら正一郎さんだって!カツヤさんも危ないところでした!」

「・・・俺たちはそうする他に道がないんだ。だが、君は違う。こっち側に首を突っ込む必要はないし、突っ込むべきじゃない」
「それなのに君はむしろ、自分から戦いの中に飛び込もうとしている様に見える」

「・・・」

もう何も言えなかった。たしかに正一郎さんの言う通りかもしれない。強くなりたいんじゃなくて、鍛えた力を振るいたいだけじゃないか?自分の中で大きくなりつつある闘争本能の芽生えを自覚してしまった。

「このままだと、警察か俺たちの世話になるかもしれないぞ」

「・・・」

正一郎さんの眼に一瞬、闘志が燃えた。凶悪犯達と対峙した時に見せる憤怒の炎のような。その眼を見てしまったらもう黙って俯くしかなかった。
パトカーの赤い回転灯が地面を明滅させるのを見ていた。



あれから一週間が経った。下載新聞の地域欄には
『またもお手柄!非番中の地域警備、強盗逮捕!』
中ぐらいの見出しで書かれていた。二人が警察署で感謝状を貰う一部始終の写真も添えられている。

状況証拠と現行犯逮捕、さらに犯人の自供もあり、犯人の意識が戻ってからの逮捕はスムーズに事が運んだ。その間、警察が家に頻繁に聞き取りに来て実質監視の様になっていたが、それも逮捕後はぴたりと収まった。

犯人は一命は取り留めたものの、強力な電流を浴びたことで右腕が壊死しており、肘の少し上から切除するしかなかったという。それを社長から聞かされたカツヤはビビッて、正一郎を伴って病院に行った。
医者は『むしろ前より元気になってる』と太鼓判を押してくれた。

警察は犯人の凶器のスタンガンを押収し調べたが、9V電池に簡素な回路とショボいコンデンサがついているだけで、とても兵器クラスの電撃は出せないはずだと不思議がっていた。コンデンサによって昇圧された電圧がショートしたとしても、感電して四肢切断に至るまでの電流は生まれないはずだ。

それも犯人の自供を待ってしか逮捕できなかった理由の一つでもある。あのガラクタではとても凶器足りえないからだ。

だが、カツヤ達、下総地域警備保障のメンツは何となく分かっていた。
以前赤さんが使っていたイヤリングの様に血で特別な力が引き出される物品がある事を。

これもたまたま、スタンガンがショートで爆散した時に転がっていたパーツをカツヤが拾っていたことで判明した。樹脂のカバーの内側に円筒の磁石のようなものが嵌っている部品だ。
会社の装備研究部の人間に聞くとフェライトコアというものらしい。本来、電線を通る電気が生む磁界の整流に使うものらしいが、血に反応して電気的性質を爆発的に増幅する効果があると判明した。もちろん、元々のフェライトコアにそのような能力はない。

試しに模型用モーターから取り出したコイルで電磁石を作り、乾電池を電源としケーブルにフェライトコアを取り付け、血を塗布し電源を入れたところ、淡く赤色に光り出し金属の板に張り付いた。それは人が一人ぶら下がれるほど強力だったという。

「ばかな!ありえない!」

この実験を主導した装備研究部のチーフ、鏑木(かぶらぎ)は大騒ぎして手が付けられなかった。


今回の事件は非番中の私人による現行犯逮捕だった為、報酬も出ないし、怪我や家財の破損も保障されなかった。手元にはただの紙といって差し支えない感謝状が残るのみだ。

「カニー、俺のカニがー」
「賞状なんか貰っても腹はふくれねーつーの」

「またそれですか」
ルーキーが言う。もう何回目か分からない独り言に流石に耐えかねた。

「うるせー!この万年居眠り電話番が!お前に俺の気持ちが分かるか!」
食べ終わったばかりのハンバーガーの包み紙を丸めて投げつけた。
正一郎はブラインドの隙間越しから外を眺めながらコーヒーを飲んでいる。

「おいおい、人に当たるなよ」

社長が入ってきた。その手には封筒が握られている。

「あんまりかわいそうなんでな」

カツヤに手渡した。中には三万円が入っていた。

「金一封を出せと署にゴネたが、一人5千円を掠め取るのが関の山だった。相場だの一点張りでな。まあ、地方紙には乗ったし、残りは広告費ということで会社からだ」

「マジすか!」

「ああ、ご苦労さん。大した怪我じゃなくてよかったよ」

カツヤはさっきまでと打って変わってニコニコだ。

「ほら、正一郎も。お前がいなかったら、こいつもどうなっていたか分からん。助かった」

「いえ。地域警備員なら当然ですよ」
プイと窓の外に視線を戻した。受け取らないつもりだ。


正一郎は婚約者が殺されてからというもの世捨て人といった趣が増してきた。もともと寡黙な男で熱心に仕事に打ち込んでいた。しかし、娘に試作した菓子を振る舞う時には屈託なく笑うのだ。ああ、こいつはこういう顔もするのだなと思ったものだ。甚右衛門もそういう職人としての気質と、それに隠れる人間臭さを気に入り、己の技術と職人魂を余すことなく叩き込んでいった。
娘と結婚し、ゆくゆくは跡取りとして老舗の菓子屋を任せたいと考えていたのだ。娘が殺されるまでは。

娘は腹を裂かれ殺された上、胎児を持ち去られていた。甚右衛門はこの時初めて娘の妊娠を知り、そして娘と孫を同時に失った事実を叩きつけられた。
この奇妙な殺人事件に当然メディアは食いつき、一層センセーショナルに報じ大衆の耳目を大いに集めた。
目撃情報から、容疑者は右耳が欠け流血していた状態で逃走していることが分かったが、顔や服装などはあいまいで実態は現在も分からない。警察の捜査も、警察組織内の待遇改善デモ等の最初期にあたり、なかなか進展しなかった。

マスコミの対応で店を開けられない日々が続き、甚右衛門はついに弟に店を任せ、自分は全く新しい警備組織を立ち上げる計画を実行に移した。それが警察業務の一部代行を行う地域警備会社という概念であり、その中の一つが下総地域警備保障だ。

甚右衛門は国政に身を置いていた経験と人脈を持ち、当時の警察組織のゴタゴタや右肩上がりを続ける凶悪犯罪件数といった社会情勢をフルに利用し、半ば強引に「地域警備会社関連法案」を成立させた。これ以上、凶悪犯罪に涙を流す人を作りたくないという建前を前面に立てていたが、その実、動機は私怨である。
この手で犯人を捕らえ、必ず報いを受けさせるという強い意志がそうさせるのだ。

警察業務代行を通して、警察内部とも深く繋がれるし、強請れるネタを得ることもあるだろう。全国の地域警備会社との連携も取れば組織的な調査も可能となる。統計的に考えて、猟奇殺人犯の多くは狩場を一度決めると長期間留まって断続的に犯行を繰り返す傾向がある。この地で張り込み、警察等と連携し、地域社会との関係を築いていけば必ず犯人を捕らえることが出来る筈だ。

同じく、一向に進まない捜査に苛立ち、婚約者を殺した者を見つけ出しこの手で復讐する為に菓子職人をやめ、出ていこうとする正一郎を呼び止め警備会社に引き入れた。

「共に犯人を地獄に落とそう」
怒りと殺意の籠った手で結んだ誓いから、地域社会を守る守護者が生まれたのだった。

もちろん、怒り以外のモチベーションもあった。実際問題、警察が機能不全に陥り、人々の平穏な生活が脅かされつつある社会で、特に凶悪犯と対峙することが多い地域警備員は住民から感謝され求められる存在へと成長していった。

正一郎やカツヤも危険と隣り合わせの業務ながらも充実を感じ、それは次第に人々を守るという使命感の様なものも芽生え始めたのであった。


「(受け取らないのは使命感からか、あるいは)」

金の為にやってるわけじゃないと言いたいのだろうか。それとも。

「まあそう言うな。軍資金と思って。」

「どういうことです」

「綾乃が帰って来るんだ。」
あやのとは甚右衛門の残された娘だ。

「綾乃さんが?」

「ああ。迎えに行くついでに食事にでも連れて行って欲しい」

綾乃は高校卒業後、アメリカに留学し、飛び級でMBA取得過程に入った。甚右衛門が菓子店の経営を退いた時も、在学しながら遠隔で叔父を助け、店の運営を支えた。MBA取得後、職を探していたが、正一郎が大怪我で入院したことを聞き日本に帰国することを決意する。

「・・・分かりました」

正一郎は封筒を受けとると胸ポケットにしまった。

正一郎の婚約者であり、綾乃の姉である志乃の葬儀が終わった後、すぐに日本を発ってしまっており、その後一度も会って無い。戦いの日々の中でその存在を忘れつつあった。
当時は活発な女の子だった。だが、姉の死後、あまり口を利かなくなってしまい、そのまま国外へ出てしまった。それなのに、この下総に戻ってくるという。何か心境の変化があったのだろうか。

恩師の頼みとあっては断る理由はなかった。それに、あの当時は正一郎にも他人を気遣う余裕などなく、碌に送別の言葉も無く送り出してしまった事に引け目を感じていたのだ。婚約者の妹という義理もある。

「来週の木曜だ。空港まで迎えに行ってやってくれ」

「分かりました」

正一郎は飲み終わったカップをデスクに置くと、装備を点検し始めた。

それを見たカツヤは紙幣を数えてにんまりするのをやめ、タバコを一息に吸って煙をゆっくり吐くと、灰皿でもみ消して立ち上がった。

「ほんじゃー、しっかり電話番しとけよボケナス!」

ルーキーの座ってるイスのキャスターをカンッと蹴飛ばすと事務所を出て行った。イスのキャスターはクルクルと三回転して元の位置に止まった。正一郎も装備の詰まったベルトを巻くと後を追う。それを見送るとルーキーは社長にバレない様に器用に居眠りに入った。

日は沈みかけ、薄暗くなり出している。西の空は雲に隠れており、くすんだ紫色に染まる。逢魔ヶ刻。犯罪発生率が高まる魔の時間。古来より鬼が出る刻と人々は恐れた。事務所に面する道路の街灯が一斉に灯る。そして、近隣の住宅にも灯火の明かりがぽつぽつと灯り出した。

半端な薄暗さの闇と、時おり射す気味が悪いほど眩しい明かりが混じりあう夜の世界を、今日も黄色い制服の男たちが練り歩く。

守るべき人を探してなのか、悪人を叩きのめすが為なのか。

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感謝状

正一郎殿

あなたは、連続強盗事件において適切で勇気ある対応を取り、犯罪の防止並びに犯人の現行犯逮捕によって地域社会の安全に多大な貢献をされたことをここに表します。

平成XX年11月3日 下総警察署所長 神山郷太

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(つづく)

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